母は手負いの虎だった2 「これじゃないってものを差し出されても人は受け取らない」
幼い頃のわたしに、母から浴びせかけられる
「わたしの子どもとは思えない」
「本当に嘘つきで嫌な人間」
「あなたは冷たくて薄情」
「売女みたいに男に媚び売って」
などの言葉を聞くたびに。
幼心なりに
『うちの親、おかしいな』
と感じました。
相当おかしい。
わたしの真実とも事実とも違うことを言われている。
そうわかってはいても。
思ってはいても。
毎日、昼夜問わず、夜中に叩き起こされてまで、そう言われ続けていると。
ふと
『わたしが受け入れれば終わるのか?』と思い始めます。
冤罪自白強要の心理でしょうか。
どんなに深く傷つき、悲しく、孤独に打ちひしがれても。
2日にたった数時間あるかないかの。ちょっと母からお酒が抜けて、会話や笑いが生まれたりする時。
それが嬉しくて、嬉しすぎて。
『母は苦しさ故にあんなことを言うのだ。なんとか力になって立ち直ってもらって、この人を喜ばせたい。』
という呪いがさらにかかってしまいます。
母は「わたしはお酒飲むこと以外は完璧」とよく言っていました。
しかし。
家の中は吐瀉物と排泄物で汚れまくり、わたしのバイト代はどんどん財布から抜かれて、罵声を浴びながら電話の受話器で殴られ、ようやく眠りにつくと叩き起こされて料理を作れと言われる。
お金を隠せば近所の酒屋で万引きし、電話がかかってくる。外で倒れていれば警察や病院から呼び出される。
様々な相談窓口へ行っても、高額な更生施設を紹介されて、「自殺しないでね」と肩を叩かれて帰るだけ。
眠りのないまま、朝、学校へ行き、帰りにバイトをして。
帰宅と同時に家中の汚物を掃除する。
我が子をそこまで心身ともに痛めつけていても、わからないほどに。荒れ狂う手負いの虎と化した母。
「お酒を飲むこと以外は完璧」
本人は心からそう思っているのです。
かつては。美人で歌がうまく、料理も上手で、スタイル抜群で頭脳明晰だった自分を脳内キープしたまま、現状からは目を背ける母。
可哀想な母親と、母親を喜ばそうと奴隷化する子ども。
仮に、子どもが全人生を捧げて母を幸せにしようとしても、それは難しいことです。
本人が受け取らない。
なぜなら。
母は子供から愛されたかったのではなく、夫から愛されたかった。幸せな奥様になれると思っていた。
「超合金の合体ロボットフィギアが欲しい」子供に、お父さん渾身の作である「お手製の木製ロボット」をプレゼントしても「これじゃない」と泣かれるのと似ている。
そもそも。本人が立ち上がるだけの最初の一歩にエネルギーを使う気が失せている。暴れることだけにエネルギーを使っている「暴走サバイバルモード」である以上、打つ手がない。
生物は、意外と暴れ続けられる。それは死への抵抗でもあるから。
その状態へ陥った人に、近しい人がどんなに心を尽くしても。全身全霊を捧げた方が先に壊れるだけ。
親から子。
子から親。
恋人でも。
親友でも。
どんなに痛々しい同情を感じた誰かであっても。
本人が「救われたい。そのために自分の足で立ち上がりたい。誰か肩を貸して。」と本音の悲鳴をあげない限り。
「本当は生きたい」という情熱と希望を認めない限り。
どんなに彼らからの「命令」に答えても無駄なのです。
本当に欲しいものは「それじゃない」から。
誰もが欠落を抱えています。
自分の人生は白歴史で生きている!と胸を張っている人でも。
人には救いようのない欠落が備わっています。
それが人間であり。
人間らしさであり。
愛らしさ。
その人らしさ。
ユニークさ。
自由さ。
欠落に苦笑いする。
自分にも他者にも、不毛な尽力を捧げるのではなく。
欠落の滑稽さを見つけられたなら。
母にも気付かせてあげられるわたしだったなら。
わたしもここまで壊れずに済んだかもしれません。
(子どもだったから難しいw)
でもね。
私は自分の生き様を気に入ってるのですよ。
とてもじゃないが。。やろうと思ってやれることじゃない経験をしたなぁ、と。
人生は命懸けの冒険で。自分への密着取材。
苦笑いしながら、時には、火の粉をかいくぐって進むのも、人生の荒々しい祭りのワンシーンだな、思うのです。
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