中坊と母のエジンバラ #1
ほぼ無音で爆走する高速鉄道の車窓から、北海の水平線が見えてきた。
列車はいつの間にかイングランドとの境界線を超えてスコットランドの海沿いの線路を北へ北へとひた走る。
ヨーロッパの中でも北の方に位置するここスコットランドから真東を見ると北欧だ。
北欧、行ったことないが、もうここは北欧だと言っていいんじゃないかっつうくらいの緯度である。
そのまま真横に世界地図を日本の方にずらしていくと北海道を遥かに超えてカムチャツカ半島だ。
この車両から外に出たらあたしら母子、ちゃんと呼吸できんのかな。
晴れ渡った青空の下、何を育てているのか、そもそも何かを育てているのかどうかも分からない荒野を抜けて、Edinburgh Waverley駅着。
スコットランドの中心となる駅の1つである。
首都エジンバラの街中心部、落差十数メートルはあるかと思える大きな谷間にあるその駅のプラットフォームに降りて車両を見上げる。
背景にいきなり、「ザ・スコットランドーー!」みたいな建物が数棟見えて本気でのけぞる。
ベージュ色の砂岩らしき石材で作られているそのホテルは、長い年月そこに立ち続けているうちに雨垂れやらなんやらが顔面いっぱいについてものすごい貫禄だ。谷間にいる自分達との落差も手伝って高層ビルの様な高さから中坊と母を穏やかに見下ろしながら、
「君たちよく来たな。楽しんでいきなさい。」
とバリトン声が聞こえる気がする。
ロンドンからここエジンバラまで約4時間かけて600km自分らを運んできてくれた特急の車体も改めて見てみる。
側面にAZUMAと書かれているのがどうしても気になってググってみると、やはり日本メーカーの車体。
先頭車の顔面に施されているカラーリングは歌舞伎の隈取りをイメージしたものらしい。言われなきゃわからないくらいのデフォルメ感がちょうどよい。何十年も前にテレビCMでこいつの先輩らしき車体をみた気がする。
大きなスーツケースを抱えてどっち側に歩きだせばよいのか判断するのに戸惑っていると、プラットフォームの反対側から突然
「ッドルン!ブルブルブル。。。!」
と音がしてそこにある車体の1両がドルドルドル。。。と数秒間震える。
屋根の上に突き出している煙突らしきものからはモヤモヤと黒煙が吐き出される。流線型の新型車両っぽい外見と原始的な動きのギャップがものすごい。
ディーゼル車だからっつって、それにしてもエンジン音が直接的すぎて面白すぎんだろ。
プラットフォームをうろつくもエスカレーターが見当たらない。長距離路線のメジャーな駅であるにも関わらず、ここのホームからは階段か、超激混みのエレベーターかの二択らしい。
仕方なくエレベーター乗り場に行くと、私ら母子と同じ様にでっかいスーツケースを引きずっている人達がずらり数十人不満そうな顔をしてなかなか来ないエレベーターを待っている。ここの設計したやつぁ一体どこだ出てこい。
ガラス屋根に覆われた陽光あふれる広大な駅構内を抜けて、出口前の最後の階段が数十段ずらりと目の前に壁の様に立ちはだかる。
息子よ。文化部なのに無駄についている君のその筋肉の威力を、今こそ存分に発揮したまえ。
中坊、不満そうな顔で一気に2つのスーツケースを見事、駅の出口まで運ぶ。
通りに出る。
さっき見えた古いホテルと並んで同じ様な様式の建物がずらりと並んでいる。
旅番組とかで外国の街を旧市街と新市街に分けて紹介するのを何度か見たが、この街もまさしく新、旧市街の両方があるらしく、いま自分らがいるのはより歴史深い旧市街の方。
世界遺産にも登録されている石造りの大都会を口を開けて眺める。建築に施されている彫刻のそれぞれの要素はロンドンのそれとなんら変わらないようだが、その散りばめ方や全体の構成に特徴があるのか、街全体で見るとどこか妙な土着っぽさを感じる不思議さ。
この異国感あふれる街並をテレビの画面で見ているのではなく、今自分らが実際に立っている事をきちんと把握できるまでちょっと数分くれますかね。
はっ。と我に返り、とにかくまずはこの美しすぎる街を歩いてみよう。
駅に隣接しているギャラリー兼カフェがある。
Fruits Marketとのかわいいサインがある古い建物は昔は野菜や果物の市場だったらしく、新しく改装されている内部は白いカジュアルな空間だ。
お昼をとうに過ぎている時間だからか、カフェでは待たずに席についた。
スコットランド独特の料理なんかをいきなり頼んで、「なんじゃコリャ?なんの肉?」みたいなのをしたかったのに、ここでは至極ユニバーサルなサンドイッチやキッシュなどのメニューが並んでいる。
