不世出のレジェンド・内村航平の素顔⑦
ロンドン五輪・団体決勝。内村選手のあん馬の降り技の失敗で、4位転落か……と思われたとき、内村選手が何を考えていたのか、独自取材で知った驚くべきお話を初めて公開します。
【15分の審議・銀メダルか、メダルなしか】
内村選手の得点が出た瞬間、いつもは冷静な森泉コーチ、加藤コーチが審判席に駆け寄り、身振り手振りを交え猛抗議を始めた。バランスを崩したのは、倒立が上がった後なので技は成立しており、得点に加えるべきだと。
体操では、やたらと再審要求できないよう、再審を申請するには300ドルを審判員に渡さなければならないルールがある。もちろん、審議が認められれば返金されるのだが。
審判員が集まり、ビデオ検証が始まった。要した時間は約15分。
ただ、ただ、待ち続けるだけの15分。神様に祈るしかない15分。今まで見たことのない、呆然とする内村選手の姿が、そこにはあった。
「4年間、何をやってきたんだろう……」
このときのミスの原因を内村選手は、こう答えている。
「同じタイミングでイギリスも終わって、歓声がすごかった。あまり気にしないようにしてたけど耳には入ってきたので、地元の波にのまれてしまったかなというのはあります」
実はラストだけでなく、演技開始前の歓声も凄く、なかなかスタートできなかったのだ。それについて本人は「そんなに……」と言っているが、「自分のあん馬のリズムをずらされたというのは、あるかもしれないです」と言っている。
体操の会場であるノース・グリニッジ・アリーナの “バカでかさ”には、私自身も驚いた。テレビでしかオリンピックを見たことがなかった私が、自費ではあったが見させていただく機会を得て、急遽やって来たのがこのアリーナだった。
正直、こんな大きな会場は今まで見たことがない。一体、何階まであるのかすらよくわからない客席は、上へ上へと伸びている。すり鉢の底にいる選手たちには、声援がグワングワンと渦巻いていたに違いない。
演技中は静かなだけに、急に湧いた歓声にリズムが狂ったというのは、十分理解できることだった。
しかし、まさかこの場面でこんなことが起こるとは。団体金メダルを期待されていたのに、メダルなしで終わってしまうのか。
【僅差の銀メダルの重み】
ようやく長い審議が終わり、内村選手の得点が電光掲示板に再表示された。
14.166点。最初の得点より0.7点高い。つまり、日本の抗議は認められたのだ。
この結果、日本は0.241点の僅差でイギリスをおさえ、銀メダルを獲得したのだった。
内村選手は、ホッとした表情を見せた。その瞬間、一番近くにいた山室選手が真っ先に声をかけた。音声は入らないので口パクだが、「ごめんね」「(笑顔で)いいよ」私には、そう言っているように見えた。
実際、山室選手は銀メダルが確定すると、「ごめんね」と仲間たちに言ったのだという。
自分が怪我さえしなければ、航平も楽な気持ちで演技ができたのにごめんね、なのだろうか? それとも、金メダルじゃなくてごめんね、なのだろうか?
このときのことが、私はずっと気になっていた。銀メダルが決まった瞬間、ふたりは一体、何を話したのだろうか?
【日本の期待を一身に背負うということ】
実は4年近く経って、私はこの時の話を聞く機会を得た。
体操のドキュメンタリー番組を作りたいと3年半もの間、あららこちらのテレビ局のプロデューサーに会い、やっとの思いで私の企画が通ったのだ。
通常、放送作家はロケには同行しない。しかし、番組からあてがわれたディレクターが前代未聞のヘマを何度も犯し、私がお目付役として同行しない限りロケはさせないというお達しが先方から出た。それもあって、15回近く内村選手の様子を近くで見ることができた。まあ、それがなくても同行したのだが。
番組のインタビューが、焼肉店で行われた時だった。(この時もディレクターは店を間違え、六本木から銀座へ急遽移動という絶対にあり得ないミスをやらかしたのだが)
遅い時間にやっと収録が終わり、技術さん達が撤収作業をしている間、私は思い切って内村選手に聞いた。
「ロンドンで4位が覆って銀メダルが決まった瞬間、山室さんと何を話してたんですか?」
「えーっ、何、話したかなぁ? あんまり覚えてないんですけど」
内村選手は少し考え、そしてこう付け加えた。
「でもあのとき、もう日本には帰れない、このままロンドンに永住するしかないなって思ったんですよね」
「ええーっ!! そんなこと考えてたの?」。 同席していた植松選手、広報さん、私と同時に大声を出してのけぞってしまった。
この話はどのスポーツ紙にも、インタビューにも出ていなかった。おそらく、内村選手自身、初めて口にしたのではないだろうか。
「いや、だって、最後の降り技は演じきれてないって自分でも自覚があったんで」
絶対王者のとんでもないカミングアウトに、またしても「ええーっ!!」だ。
「だから、判定は覆らないだろうって思ってたんですよ。もう、これはロンドンに永住するしかないなって」。内村選手は明るく答えた。
判定で認められたのだから降り技は決まっていたし、勿論、本気ではなかっただろう。
しかし、強気な発言を繰り返していた内村選手が、わずか15分の審議の間だけでも、こんな気持ちになっていたということ自体、私には驚きだった。
そして、私たち日本国民の期待を一身に背負うということが、どれだけ重圧であるかを改めて思い知らされた。
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