NHK 戦争証言アーカイブスで、当時の子どもの姿を見る/2022年の子ども政策を思う
NHKアーカイブスでは、当時の日本ニュースの映像が無料で公開されています。
今日は終戦から77年目の8月15日終戦記念日ということで、1940年代の映像をいくつか見てみました。やっぱり気になったのは、10代や若者が写っている姿です。
1944年8月に福島市で開催された少国民空への総蹶起(けっき)大会。スピーチしている少年の年齢はわからないんですが、アクセントというか語尾というか、語り口の幼さからして中学生くらいでしょうか。
「百倍の覚悟」「断じて一歩たりとも退」かないなどの表現は、国家のためにひとりひとりの命が軽んじられ、犠牲になることを厭わないことを思わせます。宣誓した彼が、どこまでそのことを内面化していたかまでは知ることはできません。ですが、当時学校やメディアが一体となって、子どもたちを”教育”していたことはわかります。
当時の戦局的に到底、米英の首都に爆撃できる予定などないのは明らかです。兵士の調達という意味では、戦死を厭わない男子と、それを快く送り出す女子を早くから育てる必要もあったでしょう。(福島市での大会の映像に続く八王子市での大会映像では、女性学生のスピーチもあります。曰く「少国民の皆さんには、いささかの躊躇(ちゅうちょ)もなく、先輩に続き、立派な少年飛行兵となって、鬼畜米英撃滅の大きな力となってください。私も一人の日本の姉として、あくまで戦い抜くことをはっきりと申し上げます。」)
政治の願望を子どもに言わせて大人が満足する、あるいは大人の無策を隠すために子どもを使って存在しない未来を描かせています。
子どもへの向き合い方から、その社会や地域の在り方が見える。
”子ども向けの施策だからこれくらいでいいだろう”とか"子どもには都合のいい情報だけを見せておこう"とか、"大人が気持ちいいように子どもに喋らせよう” それは子どもを対等の存在ではなく大人に都合のいい存在として扱う動員であって教育ではなく、子どもの権利を侵害しています。
折りしも、今年6月15日には「子ども基本法」が国会で成立しました。来年2023年5月からの施行を待っている状態です。この法律は、1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」を国内法という性格を持っています。子ども基本法の第1条・目的には次のようにあります。
「すべての子ども」が「自立した個人として」健やかに成長する権利がある。すべての子どもは、人権の上でも、人格の上でも、ひとりと個人として認められることがはっきりと書き込まれました。これは、基本法第3条に定められている基本理念でも再度、確認されています。
子ども自身が在りたい自分と社会の姿について、意見表明できる。その手段や成果として多様な社会的活動に参画することができる。その意見は尊重されて、子どもにとって最善の利益が優先される。
子どもへの向き合い方から、その社会や地域の在り方が見えると思います。
70数年前のニュース映像に、自分達がいま生きる社会を反射させて見る。改めていま自分が立っている現場からできること、守ること、変えられることを考える日にしたい8月15日だと思いました。
<補足>
ビルマ(ミャンマー)での日本語教育のニュースも教育のあり方を考えさせれました。日本語の先生が生徒の若い僧侶に学ぶ動機を尋ねるのですが、統治国の理想を喋らせています。「アシッポナアナンダさん。」「日本は大東亜の指導者です。我々アジア人は、日本を指導者として大東亜共栄圏を作らなければなりません。そのためには我々ビルマ人は、日本の精神を学び、また日本人と一緒に働かなければなりません。そのために私は日本語を勉強します。」
学徒動員のニュースも見れますね
ちなみに現状では、教員の3割が「子どもの権利」の内容を知らないそうです。
「子ども基本法」のもとになっている子どもの権利条約については、ユニセフのページにわかりやすい解説があります。