公開コーチングイベント#1を振り返っての自身の気づきと喜び#314
時刻は22時00分。
今日は朝から自分の部屋にこもって仕事をしていたため、今はリビングにてアイスコーヒーを片手に、ファイナルファンタジーのBGMを流しながらジャーナリングを始めた。
今日は、朝9時から始めた公開コーチングイベントについて振り返りたい。
このイベントでは、私自身がその場でコーチとして30分のセッションをした後、その場で解説を始め、全体で対話という流れになっている。
解説は、自分がセッション中働きかける言動の奥に、自分がどんなことを意識して、どんなことをその瞬間考えているのか、そんなことを話す。
自分が自分の言動をその瞬間どれほど理解しているか
それは言うは易く行うは難し。非常に高度なものだ。
私自身、どこまで微細に捉え覚えているか、可能な範囲で話をするに留まる。
これ自体、1つのスキルではないかと思う。
内省力、ないし内省的判断力とでも言うだろうか。
これはコーチングを学ぶ「守破離」の守を終え、ある程度技術を使いこなせるコーチが次に獲得していくスキルの1つと言えるだろう。
あるいは、よりわかりやすい言葉でいうと、Doing(スキル)を一定掴み、今度はそのDoingが発動されるBeing(あり方)への理解を深めていくことが必須となるだろう。
その働きかけの源泉が自分のどのようなところからきているのか。
そこまでセルフアウェアネスの領域を広げる必要性が出てくる。
この話も、発達理論の中で語ることができる。
私がアントレプレナーファクトリーさんで、提供したビル・トーバートの行動探求では、まさに自身の発達度合いに応じて、どこまで自覚的になれているかを話している。
改めてこういった理論が、コーチとして守破離の破や離にあたる方、自身のあり方を見直したい方に欠かせない理論になるのではないかと思う。
同行二人
とはいえ、どこまでいっても内省的なスキルを磨いたとて、自己認識と他者認識はずれるもの。
そう思うと、今日の対話の時間は、参加者一人ひとりからいただける声1つが、私自身の新しい気付きを得れる機会になっており、本当に有り難い場だった。
どこまでいっても同行二人。
他者と一緒に歩みたいと思う。
音声ファイルへの喜び
さて、それから今日自身の中で大きな喜びがあった。
それは音声ファイルを作ったことである。
イベントは1.5時間〜2時間という非常に限られた時間であり、その中では語りきれない事が多くあり、終わった後、積み残された質問や自身の気づきを音声ファイルにとって参加者の皆様に共有させていただいた。
何か自分に息づいているものを表現したい、ギフトしたい、社会に差し出したいというのが、毎日の日記というジャーナリングが主な手段だった私に、音声で差し出すことができたのが嬉しい。
もちろんその音声ファイルは、守秘義務のもと、今日の参加者の方のみの共有であるが、手段として音声ファイルで表現できたことが嬉しい。
文字情報だけだと、見る側も忙しいとさらっと流し読みされるのが今のスマホ社会の構造である。
重要なのは、コンテンツだけではなく、それが語れるコンテクスト、ナラティブ、ディスコースもセット、ストラクチャーという私自身がそれをどのように認知(意味づけ)しているかというものもセットであって、そういったことが、文字情報ではない音声だからこそ伝えられるものがあるんだというのを深く深く実感した。
こういったモノローグというひとり語りの音声ファイルを、少しずつ、限定的ではあるが、参加者の方にギフトしていくような営みを、今後継続していきたいと思う。
場から影響を受けているもの
さて、参加者の方には、音声ファイルでも共有したのだが、私自身が公開コーチングという場から影響を受けているものがあったことに気づいた。
それは、公開コーチングイベントの直後に、クライアントに行った自分のセッションと、公開コーチングで見せたセッションが全く異なっていることを感じた。
公開セッションではどちらかというと自分が学んできた1つである大樹さんのコーチングスタイル。
その後クライアントに実施したコーチングは発達理論やインテグラル理論を活用したコーチング。
自身の中でもいろんなセッションをしていて、どうして今日の公開コーチングイベントがこのようなセッションをしたのかというと、
クライアントから要請されることはもちろんあるのだが、それを除き、
(1)安牌にしたい。それなりに良いセッションを見せたい。
こういう想いが自分の中にあるからだと思う。
ゆえに、結果的に慣れ親しんだ手法をつかった。
みんなとの生成的な対話も込みで1つのイベントと言っているが、どこかでやっぱり私自身のそもそもコーチングをみるだけでも学びあるものにしたいという想いがあったからだろう。
これは、手放したい。
(2)クライアントさんがほぼ初対面かつ30分
もう1つは、(1)に関連して、時間30分という限られた時間で、かつほぼ初対面のクライアントさんに、ほんの12〜13分で掴み取れることがやっぱり少ないということ。
何度もセッションをしている人との差は出るそりゃでる。
30分わかいすい成果を見せるならというのがあって、セッションを進めている部分もあるんだと。
そう思うと、今後は
・色んなセッションをクライアントの了承のもと、公開していきたい
と思うし、
・公開コーチング自体のやり方もかえたい
たとえば、時間をかえる。
また、今日はこういうサイコセラピーをしますと設定する。
(たとえば今日はフォーカシングで対応する、今回は認知行動療法で、今回は発達理論の観点でなど)
こうすることで、まだまだ場の多様性がより深くなっていくことを感じた。
時間のせいにしない
というのを、音声ファイルで共有すると、参加者の方からメッセージが届き、しびれた。
時間や回数という制約はたしかにそうなのだが、それを言い訳にしたくなく、それだからこそ生まれる発想があること、クライアントに起こることを大切にしたいと私も思う。
生成的な対話の場に向けて心がけたいこと
それから、今日のイベントの要は、後半の参加くださった皆さんのアンケートを読むに、後半の生成的な対話の場だった。
対話でもって、みんなの集合知をというが、それには生成的な場でなければ実現できない。
では、どのようにして生成的な場になるのか。
この問いは、大事にもっておきたい。
色んな話が言えると思うが、取り急ぎ、今日アンケートでいただいたことをから、関連しそうなことを残しておきたい。(参加者を考慮して、匿名)
(1)開かれた思考、心
ジュンさんの在り方(開かれた思考、心などで参加者からのFBを受け取る姿勢)を感じるだけでもとても有意義な時間だと思うからです。
(2)肯定的な受容
あせじゅんさんの肯定的な受容感、参加者の前向きさが素敵です。
(3)丁寧さ
言葉に丁寧に向き合っている姿勢に感銘を受けました。
それから、ここにはあがっていないものの
(4)この場に適切な問いを精度よく設定する
これも非常に重要なように思う。
ある種、先程の受容的で丁寧に関わり、どんなことでも場に出してもらって大丈夫という優しい関わりと同時に、
この場で今本当に重要な問いは何なのか?という鋭さも持たせる。
この優しさと鋭さをどう統合して体現できるか。
私自身が、今自己の発達上のテーマとしてあげている、父性と母性の統合とも関連するが、このあたりも生成的な場をつくるに欠かせないように思う。
今日のジャーナリングはいつもより長い。
それだけ、私が受け取ったものが多かった。
改めて今日の場への感謝の気持ちで溢れる。
2021年10月24日の日記より