【2024年11月現在】イラスト系画像生成AIとそれを巡るSNS状況に関する私見
前提
この記事はたっくん氏の以下記事、及び
それに反応する形で書かれた塀氏の以下記事
これを受けて自分なりの私見をまとめるものです。
塀氏記事の末尾、「SNS上で種々の議論が散逸することがもったいない」「まとまったテクストが書かれ、批判や感想に耐え、あらたな議論に発展していくことを祈念する」旨に強く同意し、記録として残すことにした次第です。
もし読んでいただく際は、まず上記の2記事に目を通していただくことを推奨します。
自分の立場
大したスキルのない底辺職業ITエンジニアです。
最近は業務に際してChatGPTやCoPilotの助けを借りることがあります。
生成AIや機械学習に関する専門知識はありません。
エンジニア的(と思われるような)思考回路は持っている、かもしれません。
また、趣味として二次創作専門でイラストを描いています。
レベル感としてはただの素人です。
画像生成AIが出始めの頃に活用の方向性を模索して触ったことはありますが、そのままイラストに使うことはしていません。
アイディアが出ない際に参考にしてみたり、背景を描く際に空間・構図を構成する補助として使用したことはあります。
画像生成AIに関する基本的なスタンスとしては、特別に反対はしておらず、出来ることなら適切な活用の方向性を模索していきたいといった感じです。
危惧していること
不確かな情報が流布されていること。混乱と不安が渦巻いていること。
自分なりの判断が出来ずに、周りの状況に流されて行動を選択する人がいること。
絵描きが作品制作に集中できなくなること。本来受けられるはずの評価を受ける機会を逸すること。それにより素晴らしい作品が世に広まらなくなること。
受け手が素直な気持ちで作品を見られなくなること。無用な争いと分断が起こること。
生成AIに関する更なる議論、法制定と改正、権利の確立が必要であることは間違いありません。現在の法やルールがベストだとも思いません。
しかし、SNS上における(特にイラストレーション関係の)現在の状況は、これを前向きに建設的に進められるものでは到底なくなっていると感じます。
ウォーターマークについて
現在、絵描き・イラストレーターの間で投稿作品にウォーターマークを付与しようという動きが盛んになっています。
ここで言うウォーターマークは元々の意味からやや逸脱して使われています。
見かける限り、
①無断転載・転用・自作発言の禁止
②AI学習のための利用禁止
の2点を入れ込んでいるものがほとんどです。
①に関してはおおよそ本来のウォーターマークに当てはまるものでしょう。
分かりやすいところでは、無断でグッズを作られたりすることの対策にはなります。
②に関しては全く趣旨が異なります。
禁止と書いたところで、機械相手には通じませんから実効的な対策にはなりません。
飽くまでも社会的な主張、意思表明ということになります。
ところで、自作のウォーターマークの図案を配布するポストも多く拡散されていましたが、そこでは
「出来るだけ作品鑑賞の邪魔にならないよう、目立ちづらい図案に落とし込みました」
という触れ込みがよく見られました。
敢えて公言せずとも、これを意識して作成された図案は多いでしょう。
①に関しては意味がありますが、②に関してはどうでしょうか。
「主張」「意思表明」であれば、伝わりやすいことが望ましいはずです。
多少なりとも作品鑑賞の邪魔になることが分かっていながら、敢えて作品内に、しかし一見して分かりづらい形で主張を入れ込む…果たしてこれがベターな方法なんでしょうか。
こういった状況を見る限り、「何を目的として、どんな効果を期待してウォーターマークを入れるのか」を自分で把握しないままに行動している人が少なくない、という印象を受けています。
個人的意見としては、AI学習禁止の主張は作品内ではなくプロフィールもしくはポストの文章で書く方がよいと思います。
また、鑑賞者の立場としても、実際にウォーターマークの入ったイラストを見ると、どうしても作品本体より文字の方に注目が行ってしまいます。
そういった印象の問題を描き手がどう捉えているのかも気になるところです。
AI学習阻害ノイズについて
ウォーターマークだけでなく、画像にノイズを付与してAI学習を阻害するツールの使用する動きも盛んになっています。
