母は手負いの虎だった1 「母の悲しみ」
スズメは20gの体で、懸命にヒナを育てようとします。
野生の生き物は自然の育みを誰に教わらずとも、子を敵から守り、自立に必要な知恵を授け、その時が来たら突き放すかのように親は自ら離れていく。
そんな自然の育む姿は、なぜか人間ではエラーを起こしてしまうようで。
感情と知恵が複雑なほどに成熟した生き物ならではなのかな、と思います。
わたしの母はアルコール依存症でした。
とても美人で成績優秀な母は16歳の時に、荒ぶる性格を持つ父に見初められ、人身御供のように嫁にやられた人でした。
私立高校に通って将来の夢を見ていた少女は、いきなり自営業の長男に嫁ぎ。
姑姑のいじめに耐え、若い綺麗な手は荒れ放題に血が滲み、眠る時間も少なく、体の弱いダメな嫁と言われながら。自分が耐えて頑張ればいつか夫は理解して愛してくれるのだろう、と信じて働き続ける日々。
父は略奪結婚のように迎えた母を大切にせず、自分はすぐさま外に愛人を作って何かと家にいない人で。
まもなく。
母の父(わたしの祖父)は娘を嫁がせた会社に自分も勤めるようになり。
そこで大金を横領して会社を潰しかけました。
娘の嫁ぎ先の会社を。
女性として一番美しい時期に体も心もボロボロにして、人身御供のまま仕事に忙殺される母。
ある冬の日。
その日は早く仕事から帰れる予定の、小春日和でした。母は心の支えにウズラとインコを飼っていて、日差しの当たる窓際で日向ぼっこをさせて出勤。
ところが、時間になっても帰れない。
夕方、冷え込んできた頃。母は「鳥たちに暖房を入れてあげたいから、一旦帰らせてください」と頼んでみたけれど、許されず。
夜になり帰宅すると。
ウズラとインコは窓際の寒さで冷たくなっていて。
その骸を胸に抱き狂ったように泣き叫ぶ母。何もかもが絶望に満ちた母の奥の方で。何かが壊滅的に壊れました。
それでも。
子供を望む一族の期待に応えるかのように。一度の流産の後に、わたしが宿り。
お腹がふくらみ始める母。
その時、父は刑務所におりました。
「このまま産んで良いものか。おろそうか。。」
と迷った母の意識が、不思議とオレンジ色の光とともにわたしにも残っています。
お腹の中のうちから音や色の記憶があるというのはどうやら本当のようです。
母は。
「子供を産めば夫が変わるのではないか?」
「子供ごと自分を大切に愛してくれるかもしれない。」
そんな願いをこめてわたしを産みました。
ただし、舅姑、夫が望んでいた「男の子」ではありませんでしたが。
その5年後に弟が産まれました。
祖父祖母待望の後継です。
しかし。
わたしが産まれても、弟が産まれても、
父は変わりませんでした。
舅も姑も変わりませんでした。
わたしが2歳の頃には、すでに母は重度のアルコール依存症で。
呂律も回らないほど酩酊してわたしを罵倒する母が怖くて、悲しくて。
泣きながらおばあちゃん(母方)の家に電話をしようとすると、
「もし電話かけたら今ここで首を切って死んでやる」
と脅され受話器を置くことが続きました。
かわいそうな母を励まし、なんとかお酒をやめてもらって「母に愛して欲しい」と幼いわたしは必死に母の味方であり続けました。
その頃のわたしには。
たとえわたしの人生の全てを捧げても母が幸せになるわけではない。むしろ、悪化させることもある。
ということがわからなかったのです。
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