それも嬉しいので素直にいただいてみる。
感想としては、すごくしょっぱくてすごくうまい。例えるなら牛タン定食の牛タンが既に塩っ辛い味付けなのにさらに漬物がついてくるあの感じだ。
どうやらギャラリー併設らしいので特に説明を読まずに素のままで絵画とインスタレーションを眺めてみる。
暗い空間にインスタレーションが数作品並んているのを見たりして、スコットランドで最初の、あんまりスコットランドらしくもない数時間を過ごす。
ロンドンに初めて着いた日、既に周りが夜の暗さで駅から一歩も動けなかったのを思い出し、二度と同じ轍は踏みたくはないのでまずは真っ昼間の今のうちにホテルに向かおう。さっさとタクシーだ。
順番が来て乗り込むとインド系の運ちゃんのマシンガントークの始まり。
ここはハリー・ポッターの聖地 ←知らんかった。
今は1年のうちで一番街が賑やかになるフリンジ フェスティバルの時期 ←知らんかった。
さらにエジンバラ城ではバグパイプの大規模な演奏会「Military Tatoo」が開催される貴重な時期 ←全く知らんかったしなんでバグパイプと入墨(tatoo)が結びついてんだか。
君なんも知らないでここに何しに来たのぐらいの事を言われて、知らないから面白いんじゃんと答えたりして賑やかな10分程度を過ごし、
気づけば街中を抜けて郊外に。
更に森の中にある長いアプローチを数分抜けた先に見えた。
一生に一度は「お城」と呼ばれるところに泊まってみたいと考え予約した、Melville Castle Hotel。
繰り返します。
メルビル「キャッスル」ホテル、
でござあすの。
芝生と砂利の広場の中央に、堂々たるその姿を見せている。数本の塔が要塞のような壁で繋がってる横長の左右対称の三階建の上に屋根裏部屋。
街中で見た砂岩とは違う灰色の石材で作られているように見える。
とても重厚でイカツイが、整然と並んでいるガラスの窓の開口が大きく取られていて、敵から身を守る的な目的は薄そう。
お城の定義が何なのかは定かではないし、ここのはお城と言うより、昔のオカネモチが財力に任せて建てたお屋敷、という方が近いかもしれないが、名前に「Castle」がついているので何が何でもお城だ。
実際に中世の要塞を兼ねた古城になるとガチで人が殺しあったり拷問受けたり首チョンパされたりしている物騒な現場の可能性があるので、夜寝る時に宙に浮かぶ甲冑とか見えそうでコワイ。
この現在のMelvile Castleが建てられたのは18世紀らしいのでたった200年ちょいしか経っていなくてちょうどよい塩梅だ。
たった200年。この国に着いてから10日程度しか経っていないのにすでに古さの感覚がおかしくなっている。200年前なんてツルッツルのピカッピカじゃんなんて思ってしまう。
重厚な建物を目にして、いいの?ここ入っていいの?合ってる?と言いたげな表情の息子に構わずフロントドアを開ける。
ジョージアンスタイルの大空間が出迎えてくれる。いつもこういうとこ来てますみたいな雰囲気を無理して出そうと、無駄にキョロキョロするのはやめようと思ったがやっぱり眼球はキョロキョロしてしまう。
この空間に溶け込んでいるこじんまりとしたデスクがレセプションらしい。メガネをかけたインド系のおばさまが出迎えてくれた。エレベーターがないのでお兄さんが2人がかりで2人分のスーツケースを上階まで運んでくれる。
はい。ここで、ほんとすんませんすんませんみたいな雰囲気出しちゃだめ。あくまで想定通りみたいに振る舞って、階段上がりきったら穏やかな微笑と共に「助かったわありがとう」、だ。
が、イメトレとは裏腹にやっぱり私の中のニッポンのサラリーマンが出て、「テ、テンキュー」、と腰低くおじぎしたりして、不慣れが過ぎる。
木製の白い扉を開けて部屋の中に。
優しいグレー色の壁で囲まれた部屋の中央にキングサイズの真っ白なベッド。小さな傾斜窓と天窓、バスルームの窓から、ふんわりと心地の良い自然光が部屋全体に行き渡っている。位置的に一番上の部屋で、天井が全体的に傾斜してることを見ると屋根裏部屋だ。今は内装が施されててスッキリとしているが恐らく昔は使用人の部屋とかだったんじゃないか。
サイコーじゃねーかー。
何がサイコーって、屋根の一部が傾斜窓になっているおかげで前述の塔がすぐそこにみえる。建物って一旦中にはいると自分がどんな建物の中にいるか分かりづらくなることが多いが、ここは部屋に居ながら、ソファに座りながら、お茶を飲みながら外観をしかもこの建物の中で一番特徴のある塔がみえるんだ。
いったん落ち着いてから、ちょっと散歩してみるか。
