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平均律と倍音のお話
私たちが日常的に用いている12平均律。これは、ドから1オクターブ上のドまでの間に12の音が等間隔で並べられているという音律の一種です。ド、ド#(レ♭)、レ、レ#(ミ♭)、ミ……といった具合で、ドから次のドに行くまでに12の音が存在しています。
今や世界中のほとんどの音楽でこの12平均律が採用されています。西洋から広まったこの音律は実に普遍的なものとして認識されていますが、世界中の音楽をもっと細かく観察すれば、まったく違った音律を使った音楽があることも事実です。今回は例として民族音楽に焦点を当ててみます。
とある民族は、7平均律を基準としています。また別な民族は8平均律、11平均律…実に多種多様です。これは、使っている音が僕たちとはまったく別物なので、音律の違いによる音楽性の隔たりは大きいように思えます。実際聴いてみると、なんだか「変わった音楽」という印象でしょうか。しかし私は、この隔たりはそう大きくはないと思います。
前述しましたが、「平均律」とは読んで字の如く「平均」です。1オクターブ間を12等分するのが12平均律だし、7等分するのが7平均律です。それぞれの音律について周波数の観点から考察すると、ある音から次の音までの周波数の関係性は、12平均律では2の12乗根倍ずつ、7平均律では2の7乗根倍ずつとなっています。(細かい説明は省略)だから、そもそも音律の違う音楽には「ドレミ」は通用しないわけです。それでも、私が音律の違いによる音楽的な隔たりを大きく捉えていないのは、絶対的な共通点があるからです。
それは1オクターブの捉え方です。定義の通りと言われればそれまでですが、この共通点は非常に重要な意味を持ちます。音律が違えば、ドと1オクターブ上のドの"間"にある音はまったく別なものになります。しかし、"ド"というある周波数を持った音が存在したならば、たとえどんな音律を持った音楽でも、その1オクターブ上の音は完全に一致するのです。
1オクターブの一致…それは、同じ「倍音」を感じていることと等しいと思います。倍音とは、周波数が倍ということです。1オクターブは2倍音の関係なので、ある音"ド"の周波数を2倍にしてやれば1オクターブ上の"ド"が鳴るということです。つまり、平均律の定義そのものが倍音のシステムを根拠としているわけです。ここで明確なのは平均律での理解では交わらなかった音楽も、倍音を理解することでより根元的な音の成り立ちを捉えられ、それぞれが歩み寄ることが出来るということです。
以上のことから、より多元的に音楽を理解するならば、平均律による理解ではなく倍音による理解を推し進めていくべきだと思うのです。私たちはドレミを聞いて育ちドレミを用いた音楽しか知りません。これからの時代は、より多様な音楽が世間で聞かれるようになります。そこで12平均律の「呪縛」から脱却し、真の意味で多様な音楽を受け入れることが必要だと思います。
次回はその倍音の神秘について記していきたいと思います。