ところで、「AI学習を阻害する」と言ったとき、それは具体的にはどういう効果があり、それによって何が防げるのでしょうか。
よく名前の挙がっているツールはGlaze, Nightshade, emamoriの3つですが、emamoriの運営がこのような記事を投稿しています。
上記部分で要点がまとめられています。
Glaze/emamoriとNightshadeでは全く目的が異なるということです。
この目的の違いはたいへん重要だと思うのですが、現状これが理解されているのかどうかも正直怪しいなと感じています。
実際に効果があるかどうかに関しては、専門的知見もなく、検証も困難であることから、判断は差し控えます。
しかし、効果については程度問題であって、効果は薄いとは言えても、効果ゼロ…つまり全くの虚飾に過ぎないツールであると主張するのは無理があるでしょう。
Glazeが出始めの頃は見て分かるノイズ(jpgの劣化のような)が乗っており、これは流石に作品の価値を棄損しているだろうと思った記憶がありますが、改善はされているようです。
目的を明確にした上で、意思を持って使用するのがよいと思います。
しかしながら、学習阻害ノイズにも「意思表明」の意義があるという主張には疑問が残ります。
ウォーターマークのくだりと程近い話ですが、学習阻害ノイズは人間の目で見て分からないことが望ましいもので、それを目指して改善されています。
見て分からないのであれば、意思表明の効果はありません。
では「この作品にはAI学習対策のためGlazeによる加工を施しています」などと毎度書き添えるのでしょうか。
それならば、素直に作品外でAI学習禁止・反対を主張したらよいのではないでしょうか。
学習阻害の効果があると信じ、デメリットも理解して使用している人への指摘こそ自由意思の否定であり、意思表明として使用している人への指摘は、むしろ論理的整合性が取れているように思います。
X社の規約改定について
規約は変更されたわけではなく、AI学習に関して明文化されただけ。
投稿内容のAI学習は以前から行われている。
これは既に述べられている通りです。
ところで、このような
「規約改定後からAI学習されるという情報は誤解である」
という主張に対して、
「そんなことはみんな分かっている。そうではなく、これで規約に同意したことにさせられる。そうしたら文句も言えなくなる。それこそが問題だ」
といった反論が付く様子を、X上で何度も見かけました。
正直これは、取って付けた反駁にしか聞こえないというのが正直な感想です。
前項で述べた通り、ウォーターマークにしても、学習阻害ノイズにしても、目的が明確でないまま推し進められている動きであるという状況に見えています。
「Xの規約が特段変わらないことは、みんな分かっている」
果たして本当にそうでしょうか。
状況が整理されていれば、例えば「X社のAI学習データに使われたくないから(ウォーターマークやGlazeではなく)Nightshadeを使用しよう」という動き方もあって然るべきかと思いますが、一度も見かけたことはありません。
反AI思想の陰謀論化について
これは個人的にも、かねてより感じていたことです。
「陰謀」というと語弊があるかもしれません。
しかしここまで述べてきた、不確かな情報が流布され、不安が煽られ、適切な判断が出来なくなっている状況は、陰謀論が育つのに極めて適した土壌です。
現に起きている事件として、AI生成画像疑惑をかけるという魔女狩り的な糾弾があります。
生成AIを否定・批判する理由はどこにあるのでしょうか。
イラストレーションの世界においては、アーティストをリスペクトし、権利や作品価値を守るためではないのでしょうか。
生成AIの使用自体を悪として疑惑を投げつけ糾弾するような行為は、その目的を見失っているとしか言えません。
これを受けて、むしろ生成AI推進派による成りすまし的な犯行じゃないかという見方をする人も見受けられました。
そんな話になってくると、もはや陰謀論に片足を突っ込んでいると言われても否定は難しいでしょう。
AI生成画像を見分ける"嗅覚"について
はっきり言って、実にくだらないです。
これは画像生成AIの本格登場当初…AI画像とそうでない画像を見分けるクイズなんてものが流行っていた当時からずっと思っています。
