不世出のレジェンド・内村航平の素顔⑩
内村選手が生まれたのは、ギリギリ昭和の昭和64年(1989年)1月3日。記念すべき内村選手のお誕生日当日に記事がアップできるのは、読んでいただいている皆さんの後押しがあったからです。本当にありがとうございます!!
前回に引き続き今回も、ほとんど知られていない内村選手の普段の練習風景(リオ五輪前のコナミ時代)をお伝えします。
【ある日の内村選手の練習スケジュール】
いつもなら14時に開始の挨拶をして、すぐに器具練習に入る内村選手だが、この日は監督とコーチがなかなか現れなかった。
多くの選手が柔軟体操を続ける中、待ちきれないとばかりに軽い練習を始めた内村選手。おそらく、頭の中にあるイメージを早くやりたかったのだろう。
13:50 すでに柔軟体操中
14:11 倒立練習用の台を使って、倒立からひねって降りる練習
その後、実際に平行棒で倒立からひねって降りる練習を数回
14:15 つり輪で軽く練習
14:17 トランポリンで回転を確認
14:20 全員で開始の挨拶。長袖、長パン→半袖、短パンへ。手首にテープ
14:40 着地までやらない跳馬の練習(※)
14:55 ゆか
15:20 本格的に跳馬練習
15:40 平行棒
16:10 鉄棒
16:30 つり輪
17:00 クールダウンとマッサージ
17:30 全員で終了の挨拶
着地までやらない跳馬の練習(※) ? と思った方のために補足すると、跳馬の着地は怪我をしやすいので、空中に体が浮いた後、そのまま巨大空気マットの上にドーンと落ちる練習をする。跳馬に手を着くタイミングを確かめているのだ。
練習中は笑わず黙々と練習をする内村選手も、17時近くになるとようやくリラックスした感じで雑談をするようになる。
ところがある日、17時15分を過ぎても黙々と練習を続ける内村選手の姿があった。リオデジャネイロ五輪の切り札として取り入れる予定で、今度の競技会で初披露する跳馬のリ・シャオペンの練習をしていたのだ。
納得がいかなくて、こんな遅くまで何度も繰り返していたのか、それとも「これだ!」とつかみかけた感覚を忘れないためにやっていたのかはわからないが、ただ1人、何度も何度も跳馬を跳び続けていた。
【イベントがある日の練習は?】
ある日の午後、私が体育館の入ると、体育館から出て行く内村選手とすれ違った。
これから練習が始まるのに何だろう?と思っていたら、内村選手は私服に着替え、「行ってきまーす」と、にこやかに玄関を出て行った。
都内で行われる表彰式に出席するためだった。そんな日でも内村選手は練習を欠かさない。午後に予定していた練習は、昼休み中にやったのだという。
取材やイベントなどで外出しなければならないときでも、内村選手は練習時間を前倒しして、きっちりその日の練習を終えてから出かける。
加藤監督の目から見ても「今日ぐらいはいいだろう」とか、「少し練習を軽めにしよう」という妥協が一切ないという。
「航平は、その日にやると決めたら、どんなことがあってもやるんです。ほかの影響を受けない意志の強さがあるんです」
内村選手は、インタビューでもこんなことを言っている。
「今でも、練習しなければ世界一になれないと思ってるんで。人の倍の倍の倍ぐらいは努力しないといけないのかなと」
※これからも、まだまだ知られていない普段の内村選手の素晴らしさをお伝えできればと思います。今後の励みになりますので、宜しければ💓をお願いします。お読みいただき、ありがとうございました!!