学会活動やりたくない。コロナ渦で創価学会の活動休止しました。その2
学会活動を辞めて1年以上が経ちました。
あれから我が家はコロナ禍ということもあり思い切って引っ越しをしました。引越してしばらく経ちますが新しい組織には活動をする気持ちはないということを伝えたうえで連絡は一切とっておりません。
ですので私は一切役職のない状態になりました。
もう責任感から活動をしなくても良くなり本当に気が楽になりました。
家族との時間も増え、家族仲がますます良くなりました。
今まで気付かなかった子供の優しさ、表情、色んな事に気付けるようになりました。気持ちの余裕も時間も増えたので家事も沢山やるようになりました。
自分を大事にすると周りの人間も大事にできるようになる、当たり前の事ですね。
もう会合に参加しなくていいんだ、もう仕事に後に活動に行かなくて良いんだ、もう休みの日に自分の好きなように時間が使えるんだ、こんなことがこれほど自分の精神を自由に健康にするんだなと心から実感しています。
昔は、疲れて会合を休んで大好きな銭湯に行く際も、知り合いの学会員に合うんじゃないかとヒヤヒヤしながら隣町まで銭湯に行っていましたが今では誰の目を気にする必要もなく平日の夜にゆっくり銭湯で体を休めています。
今でも朝は約1時間ほどお題目を上げその日やること目標などを頭の中でシュミレーションをしながら、自分自身と向き合う時間として勤行唱題はずっと続けています。勤行唱題は本当に貴重な自分と向き合う唯一無二の時間です。
聖教新聞も一応毎日目を通していますが学会の世界の価値観と今の自分の価値観のズレが大きくなり昔のように感情移入することは少なくなりました。
特に青年部が国連等とSDGSの取り組み等やっているのは、個人的には全く意味がない取り組みだと改めて思うようになりました。
選挙活動から離れてみて改めて公明党の政策にも全く共感できるものはなく、支援は一切しておりません。
このご時世での親中体制、給付金、ワクチン含めたコロナ対策(私はコロナやワクチンそのものに懐疑的ですが)等々活動をやめてから公明党のやっている事がますます良くわからなくなりました。今でも公明党は応援しているので今の日本を少しでも良くし信頼される政党になってほしいと思っています。今回も公明に投票はしました。友人には自民でもなんでも選挙には行った方が良い。行かなければ組織票が強いところにいいようにされるよと投票は促しています。(公明への選挙依頼はしていません。)
妻ももともとはバリバリの活動家でしたので、私にいつかまた活動に戻ってほしいと当初は言っておりましたが、週末は家族でレジャーに行ったり外出をしたりと家族と触れ合う時間が格段に増えました。私は妻に対して率直に「僕はあなたに家族と一緒にいて欲しい。平日の夜や休日の日の時間を沢山使って活動をして欲しくない。これからもあなたとのそういう人生や生き方は望んでいない。一緒に自由に生きていきたい。決めるのはあなただけど一緒にいて欲しい」とはっきり自分の考えを伝えるようにしました。とことん話合って、妻も今の生活方が良かったのか妻も活動をすることはなくなりました。妻も今では色んな趣味が出来て活動はしなくなりました。「今までは新聞の代配をして、仕事に行って、帰ってから会合に行った。本当にきつかった。」とよく二人で当時のことを話します。
コロナが始まって活動が止まり、活動とこれからの生き方についてじっくり考えるようになり「組織に良いように使われているだけなんじゃないか、いろんな理屈をつけられてがんじがらめに縛らつけられているだけなんじゃないか、体制を守るために自分がいるだけなんじゃないか」と思うようになりました。
こんな風に思うようになった時点で自分にとってはこれ以上は活動は辞めた方が良いと判断しました。
これまでのように指導など受けずに、自分の頭と心で考えよう。そしてもう本音で生きよう。自分に素直に生きようと決めました。
今まで信じてきたことが嘘だったことがこの世にはたくさんあるように思います。
「学会員として活動する人生が最高の人生」そう思ってきましたが、私は一度自分自身の心と頭で考え、この組織から離れてみようと思いました。また戻りたくなったら考えを改めて戻ろうとも思っていました。
しかし離れて以来、一度も戻りたいと思ったことはありません。
私は組織にいることは苦痛。オリジナルな人が好き。人の面倒を見るのはそんなに好きではない。縛られたくない。自由がすき。
自分が考えたように、思うように生きて、責任は自分が取る。
楽しみも自分で味わう。
自分らしく生きるだけで人は充分に生きる価値がある。生きているだけで充分に価値がある。
なんてなことを思ってます。