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純セレブスピーカーで聴く!音源マガジン2023年1月23日〜日本人作曲家の管弦楽曲集〜

※この記事はメルマガのバックナンバーを再構成しております。

はじめに

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紙で作ったスピーカー(純セレブスピーカー)の作家いとうじゅんが、
純セレブスピーカーで聴く素晴らしい音源を紹介。

純セレブスピーカーとは?

ダンボール紙の箱で出来たスピーカーです。想像を超える良い音がしてびっくりしますよ。

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今日の紹介音源

嬉しいのか恥ずかしいのか

〜日本人作曲家の管弦楽曲集〜


日本管弦楽名曲集

外山雄三:管弦楽のためのラプソディ
近衞秀麿(編):越天楽
伊福部昭:日本狂詩曲
芥川也寸志:交響管弦楽のための音楽
小山清茂:管弦楽のための木挽歌
吉松隆:朱鷺に寄せる哀歌 Op.12

川本嘉子(ヴィオラ)…伊福部
古川展生(チェロ) …小山
金崎美和子(ピアノ) …吉松

沼尻竜典指揮
東京都交響楽団

録音:2000年7月 東京芸術劇場


日本のオーケストラの海外公演のお決まりのアンコールが

外山雄三の「管弦楽のラプソディ」であることはよく知られるところです。

(※外山雄三氏はさる2023年7月11日ご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りします。)

この曲は、紹介音源第1曲目です。

まずは聴いてみてください。

「あんたがたどこさ」のトランペットが間抜けな感じ。どうにかならないのか。(この部分がカットされたバージョンもあるようです)
まさに、「ニッポン丸出し」の音楽。

これを海外公演でアンコールにするのか・・・

むず痒く恥ずかしい。しかし自分の中の「日本」を呼び覚まされているような気もする。

少し冷静になってみると、

このアルバム自体が、戦後日本人作曲家の「日本人とはなんぞや?」という問題意識を「音楽として聞かせている」と思えてきました。

そう考えてみると、私の感じた恥ずかしさもこのアルバムの構成意図に関係しているのではないだろうか。

そこで、

作曲家が、それぞれ西洋音楽のどこに影響を受けまくったのか?

を想像しながら聴いてみました。

外山雄三「管弦楽のためのラプソディー」
日本の隠したい、でも独自の側面を西洋人に開陳した「嬉し恥ずかし感」

近衛秀麿編曲「越天楽」
まんま雅楽をオーケストラに移し替えた「西洋に学びました感」

伊福部昭「日本狂詩曲」
「日本だ!アジアだ!文句あるか!と開き直った感」

芥川也寸志「交響管弦楽のための音楽」
「これからはロシアだ!プロコフィエフに影響受けまくってます!感」

小山清茂「管弦楽のための木挽歌」
「素材は日本だけど、構成は西洋っぽい感」

これらは日本の西洋からの受容スタイルに似た感じがあります。
そして
最後の吉松隆の「朱鷺に寄せる哀歌」は
「日本を概念(朱鷺)として捉える感」
吉松隆は他の作曲家よりも後の世代であるし、もう西洋から学ぶ、というスタンスではない。「ポスト西洋受容世代」。
アルバムの最後に吉松を持ってきたのは、日本のクラシック音楽(=西洋文化の受容)が現地点を指し示すためだったかもしれません。

と私は妄想してみましたが、皆さんはどうお感じになるのでしょう。

録音、よし!


演奏自体も音楽を真正面から捉えた衒いのないもので
録音も割といいです。

純セレブスピーカーとの相性もかなりいいと思います。変に残響過多ではないし。
ナクソスの録音は初期はかなりダメでしたが、この時期の録音はずいぶんこなれてきた感じです。

ちなみにCDのライナーノーツは片山杜秀氏が担当されており、読み応え十分の内容です。

紹介した音源はサブスクリプションで聴けます。
Amazonミュージック、Spotify、Apple Musicのリンクあり

(Spotifyは無料登録で試聴可)

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