104 漠然とした

 タマキの家の表札は壊れたままだ。去年は父親が直してくれるとか言っていたくせに、結局そのままらしい。チャイムを鳴らすまでもなく、ラインに既読がついた。少しして、バタバタと足音がする。玄関が内から開く。ミントグリーンのハーフパンツから白い足が伸びていて、裸足でここまで来ていることに気付く。せめてサンダルを履け。まるっこいフレームの眼鏡をした女がにやにやと「どうぞぉ」と言った。
 二階の彼女の部屋は、ちゃんと足の踏み場があって、スナック菓子のにおいも甘ったるい香水のにおいも無くなっていた。その代わりにぬるい空気が蔓延していた。暖かいのではなく、換気がうまくいっていないような居心地の悪い保健室みたいな感じだ。制服はクローゼットの中に仕舞われているのだろうか。見える範囲に登校に必要なものは一つも無かった。
「つまんなそうだね」
「……つまんない」
「分かってんだろって言いたそう! あたり?」
「元気なら来いや」
「ガワは元気なんだけどねぇ」
 続けてへへ、と笑う。次に何と返せばいいのか分からなくなって、しばらく無言でいたけれど耐えきれず彼女のベッドに大げさな音をたてて飛び込んだ。ワイシャツが縒れるのはどうでもよかった。タマキはため息なのか笑い声なのか分からない息をこぼしながら右隣に掛けた。元々白だったシーツは色あせていたしピンと張ってもいなかったけれど、妙に肌になじむ。においを嗅ぐのはやめた。こんなとこも保健室っぽい。
「なーちゃんは大丈夫だよ。頭いいし」
「進路なら心配されんでも」
「違うって。クラスにあたしがいなくても大丈夫」
 どんな顔で言っているのだろうか。起き上がろうとして左腕に力を入れたのに、右隣から彼女が倒れ込んでくるものだからわたしは押しつぶされてしまった。パイル地と肌が触れてくすぐったい。
「邪魔なんだけど」
「なーちゃん、あっつい」
 じゃあくっつかなきゃいいとは言えなかった。ずっとこうしているはずだったのだ。保健室でも良いから、日々の数分わたしの隣にいてほしかった。

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