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[自分を信じて今を生きる]episode 2. いかにして内なる声を信じるのか?

こんにちは。
人がありのままに生きていくためのお手伝いをしています、五十嵐です。

最近やっと梅雨入りしたんですね。
てっきり僕はもう梅雨入りしていてもう空けるぐらいだと思っていました。
一人でビックリしちゃいましたよ!

温度の低い悩みを誰しもが抱えている

さて。前回、僕の人生のテーマでもある「自分を信じて今を生きる」につながるエピソードや、そこからの気づきを書いてみました。

大企業に10年以上勤めてからスタートアップに転職、その後会社員を辞めてコーチとして独立。という道を歩んできた中で以下のようなことを書いています。

<書くこと>
・なぜそこまでの大きな人生の舵を切ったのか?
・どんないきさつでそんなことになったのか?
・その経験から何を学んだのか(皆さんにも還元できるようなことは何)?
<こんな方に読んでいただけると嬉しいです>
・「内なる声」「本当の自分の声」ってよくわからない
・できることなら嘘偽りなく、ありのままの自分で人生を送りたい
・でもそれって怖いしハンパない勇気が必要で尻込みしちゃう…

episode 1では、フランス・パリでの初の海外赴任から、薄々感じ始めていた「これじゃない」感と、それに向き合う怖さ、そして向き合い始めたきっかけ、その経験からの学びについて書いてみました。読んでいない方は、ぜひこちらから読んでみて下さい。

特にFacebookのお友達からは「続編求む!!」の声も多数いただきました。意外な人が読んでくれていたり、もう何年も会っていない友達も反応してくれたりするのは、新鮮な驚きもありつつやはり嬉しいものです。

と同時に感じたのは、誰しもがこういった「温度の低い悩み」を抱えながら、それでも必死に日々を生きているんだな、ということです。
(「温度の低い悩み」については最後にリンクを貼っておきますので、こちらもあわせて読んでいただけると腹落ち感が増します。)

内なる声を無視してしまった就職活動

学生の頃の就職活動は、正直言って自分の本当の声を無視し続けていました。

海外経験も長かったし、英語もかなり力を入れて勉強していたし、「海外で働く」という本にかなりのインスパイアを受けた、何よりも大人になってから海外で暮らすことへの憧れのもあって、「日本のブランドを世界に届けて世界中の人を笑顔にしたい」という熱い思いを持って就職活動をしていました。

それは嘘ではなかったかもしれないけれど、他には

"「家」という存在が持つ幸せにあふれたストーリーを目の前の人に届けたい。ハウスメーカーの営業とか、本当に心と心で仕事が出来そうだな。"
"世界中で貧困に苦しんでいる人たちを救いたい。世界中の悲惨な状況をなくして、誰しもが笑顔で暮らせる世の中にしたい。途上国開発の仕事を目指すのはどうだろう。"

こんな思いもありました。

当初はそんな思いも持ちながら幅広く企業を見ていたし、実際に家から2時間ぐらいかかる住宅展示場まで行ってOB訪問をしたりしたのですが、企業を絞ったりしていく中で周りからこんなことを言われました。

"BtoCは本当にキツイし、肌に合わないんじゃない"
"商社とか銀行の方が給料イイよ"
"せっかくなんだから英語活かさないと"

たしかにそうだよな…自分ってストレス耐性なさそうだしな…給料は良い方がいいしな…英語も頑張ってきたもんな…

自分の心がブレブレになりながら、なんとか自分の中で折り合いをつけて、メーカーの海外営業に絞っていったのですが、実際は商社も受けたりしていました。

結果的には内定をいただいた中から直感でNECを選びました。

その選択が間違っていたとは思わないですが、就職活動自体、果たして本当に自分のためだったのか?親や周りから認められたかったんじゃないか?結局大企業のブランドが欲しかったんじゃないのか?というのは今振り返ってみると思うところです。

実際、就活を終えてから普段の生活に戻ったときには「途上国開発の仕事を目指してもよかったんじゃないか」という思いが湧いてきたのですが、必死に言い訳をしてその声の主から目を背けながら1年間を過ごしていました。

内なる声に従う決心

入社して数年経ってepisode 1で書いたフランスにたどり着き、「本当にこの仕事なんだろうか」「これは自分が生涯かけてやっていきたいことなんだろうか」という内なる声が聞こえ始めてきます。

そしてさらに4年の月日を経て、ようやくその声に向き合い始めたときに、同時に自分の中にあったのが、その「途上国開発」の声でした。

「途上国とかやりたいやりたい言って、結局何もやってないじゃん」

ある人がこんなことを僕に言ってくれました。フライパンで頭を殴られたぐらいの衝撃でした。そのときはムカッと来て喧嘩になったのですが、今では心から感謝しています。

"もういい加減この声は無視できないな。"
"ここまで長い間自分に嘘をついている自分って、めちゃくちゃ嫌いだな。"

二度目の海外赴任でオランダに旅立つときに、この声にしっかりと向き合うんだという決意と共に早朝の成田空港で決別のラーメンを食べたのでした。

心から自分を尊重できた、初めての経験

海外あるあるですが、飛行機に乗って外国に行くと気持ちが大きくなりますよね!それをうまく利用しました。

人生で成し遂げたいことを100個書いてみたり、色んなNGO/NPOの情報収集を始めたり、文献・レポートを読んだり、あと幸い欧州は寄付文化が根付いていたので現地の寄付の事情を調べたり。

