ラタキアとマクレーランド、および『指輪物語』のパイプ草について
引き出しの奥から、昔買ったパイプたばこの葉が出てきた。何年もたっているので、すべてカピカピになっていたのだけれど、少し霧を吹いて喫ってみたら、普通に復活した。
4つのうち3つがラタキアと呼ばれるもので、たばこの葉を、煙でいぶして発酵させて作る。独特の癖のある匂いがして、人によっては正露丸みたいな匂いだという。
燻煙+発酵ということで、いぶりがっこみたいなものだから、漬物小屋が火事になった匂いだといえば、比喩的にはほぼ正確なのかもしれないけど、私は、荒野の焚き火の匂いだと思う。
都会の疲れた男を、一瞬だけウィルダネスに呼び戻す、アラゴルンの背中にしみついた匂い。液体にすればラフロイグになるのだろう。荒野への郷愁は、時々、変なところで顔を出す。深夜のバーで、他人の別れ話を聞かされている時などはとりわけて。
写真のたばこ缶のうち、カエルの絵が描かれているやつは、マクレーランドの「フロッグモートン」というもので、癖のあるラタキアをうまく手なづけて、軽く、スムーズで上品な煙に仕立てていた。
製造会社のマクレーランドは、クオリティが高くて価格も手頃な、アメリカを代表する良心的な会社だったと思うけれど、2018年に廃業してしまっていた。
調べたところ、理由は以下のような感じ。
●原料であるシリア産のラタキア葉が入手できなくなった。もうひとつの産地であるキプロス産では、マクレーランドの製品は作れないと判断した。
●シリア産ラタキアが市場から消えた理由は、大量の木を燃やすことへの環境面の問題、内戦による政情不安。加えて倉庫の火事によるストックの焼失。
●シェッケル・ビント(Shekk-el-bint)と呼ばれる、たばこ葉が、もはや作られていない。絶滅したともいわれる。
●たばこを取り巻く環境が厳しくなり、FDAへの多額の「上納金」が必要になった。
たばこの会社がなくなって、ブランドだけ継承された例はこれまでもいくつかあるけれど、製品の味わいやクオリティが継承された例は少ない。マクレーランドは、自社もその例にもれないと判断して、ブランドの売却もしなかったらしい。
名を汚すことを潔しとしない、聞けば聞くほど立派な会社だった。そして、シャーロック・ホームズの時代から続く、イングリッシュミクスチャーと呼ばれるたばこ葉の伝統は、おそらくここに途絶えた。
ラタキアの甘みを最高に引き出す、Jan Zeman のGandorr(ゴンドール?ガンダルフ?)というパイプを引っぱり出してきたので、残り少ない葉を大事に喫ってみようと思う。
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アラゴルンとかガンダルフとか書きましたが、このフロッグモートン(Frogmorton)という商品名自体が、『指輪物語』のホビット庄の近くにある小さな村の名前でした。蛙村です。
カエルのイラストは、トールキンの世界にインスパイアされた、創業者のメアリー・マクニールが自分で描いたそうです。つまり、あの世界でみんなが喫っている「パイプ草」をイメージして作ったブレンドなのでしょう。
このブレンドの開発に4年かけたという意味がわかりました。トールキンの神殿に捧げようとすれば、それはそれは。