[自分を信じて今を生きる] episode 1. 夢の海外赴任は、本当は夢じゃなかった。
こんにちは。
人がありのままに生きていくためのお手伝いをしています、五十嵐です。
これまで35年間生きてきましたが、
「あーもうイヤだ。こんなにストレス抱えてなにやってんだろ。疲れた。自由になりたい。」
唐突に現れた「自分の内なる声」に従って1年前に会社員を辞め、本当は人生の夏休み的なノリで過ごすつもりがコロナでどこにも行けず、コーチングにのめりこんでしまい、気づいたらそれが自分の人生の大きなテーマになっていました。
CTIでのコーチングの学びもはや1年。基礎・応用と呼ばれるベーシックな講座から、資格取得を目指したプロのための上級コースまでを最短で駆け抜けてきました。この夏~秋には国際的に通用するプロコーチの資格が取得できるはずです(神様お願い)。
今自分的にすごくいいタイミングだと思っているので、いくつかのエピソードを元に、友達からもクライアントさんからも聞かれることの多いこんなことを書いてみたいと思います。
<書くこと>
・なぜそこまでの大きな人生の舵を切ったのか?
・どんないきさつでそんなことになったのか?
・その経験から何を学んだのか(皆さんにも還元できるようなことは何)?
<こんな方に読んでいただけると嬉しいです>
・「内なる声」「本当の自分の声」ってよくわからない
・できることなら嘘偽りなく、ありのままの自分で人生を送りたい
・でもそれって怖いしハンパない勇気が必要で尻込みしちゃう…
今回はエピソード1。いきなり海外です。
これなくしては、今の僕はありえないのです。
夢のフランス駐在は涙でスタート
新卒で入ったのはNECでした。配属も希望通り海外事業の部署。
そして幸運なことに3年以内に新入社員を海外に武者修行で送るプログラムに選抜されました。これ以上の順風満帆ってないでしょ?
そして3年目の秋。フランスに旅立ちました。
で、着任した日が現地のとあるマネージャーの最終日だったのです。
解雇だったかどうかは微妙だしこんなところでは書けないのですが、一人一人と握手を交わしている彼を見て、「なんでおれはここに来たんだろう」と思わずにはいられず、彼と握手しているときも気の利いた言葉の一つもかけることができませんでした。一人トイレで泣きました。
「自分の価値って、なんなんだろう」
そんなことを自問自答する日々が、それから始まりました。
それなりに充実していた日々
生活は楽しかったです。
友達もできたし、一人でフランス中を回ってみたり。
初めてヨーロッパサッカーに触れたのもこの時でした。全盛期の香川真司選手の試合をドイツまで見に行ったり。
ワインを覚えたのもこの時でした。
覚えたてのフランス語で近所のパン屋でクロワッサンとか買えたときの感動も忘れ難い思い出です。
仕事でもそのときに自分ができることを自分で探して取り組んで、それなりに評価されて、悪くはなかったです。
そう。「悪くはない」って感じだったんです。
海外に行くことが目的になっていた自分
思えば特に野心みたいなものははじめからなくて。
僕が夢見ていたのは、世界中の人々が笑顔に包まれているような、そんな世界でした。
本当はそれを叶えたいはずなのに、あくまでも手段だということにどこかで気づきながらも「海外に行く」ということが第一優先になっていて、
「でも行ってみれば貴重な経験ができるし、何かがわかるはず!」と変なポジティブ思考でごまかしていたのです。
結局フランス語もそこまで話せるようにはならなかったし、
現地の同僚ともごく一部の人としか仲良くなれず、仕事の成果はまぁまぁぼちぼち、現地に溶け込んだ感もないまま、
いっぱい旅行してフランスやパリのことには詳しくなり、
相当な種類のワインを飲んで中途半端にフランスワインかぶれになり、
それでも「海外行ってきたぜ」感を醸し出しながら日本に帰ってきたのです。
あらあら。我ながらイヤな奴ですねw
帰国してからもめっちゃトガってました。
上の人には結構歯向かっていたし、現地のこと知らないくせして偉そうなこと言うんじゃねぇよぐらいのことを言っていたかも(お前が言うなw)。
心のどこかで気づいていた、「これじゃない」感
たぶん自分でもどこかで気づいてたんだと思います。
これは自分が生涯かけてやりたいことじゃないんだなってことを。
でもそれに向き合うことはとても怖いことでした。
「海外」というキーワードがなくなったら自分ではなくなってしまうと思っていたからです。
子どもの頃にオーストラリアで暮らしていた経験もそうだし、
大学生の時に国際ボランティアで一人海外のプロジェクトで3週間もフランスの田舎町で暮らしたり、
就職活動では毎日のように予定を入れて説明会行きまくって何十社も受けて「海外の仕事をしたいんだ!」という自分の志を見つけて、
待遇も良い大企業のしかも海外のポジションに就くことができたのに、
そんなものをもうぜーーーーーーーーーーーんぶ、
もっと言えば自分のそれまでの人生を全て否定してしまうような気がして、
そんなことをしたらすべてが崩れ落ちてしまう気がして、
ただただ、怖かったんだと思うんです。
やっと気づいたのは社長賞がきっかけ
日本に帰国してから2年後。
まさかのオランダ赴任という展開が待っていたのですが、そこで長年赤字垂れ流しの事業を突然変異的に予算超過達するというミラクルが起き、ヨーロッパ本社から社長賞をいただきました。
そんな表彰をいただくのなんてもちろん初めて。
しかも色んな経緯があった中でオランダに一人乗り込んで事業の拠点を立ち上げ、一部残ったフランスの仲間やオランダでの新しい仲間と成し遂げたこの成果は、客観的に見ても誇らしく思ってよいものでした。
でも僕自身が嬉しいと感じたのはそれを「成し遂げたこと」ではなかったんです。
通常現地の社員が対象となる表彰メンバーに入れてくれたこと、つまり「お前もチーム・オランダだぞ」と言ってくれたことが、心底嬉しかったのです。
それが「あ、この仕事じゃないんだな」という思いにやっと向き合えるようになったきっかけです。
それはなかなかに呆気なくて、今でも「おれ、この仕事じゃないんだと思う」と奥さんに言ったのを鮮明に覚えています。
そしてその瞬間、自分の人生という大きな歯車が、音を立てて動き始めたのも感じていました。
ふと感じた自分の声は、自分への大切なメッセージ
僕の場合、どこかで気づいていた「これじゃない」感にちゃんと向き合えるようになるまで、4年ほどかかりました。
それだけ、その声に真正面から向き合うのは怖かったです。
でも、その声を拾い上げて向き合ってあげないと、その声が意味のあるものかすらも分からないのです。
だから間違いなく言えるのは、心のどこかでなんとなーく聞こえてくる自分の内なる声は、自分への大切なメッセージだということです。
その声に気づいてあげて、やさしく拾い上げて、向き合ってみる。
とてつもなく勇気のいることではありますが、そんなことの積み重ねが自分の人生を生きるー「自分こそがこの人生の唯一無二の主人公なんだ」と主導権を握り、自らの手で自分の人生を切り拓いていくーということにつながってくるのではないかと思います。
episode 2もまた近々書いてみます。