面白いくらいに、小4の壁。
今日は小説ネタからは離れて、、、先週書いていた内容をアップします。
ちょっとしたぼやきみたいなものです。
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娘が「小4の壁」まっただ中である。
4年生になったとたんに、面白いくらい、みるみる変化しだした。
文句が多い。
いらいらする。
誤魔化したり、ズルをする。
親の財布からお金をくすねる。
宿題を嫌がる。
いろいろ出てくる出てくる。
最初は、
「これが反抗期?」「最近の子は思春期が早いというから?!」と思って見ていたが、
いよいよ困って調べてみたら、「小4の壁」という状態によく似てる。
おもしろいくらいに毎日事件が起こる。
それらのほうが、よほどリアルな小説ネタになるのでは?と。
だけど、親の立場としても動揺がまだあるし、方向性も安定してないので、ネタにできづらい。
現在進行形の経験は、たいてい、まだまだ未消化である。
父親である夫の考えや方針と、私の考えや方針も、
すべてにおいて100%一致するわけではなく、
父母、夫婦でも、子どもへの教育や接し方でぶつかり合ったりする。
話し合いもその都度するが、いっこうに方針が一致ししない。
夫の我が、強いのではないか。
いいかげんあなたも学習してくれと、何度も言っている。
最近、あらためて、
夫は、まじめなんだなあ~正義感が強いんだなあ~と思った。
「○○できないと、駄目だ」
「××して、当然だ。」
という言い回しが多いし、
スクリーンタイムを削るために、
テレビやタブレットを制限したり、
何かとダメダメと禁止したり、命令形が多い。
「厳しすぎて失敗する親」の見本になれそうだ。
わたしは、
アドラー式といってもいいのかどうかわからないが、対話型だ。
生業でも同じようなことやっているが、
教え子に命令形で指導することは、ほとんどない。
自分の子どもの教育と、他人の子どもの教育では、
違うというのは百も承知。
だけど、
やっぱり命令形や一方的なのは、私の趣味じゃない。
「~~しましょう」
「~~するといいね」といった、呼びかけ型が多い。
「どうして~~したいの?」とか、
どうしても何かが駄目なときは、
あらかじめ、
「~~は駄目だから、やめよう。なぜなら~~だから」と説明する。
必要とあれば、
命令形やキツイ言い方もするけど、それは指導として必要なときだけ。
もしくは、自分が耐えられなかった時。
なるべく、
当人の考えとの折衷案や、
当人の声や意志もなるべく反映させようとするタイプ。
それが、
夫に任せていると、ほぼすべて、勝手に親が決めてしまう。
宿題も、本人だけでは手が回らないからと言って、
昨年から通っている個人経営の補習塾の先生に、
塾のワーク以外にも、学校の宿題も見てもらうように頼み込んだ。
娘は、他の子はそんなことしていないし、
目立つから、
恥ずかしいと言っていやがってる。
そもそも、塾も嫌いなのに、ますます勉強嫌いになるやり方だ。
夫は、牡牛座だから、じつはすごく「オレオレ」で、
何事にも主導権を握りたいタイプ。
なんやかんやで、いつも自分が一番正しいという感じで、
そういうタイプだったよなあと、
今更になって、客観的に思った。
夫婦間では、
それでなんとかなるとしても(私が受け身が好きな人間なので)、
教育や子育てに、それで治まるとは限らない。
というか、「小4の壁」の場合は、
むしろ逆効果で、
火に油を注ぐような感じになっている。
面白いくらいに、
個々人の本質が出るなあと観察している。
クラスと担任。
小学四年生の娘の葛藤や苛々する様子をみていると、
自分の同じ頃を思い出す。
クラスが変わって、担任の先生も替わり、
同級生に発達障害の子がいて、
その子は「何をしても許してやって」とあらかじめ言われているそうだ。
で、その子に、結構、娘もいやなことをやられていて、
他の子たちもそれぞれに、「え?」と思うことをやられているのだが、
はなから「何をしても、許してやって」と言われているので、
怒れない、キレられない、反撃できない、
先生に言っても、あまり注意してもらえない。
やられっぱなし。
我慢が多い。
そんなクラスだそうだ。
教育現場でのいろいろを見ているので、
