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ブービートラップ 13.死せる孔明/14.巨悪

解説

 第26回小説すばる新人賞に応募した作品です。
 一次選考にすら漏れましたが、選考に漏れた作品がどれだけ世間に通用するか? そんな想いでnoteに投稿することにしました。
 
再度内容を見直し(推敲)ています。誤字脱字それに言い回しを変えて、順次公開いたします。

目次

プロローグ に戻る
1.鉄槌
2.ハッカー
3.マスコミ

4.サイバー犯罪対策課
5.藤田美奈子/6.中野洋介/7.野村鈴香
8.ジレンマ/9.報道
10.沈黙

11.予期せぬ出来事
12.自殺か殺人か? に戻る
13.死せる孔明/14.巨悪(このページ)
15.贖罪/16.様々な想い 次の章
エピローグ

13.死せる孔明

 猪狩は、次の日に家宅捜索の令状を取り、技術調査班を伴って車で中野洋介の自宅に向かった。
「死せる孔明、生ける仲達を走らすですね」
 宮下は、車の中で複雑な顔になった。
「そうだな。だがおめでたい被害者は、走りすぎて墓穴を掘ったようだ」
 猪狩は、宮下が言わんとしたことが痛いほど解った。『死せる孔明、生ける仲達を走らす』とは、中国の三国時代、蜀(しょく)の諸葛孔明(しょかつこうめい)が魏の司馬仲達と五丈原で対陣中に病死したため、軍をまとめて帰ろうとした蜀軍を仲達はただちに追撃したが、蜀軍は孔明の遺命に基づいて反撃の構えを示したため、仲達は孔明がまだ死んでおらず、何か策略があるのだろうと勘ぐり退却したという故事。生前の威光が死後も残っており、人々を畏怖させるたとえだ。
 中野洋介の部屋は、ワンルームのマンションだった。まだ契約は、切れていなかった。猪狩たちは、管理人から鍵を借りて部屋に入った。
 部屋の中は、けっこう散らかっていた。質素な家具が数点あるだけの部屋だったが、高級なサーバとパソコンが置かれておりその部分だけ異彩を放っていた。サーバとパソコンは、電源が入ったままだった。が、画面は消えていた。

 早速技術調査班たちが、サーバとパソコンを調査し始めた。猪狩と宮下は、パソコンの後ろから調査を固唾を呑んで見守った。担当者がマウスを動かすと、パスワードを入力する画面が現れた。
「主任。パスワードを、入力しないと画面が開きません」
 技術調査班の一人が、困惑した顔を猪狩に向けてきた。
「パスワードって」
 宮下は、呆気にとられた顔をした。
 パスワードか? 猪狩は納得した。きっと、警察以外が侵入したときのことを考えてパスワードを付けたに違いない。だとすると? 猪狩は、警察だけに名前を名乗ったことの意味を理解して、「ブービートラップにちがいない。Booby trapと入力してみろ」と、技術調査班に命じた。
 技術調査班は、「分かりました」と言いながら、Booby trapと入力してエンターキーを押した。パスワードの画面は消え、エクスプローラーの画面が現れた。エクスプローラーには、『ハッキング内容』のタイトルが書かれたフォルダーに、二個のワードと一個のテキストファイルが表示されていた。アイコンは、大きくワードは、『警察の皆様へ』と、『クリスマスプレゼント』のタイトルがついていた。プロパティを見ると、作成日時と更新日時は、10月23日になっていた。テキストファイルは、『devil』というタイトルで、プロパティを見ると、作成日時は、9月1日で、更新日時は、10月23日になっていた。

中野洋介の手記

『警察の皆様へ』

『私が、ブービートラップです。
 私の行おうとしていることは、犯罪です。否定はしません。が、巨悪に立ち向かうためには、多少の犯罪も止むを得ないのではないでしょうか?
 これを警察の方が読む頃には、私は生きていないことでしょう。警察が優秀なら、すぐに私にたどり着くでしょう。
 犯人がわからない場合を想定して、ささやかなクリスマスプレゼントを用意しました。それは、私の自首です。もちろん死んでいる私に、自首はできません。そこで、クリスマスイブの日に、警視庁生活安全部サイバー犯罪対策課あてに、告白文を送ります』

