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小学校の卒業式の言葉に、生き方の未来予想図を考えてたみたい

今日は、ぐっすり眠れました。少し余裕があるので、珍しく朝に投稿してみます。

最終決定は自分の力で
幸福度と、自分の足で歩いて行っていることの関係

確かに子どもの頃、親にやらされていたことが多くて
楽しくなかったんです…
ほとんど、自分で決めてきたことがなかったし。

中学生、高校生あたりから
自分の足で歩いてきた気がします。
大学の進路は大きな分岐点(大した進路ではない)でした。

結果ではなくて、自分ではとても満足です。

それから、自分の足で歩いています。
スマートではなくて、とても泥臭い感じですが。

組織の中でも、失敗した時に非難しない
心理的に安全な場所、って大切だなと考えていて
家庭のことを考えると
長男は、なかなかはじめの一歩が踏み出せない(と思う)

小さい頃は、ずーっと、ダメ出しばかりしていたこと
それが、ダメだとわかりながらも小6くらいまでは
ダメ出ししてたかな。

高校の頃は、大学卒業後
今は老後のこと 生涯賃金 
私よりも先をいつも考えていて、完璧にちゃんとしようと頭でばかり考えて
シミュレーションばかりが大きくなって
なかなか一歩がむつかしい…

けど、自分で少しずつ歩いている部分も増えてきて
なぜか今、新聞配達とスーパーバイトしたり
ボーリングのマイボール作って一人で行ってたり
高校のクラブではバドミントンをやっていたけれど
テニススクールに自分で行きだしたり、ちょっと自分で判断して

人にどう見られようと
自分がやりたいと思うことを、できるようになってきたところが
母は嬉しい。

周りがどう思うかでないということが、わかってきたのかも。

最終決定は自分。

課題に答えながら思い出したことがありました。
小学校の卒業式で
卒業証書をもらった後、全員何かひとこと言う場面がありました。
大人しくて、声の小さかった私にとっては
何をさせるねん…という感じでとても嫌なことでした。

課題に答えていると、ふとそこで言ったことを思い出しました。

「正しい判断のできる人になりたいです」

その時には、大した意味はなかったと思いますが
50歳を過ぎても、覚えているくらいなので
ずーっと無意識の中に残っていたように感じました。

小学生の時の私が、決めたから
いつも自分で考えてきたように思いました。

生き方にこだわりがあるな、ポリシーみたいな強いものがあるな
と自分でも感じていましたが(なぜだろう?と思っていましたが)
生き方の未来予想図を
小学生の頃に決めて、ずっと持っていたかも知れないな、と思いました。

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