もう、世界は受け入れてくれる


前回書いたエントリーのローカライズの話( https://note.mu/juntankoo/n/n8a2cfac17ac7 )から派生する考えを書きます。


ローカライズは、もう不要なんだと思う。


ベタ褒めしたディズニー映画『アナと雪の女王』のローカライズに対しても、大衆向けにする際にしても、ローカライズは特に不要であった気がするんです。あれは「口の動きに合わせる」という、優先順位が高いものがあったから単にどこか引き算をする必要があって、引き算をする部分を「文化的に日本では受け入れられにくいと思われるもの」に求めた、ということだと思うんです。それを映画全体で一貫して行って成功した例だと思うんです。

つまり、口の動きに合わせる必要がなかったとしたら、その文化的引き算をする必要もなかったんじゃないかな、と。

もしかしたら、引き算をした文化というかニュアンスを入れることで、今現在のヒットよりも少し縮小してしまった可能性もあったかも知れません。でも今後は他文化浸透をもっともっとさせてもいいんじゃないか、と考えると、そういうところから図っていってもいいんじゃないか。刺さる人にはかなり深く刺さるんじゃないか。


僕ら日本人からしたら、日本以外の国の人を「理解し合えない異文化の人」として扱うのはもうそろそろ不要なんじゃないか。もうそろそろ「たまたま違う言語を扱う人」として捉えていいんじゃないか。


異文化同士、異なる国異なる大陸の交流が始まってもう何十年経つんでしょう。どこから数えればいいのかも分かりませんが、異文化に対する理解度、許容度の度合いも変わっていって然るべきだと思うんです。

だから、僕たち日本という物理的もしくは精神的枠から生まれもしくは育った人は、日本という文化をもっとありのまま、他文化を気にせずに発信していっていいんじゃないかと思うんです。



もう、世界は受け入れてくれる。



世界は意外なほどに異文化を許容する準備が出来ている。



という気がします。



日本の音楽、漫画、映画、アニメ業界を少し観察した限りではそんな風に思います。

時の麻生総理はそれをやろうとしてたのかも知れません。ただ、あの人は『自分の狭い趣味を外国に出したい!』という雰囲気が強かったんでしょうか。もうちょっと世界からの需要や受け入れ態勢に関して言及してもよかったような。いや、してたのかな。



僕が好きで関わろうとしている音楽コンテンツの話にちょっと触れると、


韓国音楽に対するヨーロッパの需要人口は、日本音楽のそれの3倍以上はある気がします。KPOP、JPOPに限って言うと5倍はある気がします(←語るなら調べろって感じですよね。調べません。すみません。)。でも、韓国音楽と日本音楽をサポートしているヨーロッパ人口(メディア含め)はどちらが多いかというと、日本音楽のほうが多いと思うんです。これって、韓国のやり方の上手さと政府補助金の豊富さとか色々な要素もあってサポートを必要としない、というもあると思うんですが、それにしても日本音楽は少し怖気付きすぎなんじゃないかな、という印象です。




なんてデータのない、抽象的な文章なんでしょう。

でも、日本の物って、もっと日本の外に対してギラギラしてもいい所もあるんじゃないかな、と思って書いてみました。

あんまり言葉になってないです、すみません。


言葉になってない。




言葉にならない。





言葉にならない





はい、今アップロードしました。

https://vimeo.com/102930552





僕は例によって字幕入れただけですが(。・ ω<)ゞてへぺろ♡


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