『クリスマスプレゼント』

  ファイルをダブルクリックすると、ワードの画面が現れた。タイトルは、『告白文』と書いてあり、『警視庁生活安全部サイバー犯罪対策課様』と、猪狩たちの部署宛になっていた。次の内容の文章が書かれてあった。
『今回の首相の事務所と、厚生労働省それに、第三製薬のハッキングは、すべて私が単独で行ったことです。
 私の名前は、中野洋介です。本来なら、警察に自首するのが筋ですが私はもう死んでいて自首することができません。よって、告白文を送付することにしました』

  その後に、ハッキングを行うまでの経緯と薬害に対する憤りと政府に対する批判が長々と書かれていた。最後に、住所と氏名。それから、パソコンの内容を見るために必要なパスワード『Booby trap』が書かれていた。

 「とんだクリスマスプレゼントになるところでしたね」
 宮下は、手記を読み終わると複雑な顔をした。それはそうだろう。クリスマスイブに、そんなメールが届いたら帰るわけにはいかない。家宅捜索の令状を取り、今回と同じことを行って証拠を探すために徹夜になることだろう。クリスチャンでもなく一緒に過ごす相手もいない宮下にとってあまり意味のないことと思われたが、それでもクリスマスイブという特別な日に徹夜になることを考えると憂鬱になってしまう自分がおかしかった。
 担当者は、最後にテキストファイルをダブルクリックして、表示された画面を少し見てから、「出ました。ウイルスのプログラムです」と、上ずった声を上げた。

 猪狩たちは、サーバとパソコンを押収して『ハッキング内容』やウイルスのプログラムなど詳しい内容は警視庁で調べることにした。
「これで、犯人が沈黙していたことも納得がいく。さすがに、ここまでのことは予想できなかったのだろう」
 猪狩は、納得した。が、巨悪という文字に複雑な想いになった。中野洋介が生きていれば、逮捕する。それだけの犯罪を、犯したのだから当然だ。中野洋介の苦渋の選択を、彼の手記で垣間見た気になった。おそらく、彼にはほかに選択肢が残されていなかったのだろう。文章には、彼の想いが滲み出ていた。
 薬害が事実だとしても、何の証拠もない限り疑惑や憶測だけで捜査を続ける訳にはいかない。なんという不条理なことだろうか? と、自分いや警察の限界を思い知らされた。

「川田を殺害した犯人が捕まれば、何かの手掛かりが掴めるかも知れません」
 宮下は、猪狩の心中を察したのか慰めるような言い方をした。

14.巨悪

 川田健太殺害の犯人は、ひょんなことから判明した。野村家の部屋を荒らし野村鈴香を拉致しようとした男を取り調べる前に取った指紋と、川田健太の自宅マンションに残されていた指紋の一つが一致したことで川田殺害の犯人が判明した。
 男は大崎信也という名の、自称右翼の構成員。だが、実情は元ヤクザのチンピラで、不思議なことに逮捕歴がなかったため指紋の照合すらできなかった。今回野村家の不法侵入及び窃盗未遂さらに拉致監禁未遂での逮捕がなければ、川田健太殺害の真犯人は捕まることがなかったかもしれない。

 「で、認めるんだな」
 松木の部下の近藤は、机の反対側に座っている大崎に向かって身を乗り出すようにして尋ねた。
「はい」
 大崎は、素直に犯行を認めた。が、素直に犯行を認めたことが返って不自然に思えるようなふてぶてしい態度だった。逮捕されたことに、腹を立てているだけなのか?
 大崎の前には、ビデオカメラが備え付けられており大崎の一部始終を収録していた。