母子で全面の広い前庭に出てみる。荒い砂利の上ををガシャガシャと歩いたあとに芝生がある。ロンドンでもそうだったが、この国では芝生は気持ち悪いくらい真緑の絵の具色だ。
一旦振り向いてみる。
紛れもなくそこにはお城がある。
タレットと呼ばれる円筒形の塔のてっぺんには内側から銃で敵を狙う際に身を隠せる様にギザギザの壁がある。この城が建てられた時代にはそんな機能が役に立つ機会は少ないはずなので、これらはあくまでも意匠的な意味でつけられたと想像する。
思いっきり和顔の短髪の息子の姿をこんな背景で見ると、浮いちゃって浮いちゃってもう笑っちまうみたいになるかと思いきや、意外とそんなに違和感はないのが面白くない。
敷地は周りを森で囲まれている。
繰り返します。お城の周りを森が囲んでいるのです。
円錐型の樹木が砂利道の奥まで続いていたり、足元を見ると白や黄色の可憐な花が地面を覆っていたり、その花たちの蜜を吸う甲虫がいたり。
この森の奥から妖精の歌声とか聞こえちゃったら一体あたしらどうすれば。
森の奥深くまでハイキングコースのようになっているらしいが、そこは非日本。身長156センチのちんちくりんの母親と細っこい中坊の二人では無防備すぎる。スコットランドは比較的安全らしいしそんな雰囲気もあるが、念の為やめておこう。
ひらけている場所限定で歩いてみると敷地内に小川と橋がある。川を見ると反射的に水遊びをしたがる息子ははしゃいで水面近くに降りてみるが、意外と水は透明度が低い。丹沢の水のほうがきれいそうだ。忘れそうになっていたがエジンバラは大都会なので当たり前だ。
あまり食欲がないがそろそろ夕食の時間。
公道から車でアプローチを数分抜けてから着くこのホテルはいい具合に陸の孤島だ。気軽に外に歩いていって街でレストラン選ぶっつうわけにはいかない。
地下にホテルのレストランがあるらしいので、せっかくお城にいるんだし行ってみよう。
地下牢に続く様な階段を降り、壁には松明を模した薄暗い照明がついている空間。低めの天井の下、既にテーブルについている宿泊客の方たちの声が賑やかに反響している中、通された席に座る。
メニューを見てみるが意外とリングイネだのタイ風なんとかだのお城っぽくないメニューが並ぶのでよくわかんなくなり結局「すごくお腹すいてるわけじゃないんだけどなにが良いと思う?」と聞くと、Breaded haggis truffles and whiskey creamというのを勧められて、はあ。。。じゃあそれで。。。
ハギス。聞いたことがある気がするが全くどんなものだか分からない。あえてググらずちょっとドキドキしながら待つと、出てきたのは直径3.5センチくらいの球形のコロッケみたいなの3つ、マッシュポテトとウイスキーソースらしきものを添えて。
ちっさ。
だけどこれは紛れもなく海外旅行でよくある「思ってたんと違う」ってやつだ。これを待ってた!
恐る恐る食べてみる。ちょっと血の味のするメンチカツか?しょっぱくておいしいけどなんの肉が入ってるんだか分からない怖さ。
ビールに合いそうなのでビールはあるか聞いてみる。
これを書くとスコットランドに行って何ビール飲んでんねんとスコットランドファンから怒号が聞こえてきそうだが、自分には学生の頃スコッチウイスキーのGlenfiddichを飲んだ後五日酔いに苦しんだ経験があり、どうしてもウイスキー系は香りを嗅ぐだけで満足してしまうので私にはもったいないのです。
息子の分の飲み物は色々調べるより聞いたほうが早いと思い、ソフトドリンクを聞くと、ウェイターの方が開口一番「✕△%%◯✕は間違いないっす!!」と。
「✕△%%◯✕」(多分その飲み物の名前)の部分だけがわかんなくて、これ僕が子供の時から飲んでるやつ、サイコーなんですよ超レコメンですみたいな事言ってるので彼の温度にやられてじゃあそれで。
出てきたのはIron Bruと書いてあるオレンジ色の350ml缶。グラスに注いだらこれまた鮮やかなオレンジ色の液体。この液体で万年筆で字がかけそう。
息子は14歳なのでこういう極彩色の飲料には抵抗なく、グイっと一口。
こんな美味しいものが存在するなんて!!が顔面いっぱいに表示された。
母も一口とグイ。
なんじゃコルぁ。
しいて例えるなら、極彩オレンジ色の工業用香料入りインクを炭酸水で薄めて砂糖どっさり入れた感じで見た目まんま。
以前アメリカで飲んだルートビア(歯磨き粉フレーバーの炭酸水に砂糖を入れた感じのやつ)と味が向いてる方向は似てる気がする。
そしてこの日を境に、息子はイギリス滞在中ずっとIron Bruを好んで飲み続ける人となった。
つづく。