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「察してちゃん」的思考

嫌われる勇気を持つ。まさに私の核だと思いました。

「嫌われる勇気」
結局、これなんですね。
以前に、本を読んだ気がします。 
言葉も何度も聞いているし、また知っている気になっていました。

昨日の投稿での
自分の意見を言うこと。
大きなものごとや権利に対しては、言えるけれど
そうでもない、小さなところには目をつむっている。

「どこかで、誰かが見ていてくれているだろう…」
なんて思っているところが、無いとは言い切れない。

昔よりは、随分言えるようになってはきましたが
確かに、まだどこか「察してちゃん的思考」です。


小学生の頃に、友達から言われたこと。

「悪くないのに、なんで、いつも「ごめん」って謝るの?」

何かモノを頼んだ時に、相手が受けてくれたら
「ごめんな」と言うなどなど…。

謝っているつもりはないけれど
小学3年生の私が考えて,人間関係を円滑に回すのに
「ごめんな」は最適な言葉、だったんでしょうね。

その言葉をかけられた時に、私自身も「何でかな?」と考えて
私はクラスの誰からも嫌われたくない、クラスの全員から好かれたい
と思っていたことに気づきました。
これは友達にはいいませんでした。(変わった小学生でした)

その頃の私って、感情を出さずに、表面的に生きてる子だったと思っています。
大人からの評価は、大人しく、しっかりした、いい感じの子でした。

だから、大人になった、今の方が自分を出せていて
ある意味、子どもみたいな生き方をしているな、と感じます。

本当はそういう生き方に、憧れていたこともあってか
今思ってみると、女友達はだいたいが、はっきりとモノを言うタイプです。
私よりも「察してちゃん」傾向の強い人は
友達にはいませんね。

この思考に「察してちゃん」と名付けてもらえたことで
随分、解決に近づきました。
行為に名前がつくと、自分に対して見える化できて
意識の度合いがまったく変わってくるし、冗談でも使えるし。
また、徐々に私が変化していける、と思いました。

あと、ちょうど今日、香田有絵さんの本を読みました。 


今の思考にぴったりで
自己主張と自由とが両立していて、精神的に自立している
フランス人の生き方って、とても魅力的に感じました。

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