 大崎には、取り調べの可視化ということで同意が取り付けられた。大崎にとっても、必用以上に強引な取り調べが行われれば有利になる。収録は、諸刃の剣になることまでは考えていないようだった。
 取り調べの可視化と言えば聞こえはいいが、大崎の取り調べのすべてを克明に撮ることが本来の目的だった。捜査員が見落としたことや大崎の失言を、後で分析し次の取り調べに大崎に見せて矛盾を指摘し新たな供述を引き出そうと考えたからだ。それに、猪狩たちに、見せることも目的の一つだった。長谷部みゆきが受けたという、テレビ局と名乗った男の声をみゆきに確かめるためにも不可欠だった。テレビドラマのように、取調室にマジックミラーが付いている訳はない。取り調べ室のドアにマジックミラーを付けて、外から覗くような設備もないとなるとビデオに収録するしかない。というのが実情だった。
「なぜ殺した?」
 近藤の質問に大崎は、答えなかった。少しうつむいて、目を泳がして少し逡巡したようだった。何を考えているんだ? 近藤は、そう思って言葉に出そうとした途端に、「余計なことをしようとしたからだ」と、あっけなく答えた。
 近藤は、大崎の態度に面食らった。この手の輩は、よっぽどの、証拠を突きつけない限りゲロしないはずだ。なのに…。近藤の態度に、気がついたのか大崎は怪訝な顔になった。近藤は、咳払いをしてから、「余計なこととは、一体何だ?」と、慌てて尋ねた。
「あいつ(川田)に、ハッキング事件で密かに調査を依頼したんだ。そうしたら、黙っている代わりに金を要求してきたんだ」
「口封じに、殺したのか?」
 近藤は、少し身を乗り出して大崎の目を睨み付けた。
「ああ。犯人は捕まっていないし、捜査も行き詰っているようなのであいつを犯人に仕立てれば、ハッキングはなかったことになる。そう言われて…」
 大崎は、そこまで言ってしまったという顔になった。

「どういうことだ? 誰に言われた!?」
 近藤には、大崎の言いたいことが理解できた。が、下手にこっちから言うと、誘導尋問だと言われかねない。
「報道が過熱しだして、自分ついた嘘がとんでもないことだと思って自殺したことにすれば捜査は終わる。ハッキング事件はあいつが嘘をついたことになる。うまくいくはずだった…」
 大崎は、そこで俯いてしまった。不思議なくらいに饒舌になった大崎に、近藤は何か引っかかるものを感じた。大崎の、言っていることは真実なのだろう。誰かが、指示したに違いない。と、近藤は直感した。が、まだ問いただすには早いと感じた。もう一つ何故あっさりと、言うのだろうか? という疑問もわいてきた。この手の男なら、こんなにあっさりと自白はしないだろう。大崎の真意を探るためには、もう少しこの男に付き合うべきだと判断した。

「つまり、今回のハッキングの犯行声明は嘘だった。川田を、愉快犯に仕立てようとしたのだな?」
 近藤は、ゆっくりと机に肘をつけて少し大崎に近づいて尋ねた。
「そうだよ」
 大崎は、俯いたままだったがどこかふてぶてしい顔に思えた。
「ご苦労なこった」
 近藤は、呟いて大崎の顔をわざと嫌味な顔で見た。
「どういうことだ?」
 大崎は、俯いたまま眼だけを近藤に向け睨み付けた。
「おまえは知らなかったようだが、捜査の進展が遅れても真犯人はクリスマスイブに自主するはずだった」
 近藤は、言ってから大崎の反応を注意深く見守った。
「そんなばかな!?」
 大崎は、声を荒げた。犯人が死んでいることを、知っていたからなのか? 近藤はそう感じたが、黙っていることにした。すぐに何かに、気がついたのか、「そんな馬鹿な奴が、いや、おめでたい奴がいたんだ。とんだクリスマスプレゼントだ」と、何かを取り繕うように付け加えて、複雑な顔になり左の口を必要以上に引きつらせて笑った。

「そうだよな。おまえが、野村鈴香さんを襲ってくれなければ、俺たちがクリスマスプレゼントを受け取る羽目になった」
 近藤は、敢えて必要以上に嫌味な顔をした。が、犯人が死んでいることは口に出さなかった。
 大崎は、狐につままれた顔をした。
「お前が探していたものを見せてもらって、真犯人が特定できた。川田ではない。となると川田が自殺するはずがない」
「おれが、警察の…」
 大崎は、複雑な顔になって、「おれが、警察を助けたのか?」と言って、笑い出した。が、真犯人が誰かだとは聞かなかった。