発達障害の子への考え方、接し方も、親なりに話している。
が、
やはりその子の特質や環境、その場にいるメンバーなど、
状況によって対応も異なるので、
なにが正解かというのも、わからない。
娘もそうやって不合理を学んで、我慢を学んで、
成長するのだ。
そう思うしかないので、
とりあえず、親としては話を聞いて慰めている。
ただ、あまりに限度が過ぎれば、
担任に相談し、事実確認をするしかないだろうな。
それに加え、
小4になって算数も難しくなり、
勉強や学力面で、更なる悩みや自信の無さもあり、
他の担任より宿題を多くだすという学級担任の先生への、
嫌い度数が、雪だるま式に大きくなっている。
なのに、先生は、
同級生がなにかすると、すぐ誤解して、強く注意することが多いらしい。
それに対して、娘なりに正義感を抱いている。
面白いくらいに、担任の先生を嫌いになっていく。
こうやって、大人の欺瞞や、
大人社会のダブルスタンダード、
本音と建て前を学んでいくんだと観察。
子供の頃はそんなふうに俯瞰できないから、
感情的になるし、本気で嫌になってしまうんだろうな。
そういうことも、
大人になったからこそ、客観的に見えること。
私自身も、
渦中の小学4年生の時は、
わけのわからない混乱の中だった気がする。
まず、父親のことが嫌いになった。
私は車酔いが強い子どもだったけど、
その頃の父はたばこを吸っていたので、
平気で、運転しながらたばこを吸い、
その煙やにおいでいつも気持ち悪くなった。
おまけに、マニュアル車だったせいか、
父親のブレーキの踏み方やクラッチの切り替え方が下手で、
がくがくする運転で、
父親の運転だとたいてい気持ち悪くなった。
それでも、たばこを吸うのを我慢してくれない。
せめて、車で移動中は、たばこを吸うのをやめてほしいと言っても、
やめてくれなかった。
今思うと、父も自分しか見えていなかったんだろうな。
仕事のストレスなのか、なんなのか。
父もその頃40代くらいで、忙しかったんだとおもう。
今は年老いて、だいぶ丸くなってきたけれど、
その頃は、まだまだ頑固で、自分を折らなかった。
私はおとなしい子どもだったから、反抗的になることは少なかったけど、
それでも、
何かに束縛されて、管理されて、押さえつけられているような、
不自由で息苦しい、もどかしい気持ちだった。
大人の理屈には、言葉でも行いでも勝てないので、
ただただ悶々と葛藤していた気がする。
いま、自分自身も親になって、子育てする中で、
よく自分の子供時代と親のことを振り返る。
すると、
その頃の自分の両親の方がもっといい加減だったし、
結構、大人の権力で、
問答無用に言うことをきかせていた。
それに、悩んでる風には見えなかったと思う。
自分の親みたいにしたら、楽だろうなぁと。
私だって、あの頃の親と同じくらい、
否、
親よりももっと、
職場でも環境でも、状況はハードな方だと思う。
でも、私と、私の娘でも、
かなり性格や個性も違うから、
同じようなやり方で子育てしたところで、
吉とでるか凶と出るかはわからない。
大体、そういう親の態度が嫌だったから、
今の自分は、
大人として言葉で説明して、
子供にと納得してもらいたいと思ってるのかもしれない。
でも、考えてみれば、
いくら説明をし尽くしても、
納得できるかどうかなんて、分からない。
子供にとっては、
嫌なものは嫌で終わってしまう場合もある。
ただ、説明してくれたというこちらの誠意は、
相手には伝わるのでは?と信じてる。
それに、私の場合、
一方的に押し付ける大人だけにはなりたくない。
そういう自分でありたくないのだ、人として。
自分は、
随分理念的なことで、子育てに悩んでるなぁと思う時がある。
理想的、理念的な子育ても、
どこかに限界はあるんだとも気づいた。
親だって人間だし、感情もある。
ましてや、子育てだけして、生きてるわけじゃない。
仕事していれば会社でもいろいろあるし、
自分の体調だって悪い時もある。
そういう状況で、試行錯誤しながらやっていく。
十分がんばってるんじゃないかと、
自分に言ってやりたいときもある。
そして、私自身も、私の性格や癖に気づいていく。
いくつになっても、どんな立場になっても、
結局気づきだし、学びなんだなあ。
娘の子育てを通して、
私が経験してることも、そんな感じです。