EMANONの〇〇ってどこから来たの??〜食器編〜
コミュニティ・カフェEMANONにある、食器や家具がどこからきたのかを探るシリーズ第4弾!
今日は、EMANONで使われている食器たちを作った大堀相馬焼・窯元の山田慎一さん(錨屋商店店主)にお話を伺いに行きました。
錨屋商店は白河市の北に位置する、大信地区にあります。元々は福島県浪江町にあった窯ですが、東日本大震災により、こちらへ避難しています。
↓↓相馬焼の焼きもののことや震災からの経緯などを知りたい方はこちら↓↓
それでは、インタビュースタート!
インターン生ぺっこ
お時間をとって頂きありがとうございます。よろしくお願いします!!
山田さん よろしくねー。まあ気を遣わずゆっくりしていってください。
ぺっこ(やさしい…!)
ぺっこ では早速、、2月末に、福島空港で『大堀相馬焼 春の新作展2019』が行われてましたね。なかなか盛況だったとお伺いしています。
山田さん そうですね。おかげさまで。
ぺっこ 福島大学の学生さんもお手伝いに来られてましたよね。EMANONでお会いしました。今日もインターン生の浦矢さん(京都造形大学2年)がいらしていますが、そういった受け入れをされているのはなぜですか?
山田さん うーん、なんだろうなあ。単に学生が相馬焼に興味を持って来てくれたら嬉しいじゃない。あと、相馬焼も次の世代へ受け継いでいきたいと思っているから、その点で来てくれた誰かにヒットすればいいかなって思って受け入れをしています。
ぺっこ そっかぁ、、他の記事(上のリンクを見てね!)で"後継者不足"という文字をみましたが、その解決はまだ遠いといった感じなんですかね?
山田さん うん、だね。この世界は職人の世界だから、興味を持ってくれてもそこから続けていくのが大変なんですよ。給料も歩合制だし、ほんとに見習いの頃なんて無給みたいな(笑)だから今は、地域おこし協力隊の制度を使って、うちに来て貰う。その3年間で教え込むっていうようなやり方も出来たらなと思ってます。
ぺっこ うんうん。
山田さん …夢みたいな話になっちゃうんですけど、地域おこし協力隊で受け入れた子が自分で窯を持つようにったら、白河は一つの産地になり得るんですよね。県南地方にはすでに窯が3つもあるし。そうしたらもっと、一般の人に相馬焼ってものが慣れ親しまれるんじゃないかなと思います。今でも、福島県民は相馬焼に親しみがあると思うのですが、そこから使ってもらえるっていう段階になりたいですよね。小さい頃から相馬焼が身近にあったら、きっといい物が分かる大人になるし、ものを大切にしてくれる人にもなると思うので。
ぺっこ そんな地域になっていったら素敵ですね。
山田さん うん、だから保育園とか小学校とかで陶芸教室を行わせてもらったりもしてます。浦谷さんにはそこでのお手伝いしてもらっていました。
ぺっこ えー!いいなあ!私も陶芸体験してみたいです。子どもに質の高いものに触れてほしいという思いはEMANONにも通じるところがあるかもしれないですね。室長にも高校生の時から本物の器を使ってほしいという考えがあるので。
山田さん それでうちのを使ってもらえるのはありがたいですね。シェフ(コミュニティ・カフェEMANONの料理番長)の盛り付け方が素敵なおかげかEMANONにある食器は売り切れるので笑
ぺっこ そうなんですか笑 私もEMANONで相馬焼のカップを出してもらった時にめっちゃ欲しくなったもんな〜!
山田さん ははは!
EMANONで使っているカフェオレボウル。かわいい〜!
山田さん 新設しようとしてるゲストハウスにも相馬焼使ってもらえると嬉しいです。僕のところに来るインターン生や地域おこし協力隊の宿泊場所にもさせてくださいね。
山田さん、ありがとうございました!!
伝統工芸という縛りがかたい中で、職人として挑戦されてる姿や、伝統をつないでいこうとしている姿とてもかっこいいと思いました!購入させていただいた作品は大切にします。本日はどうもありがとうございました。
(テキスト:春山瑞季)
購入したお猪口♡♡
物色するインターン生ひなの
錨屋商店さんのサイトはこちらから
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?