 森田伸輔は、大崎が逮捕されたことをテレビのニュースで見て観念した。俺が、おやじ(総理)に独断で、行ったことが発覚することも時間の問題になった。あいつが俺だけでなくあのお方とつながっていることを考えると俺は、トカゲの尻尾になってしまったようだ。後のことを考えると、あのお方に頼るしかないのか。今回の独断は、あのお方の意思でもあるのだ。何とかしろとは言ったが…。
 まさか、川田を殺すとは思わなかった。しかし、下手をすると自分が殺人教唆になることも考えておかなければならない。自分が捕まることであのお方のためになるのだと自分に言い聞かせながら、後の面倒はちゃんと見てくれるのだろうか? という危惧も、残されていた。いっそのこと死のうか? とも考えたが、死んでどうなる? 生き恥を晒しながらも、生きることを選んだ。表向きは、おやじに忠誠を誓った形でけじめをつけるしかない。自分のためにも…。

 「どうです?」
 猪狩は、大崎を収録した映像を長谷部みゆきに見せながら尋ねた。
「この声です。この人です」
 みゆきは、断言した。「テレビ局から電話が掛かってくることなどないんで、よく覚えています。言葉はもっと丁寧でしたが、どこかへん…」と、断言した理由を言った。
「変というと?」
 猪狩は、みゆきの言いたいことが理解できなかった。
「私が、丁寧な言葉を使っているみたいな。いつも丁寧な言葉を使い慣れていないように不自然でした」
 みゆきは、自分が使い慣れない丁寧な言葉を使っていることを自覚していた。自分と同じぎこちなさを、大崎に感じたのだろう。

「どうだ?」
 近藤は、みゆきの証言を大崎に伝えてから詰問した。大崎は、黙っていた。
「テレビ局にも確認した。匿名の電話があって、野村涼香さんの存在に気が付いて次の日の取材になったそうだ。テレビ局に電話したのもおまえだな!」
 近藤は、言ってから鋭い顔になり大崎を睨み付けた。
 大崎は、大きなため息をついてから、「そうだ。全部俺がやった。総理の、第一秘書の森田に言われてやった。うまくいくはずだった」と、観念したような顔になった。
 近藤は、大崎が自供したのでほっとしたが、何か隠しているような気になって、「他に隠していることはないのか?」と、念を押した。
「何を隠しているというんだ? これがすべてだ。何も隠してなんかいない」
 大崎は、苛立たしい口調になった。

 近藤は、同僚の後輩刑事田中と首相の事務所を訪れた。森田に、任意同行を求めるためだ。二人は、ひょんなことから大崎を逮捕した刑事たちだった。事務所は、職員が電話対応に追われているようだった。
 近藤が来意を告げると、秘書の一人が、「今、森田さんが行方不明なんです。森田さんの机には、辞表が置かれており今探している最中です」と、困惑した顔で返事が返ってきた。その時、近藤の携帯が鳴った。相手は松木だった。
「失礼」
 近藤は、言って事務所の外に出ると携帯に出て、「はい。近藤です」と答えた。
(今、森田が出頭してきた)と、松木の声が聞こえた。
「今首相の事務所についたところですが、すぐに戻ります」
 近藤は、言ってから携帯を切ろうとしたが、(一応事実は、事務所側に伝えておくように)と、松木が言った。

  森田伸輔は、警察の取り調べに素直に従った。森田は、供述でハッキングが事実で、大崎に紹介された川田にハッキングの被害と対策を依頼して、事実関係を黙っている代わりに金を要求されたのが殺人の動機だと供述した。

  その日のうちに、首相が記者会見を開きハッキングの事実を認めた。何故隠蔽したのかの記者の質問に、「ハッキングの事実を公表すると関係者に迷惑がかかることと、ハッカーが新しい標的にしかねないという理由からだです」と答えた。それだけではない何か、特別な理由があるのではないかとの記者の質問には、「何もありません」と、否定することに躍起になっていた。

  首相の会見を受けて次の日に、第三製薬と厚生労働省も記者会見を開きハッキングの被害に遭ったことを初めて認めた。その日は、野村鈴香の家が荒らされ大崎に襲われたことも夜のニュースで初めて報道された。

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