そうしているともう動きたくなってくるので、いくつかのNGOの日本事務所の翻訳ボランティアなどをやったり、ライターとしてこんな記事を書いたりしました。

夏休みを利用して、はるばるバングラデシュまで行ったりもしました。
友人の結婚式に参列するためでもありましたが、グラミン銀行に直接問い合わせて融資をしている村を見学させてもらったのです。

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(グラミン銀行とは、ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏が創設した、貧困層にへのマイクロクレジットを農村部などで行う銀行。↑はそのときの写真。)

このときの行動力は、すさまじかったです。

これまでため込んでいたものを全部吐き出すかの如く、とにかく思いついたことは後先考えずにやってみる。結果がどうなるかなんて知ったこっちゃない。やりたいからやる。行きたいから行く。

そんな自分は、心から自分という存在を尊重することができていて、どんな自分であってもOKを出せていました。

何よりも、自分という存在を信じてあげることができるのは自分だということを理解し、それに基づいて行動することができていました。

自分を制止しようとする「内なる声」

"そんなことして、お金になるの?"
"そんなの、偽善でしょ。本当にその人たちの幸せを考えられてるの?"
"それに命かけられるの?"

こんな声ももちろん聞こえてきていました。

ただこれは本当に魂から響いてくるような内なる声ではなく、僕が普段やっているコーチングでは「サボタージュの声(saboteur)」と呼んでいます。簡単に言うと、本当に自分が進みたい方向に歩いていくときにそれを妨害しようとする、自己防衛の声です。
こういった声を聴くと、眉間にしわが寄っちゃったり、どこか自分の体も縮こまってしまったり、心がざわざわしますよね。
人間は変化を嫌う動物ですので、それはごく自然で、人間誰しもが持っているものです。

本当に自分の内なる声に従うことができているとき、こういったサボタージュの声も聞こえてはきますが、それに支配されることはありません。
むしろそれと程よい距離を保ちながら健全にお付き合いできているのです。

それでも何かが足りなかった

オランダでの任期を終えて(あ、仕事もちゃんとしてましたよ!笑)帰国してからも、そういった途上国の活動から「社会的にインパクトを生み出す」ようなプロジェクトに参画したり、社内でも人脈を広げて自ら上の人を動かして部署異動させてもらったりと、その時の内なる声を尊重し続けていました。

ただ、途中で徐々に徐々に気づいてきたことがありました。

"こうやって行動できている自分、自分自身を尊重できている自分は好き。自分の人生を自分で切り拓いているような感覚も好き。でもなんだろう。本当に心が震えるような感覚がない。何かが足りない…"

大企業だからこそできる、社会的に大きなインパクトを生み出すことというのは当時一種のトレンドでもあったし、そこに自分も参画できるということ自体は、この文字情報だけを見れば「良いこと」のようにも思えます。

…でもそれって何か違うんだよな。

沸々と湧き上がってきている「これじゃない」感に気づきつつありました。

本当に「近道」があるとしたら

「え!?またこれじゃなかったんかーい!!」

というツッコミ、ありがとうございますw
episode 1に続き、episode 2でも出てきました。「これじゃない」感。

「やりたいこと」って本当に見つけるのが難しいですよね。

誰も分からないんです。そんなこと。
誰も正解なんて持ってないんです。

だからこそ、この世の中に唯一の「真実」と呼べるものがあるとしたら、それは自分の中にしかないんだと僕は思っています。

それは紛れもなく、自分の「内なる声」です。

それを尊重してあげる。
ほかの誰よりも自分のことを信じてあげる。

そんなことを続けていくことで、本当の自分に出会えるんじゃないでしょうか。それが唯一の「近道」です。

何かしらの行動をすれば、それがすぐにダイレクトに、この上なく素晴らしくありたい自分につながるなんてことはないです。
人間ってそんな薄っぺらい存在じゃないですよね。

自分が気づいている以上に自分という存在はいろんなものを持っています。これまでの人生で色んな経験をしてきて、本当にたくさんのものを培ってきて、自分のものにしてきているんです。
だからこそ、自分の中の「真実」と向き合うのに時間がかかるのは至極当然のことです。

episode 1と2の「これじゃない」感で違うのは「心が震えるような何かが足りないんだ」ということに気づいているかどうか、ということです。

自分が人生において求めていることは、自分の心がブルブルとビリビリとジンジンと震えるような、そんな体験なんだと。そんな自分自身でいたいんだと。

それに気づくことができたのは、自分の「内なる声」に従ってみたからです。
この違いは、些細なようで実はドデカいものだったんです。


「本当の自分」を探す旅はepisode 3に続いていきます。

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▼「温度の低い悩み」についての過去記事はコチラ

▼文中に出てきた、あなた自身の内なる声のようで本当の内なる声ではない「サボタージュ」について扱ってみたい方はぜひコーチングを受けてみることをオススメします。専門的かつ高度なトレーニングを積んでいるコーチでないと適切に取り扱うことができない、なかなか難しいものです。


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