父の実存に触れていく#110
3月31日、夜20時過ぎ、父に電話をしてみた。
今日は、父が46年間勤めた会社を退職する日になるからだ。
退職する、もっというと「終わり」というものをどう迎え入れるかによって、その後の人生に影響すると思う。
人によっては、「何十年とここで過ごしてきたのに、俺の人生なんだったんだ・・・」と思ってしまう人も出てしまう。それゆえに、終わりを迎えることはとても重要だ。
父は大丈夫だと思うが、終わりをきれいに迎え入れるということを、なにか私との対話でもできればと思い連絡をとった。
それと、純粋にその気持ちに触れてみたいという気持ちもあった。
というのも、これまで自分が会社を辞める時も、感慨深いものがあった。役所を辞める時もたった4年だったが、それでも辞めることになって初めて声をかけてもらうことや言っていただけることも多かった。
父は私以上に真面目で正義感強い性格であることを踏まえつつ、私が4年でグッとくるものがあったのに、46年なんて年月なんて、もう想像を絶する。
30分くらいの電話だっただろうか。
父が話していた内容は
・頭も技もないから、人間性だけで勝負してきた
・この会社でやりたかった4つの夢はすべて叶った
・その夢は苦しい時に叶った
・母(父からすると妻)がいたからここまでこれた
こんなことを話してくれた。
職場では惜しまれて別れる形になったようだった。
「阿世賀さんがいたからここまでこれた」と男にも泣かれて話をくれた人もいたようで、さすがにその男泣きに父も思わず涙が出たらしい。
なにか改めて父の偉大さを感じた。
電話で聞く父の声も、嬉しさ、寂しさ、感謝、色んな気持ちが混ざり合いながら、声には出してなかったが、心の中で「生きてて良かったぁ」と発しているように聴こえた。
その背中姿は仏のように暖かく、優しげに包まれているように感じた。
4月からは、別の新しい会社で仕事をしていくようで、その会社へのスタンスややりたいことを早くも考えているようで、感服する。
印象的だったのは、父に「引き受け」という精神があるよう思えたことだった。
68歳にして、別会社の取締役に声がかかるということは、自分は社会から何かしらの役割を与えられていると言っていた。
かつて私が抱いていた父の姿とは異なる姿勢だった。
かつては自分自身がまだ未熟だったゆえに気付けなかったのか、
あるいは父自身が成熟していったのか、
あるいは私と父そのもの関係性自体が発達していったからなのか。
おそらくそのすべてなのだろう。
父だから、母だからと、なにかかつて抱いていた自分の中の父像、母像が未だに強く残っているように思う。
それは父にとって、1つの役割に過ぎないのだ。
これからは父であっても、親子という鎧を脱いで、1人の人間として、その実存に触れていきたい。
そんなことを思った日だった。
2021年3月31日の日記より
2021年4月3日