というか、「見分けられる」という幻想こそが有害です。一刻も早く捨ててください。
現状、「AI生成っぽい」と感じられるような特徴は確かにあります。
「AI生成画像じゃないか」と疑いをかける行為が悪質なのは先に述べた通りです。
自分自身でも人の作品を見たとき「なんとなくAI生成っぽいから、評価に足る作品ではない」と感じてしまうことがあります。
しかし、そもそもこういう価値判断軸を持ってしまっていることがよくない。
実際にAI生成画像かどうかを証明することは不可能です。
AIが関わる画像の中で、ポン出しの画像もあれば、出力画像を加工・補正・加筆しているものもあれば、出力画像を参考にトレスや模写をして作ったものもあるでしょう。
どこまでだったらセーフというルールもありません。
タイムラプスを残そうが、手元動画を録ろうが、検出ツールのようなものにかけようが、不可能なものは不可能です。
(生成AIが良くないものという前提の下で)AI画像じゃないかと疑うこと自体が失礼で、リスペクトに欠く行為です。
健全な作品鑑賞体験でもありません。
「見分けられる」という幻想を持っているから、そういう見方をしてしまう。
生成AIに反対するならばこそ、努めてそのような姿勢をやめるべきです。
「見分けられる」という自信を持っている人はどうも、「AI生成画像に価値はない。人間の作品にこそ価値がある。見分けられることがその証明になる」と考えているように見受けられます。
「一見して素晴らしい作品だと思ったが、実はAI生成画像だった」という経験がある人は多いでしょう。
「見分けられる」人はそこで、「AIにも素晴らしい作品は出力できる」でもなく、「見分けられない自分の嗅覚が悪かった」でもなく、あちこちに話をスライドさせてAIの悪い点を主張し、自分を正当化する方向へ進み、反AI的な態度を硬化させていく傾向にある気がします。
じゃあAI生成画像も人間の作品も同列に扱い評価するべきなのか、と問われれば、それは違うと答えます。
イラストに客観的な良し悪しの評価はありません。
技術的な上手い下手はあります。
しかし、上手い作品が常に良いわけではありません。
どんな作品のどこに良さを感じるかはあなた次第です。
その良さは、必ずしも画像からのみ感じるものではないはずです。
作品のバックグラウンド…作者がどんな経歴でどんな人物でどんな努力をしてどれだけ苦労してこの作品を仕上げたか…そういった情報も「良さ」を構成する重要なファクターでしょう。
素晴らしいと思った作品が実はAI生成画像だったのならば、AI生成であることを加味して自分の中の評価を変えればいいだけです。
「一見して良いと思ったが、私にとってAI生成であることはマイナスポイントなので、それを知ってからは良いと思えなくなった」という態度は何も悪くありません。
やや脱線すると、所謂オタク界隈には「作者と作品は別、切り離して考えるべき」という謎の言説も蔓延っており、この悪影響もあるように感じます。
作品を定量的に評価したり批評する際には、個人的な好みと切り離すことは確かに重要です。
しかし批評にあたってもバックグラウンドを踏まえた作品解釈は必要ですから、何でも切り離せばよいというものでもありません。
個人的な作品鑑賞であれば尚更、作品も作者も全てひっくるめて好きなものは好き、苦手なものは苦手、で何の問題もないはずです。
私は二次創作(ファンアート)を描いている身です。
しかも大して上手くもないので、AIを使えば自分で描くより美麗で見栄えのする画像を出力できるでしょう。
これは信仰の域でしかないですが、AI出力画像は飽くまで「似た風貌の誰か」であり「そのキャラクター」ではないと考えています。
温かみがどうとかは全く分かりませんし、AIでそれらしい画像を出力することにも反対はしていませんが、人間が描いたイラストには人間が描いたという点においてAIには決して満たせない価値があると思っています。
終わりに
書いていると熱が入って長い記事になってしまいました。
生成AIに反対していないし、今のSNS上の状況にうんざりしているし、危機感も感じている。
しかしAIを使わずイラストを描き、人間の描くイラストに価値を感じている。
そういう人間がいることだけでも伝われば幸いです。
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