旅に出たい
僕は臆病者だ。弱い人間だ。その弱さを隠すかのように見栄を張る。劣等感に蓋をする。本当の自分に蓋をする。
本当の自分に向き合わず、なりたい自分に向き合い続けてきた。そして、21歳になった。
正義のヒーローに憧れて、でもそれとはかけ離れた自分がいつもすぐ後ろに立っている。
すぐ後ろに立っている本当の自分を、周りは見てくれない。いや、偽りの自分が必死に隠そうとしているのかもしれない。
- 弱い自分を見せたくないから -
周りからは、「自信家だね」「なんでも出来るね」「本当に凄いね」とか言われるけど。皮肉か本音か、そんなことはどうでも良く、他人の目に映る自分は、常にギラついているらしい。
「できない人の気持ちなんて分からないんですよ」
と親しくしていた後輩に言われた。
「まただ」。"周りから見えている自分"と"自分の知っている本当の自分"とのギャップに嫌気がさす。
「俺は努力してきた、できないことをできるようになろうと挑戦してきた、明日の自分が今日の自分よりちょっとだけでも成長できているように」と、後輩に心の中で言い返す。
でも、そんなふうに頑張ってきても人間の性根は、そう簡単には変わらない。
なりたい自分になろうと足掻いてきたけれど、自分自身を変えることは難しい。
言い訳がましいかもしれないけど、2020年の夏、世界一周のバックパックの旅に出るはずだった。自分にとって、これが自分を変える最後のチャンスだと思っていた。しかし、コロナによって行けなくなった。
「コロナのせいだ」と自分に言い聞かせて、心のどこかで安心している自分がいた。
今まで、些細なチャレンジはできていた。学級委員になったり、委員長を務めたり。文化祭でMCをしてみたり。
でも、こんなのは自己満足にしか過ぎなくて。やった気になって、できている気になって。
そんな自分がつくづく嫌いだ。
僕の友達は、いろいろあって大学で野球が出来なくなった。だから、2020年夏、アメリカに単身乗り込んだ。そして、現地の短大で野球をしている。
コロナなんて理由にはならなかった。
結局、自分の最大の敵は、コロナでもなく、周りの目でもなく、自分だった。
「なんて脆いんだろう」と。自分の存在の不安定さに気づく。こんな人間のどこが強い人間なのか。どこができる人間だと言うのか。
ああ、何もかも捨てて、この身一つで世界中を闊歩できたら、変われるのかな。
行動に移すこともなく、こんなふうに書くことしかできない弱い自分。
この先も、自分で自分に蓋をして、「正義のヒーロー」になりたい自分を演じて生きていく。
だから、本当の自分をここには、ここだけには、書き残しておくことを許してほしい。
それでは、アディオス。