身の程を知るとは、盛大に生きるということ#221
今日は久しぶりに高校、大学時代の友人とオンラインで会話した。
阿世賀は昔からすごかったよな〜と言われるところから始まった。
もちろん私からすると違和感しかない。
私自身も苦しかったし辛かったし悔しかったことが多かったからだ。
そして、ここまでの私の不思議なキャリアを、友人からたくさん質問を受けた。
そこまで経験してきたのに、経営者にならないのか?
本当はなりたいのではないか?憧れたりしないのか?
友人と話しながら、段々私の心が熱くなってきた。
そして、私なりに言葉が出たのは、「身の程を知る」という言葉。
これは、一般的には高望みをするな。というニュアンスで使われる。
自分にふさわしいことかどうか、自分の身分や実力の程度をよく考えて判断せよ。 と。
でも、私の中では、むしろ、これは盛大に生きるということに思っている。
あなたにはあなた固有の魅力があるじゃないですか。
どこまでいっても隣の芝生は青い。
この世界がどれだけ広いと思っているんですか。
あなたのことも青いと見える人もたくさんいますよ。
そこそこ人生を生きてきた。
それを悔いるより、それもあなたがあなたらしくなるために必要だったと思いませんか?
全部リソースだと思いませんか?
身の程を知るってのは、何も小さく控えめに生きるということではなく、自分のもっているものに気づき、それを盛大に活かしましょうってことなんですよ。
あなたのその生まれもったものを、その経験を活かしましょうよ。
そんなことを言った。
私自身は、それが経営じゃなかったんですよ。笑
(厳密に独立して代表でやってるので、何をもって経営とするかですけど。)
私はこうやって人が好きで、人と対話するのが好きだし向いてるし、このために生まれてきたんじゃないかって思うんですよ。
そのために必要な回り道した感じなんですよ。(厳密には、回り道に見えていただけ。むしろ最短。)
今、夜にこうやってジャーナルを書いていると、また熱くなってきて思うことがある。
黒く生まれたみにくいアヒルの子を、一匹だけ黒くともかっこいいと私は言ってやりたい。
それがいかにかっこいいかを言ってやりたい。
そうやってありのままの自分を受け入れられるようになっていけば、あなたがどれだけ美しい白鳥で、それだけ美しい人生だったのかに気づいていくように思う。
2021年07月22日の日記より
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