一人でいることは、寂しいこと?本当の孤独とは
発達障害者の中で、比較的にASD傾向にある人や内向的な性格の人は、一人の時間を好む方が多いそうです。
私自身もどちらかというと、一人を好む方です。
だからと言って、人が苦手とか嫌いという訳ではありません。(苦手なのは少しあるかも?)
誘われれば行くことも多く、仲の良い友人には自分から誘うこともあります。
ただ人と接すると、無意識に気を遣って疲れてしまうのです。精神的に持たないので、大人数の場は避けたり、意識的に1人の時間を持つようになっているのです。
1人になることで、エネルギーをチャージ、または省エネモードにしているに過ぎません。
そこには、内向性やHSPのような気質があるかもしれません。
ところが、意識的に一人を時間を持つ人に対して、”孤独な人”・”人嫌いではないか”と思う方が一定数います。
そういう人は本当の孤独というのを知らないのだろうなと思います。
見知った中でも、一方的な話を聞かされて、果てには同意を強制される。ストレス発散の相手にさせられる。
その場にいない人の悪口が話題になっていたり。その場に自分がいなければ、自分が悪口の対象になるのではないかと不安にもなります。
周りに人がいながら、誰とも自分が意識や感情でつながっていない状況。これ以上の孤独はないと思います。
私は、大勢の人に囲まれている時の方が孤独を感じます。
自分を横に置いて、一人一人に気を遣ってしまっている。人が多くなるにつれて、会話の濃度や関係も希薄になっていく状態。
しかし一人の時間は、内省(自分と向き合う・反省するなど)により自分とつながることができます。
過去を振り返って、改善することはないかと考えを巡らしたりすることは、とても大切な時間です。
理解を得られないかもしれないけど、少なくとも自分という一人とは深くつながっています。
他にも読書であれば、著者とつながることができます。
小説であれば頭の中で映像化して世界観でつながる。
自己啓発であれば、著者から教わる生徒の立場で。
論文など意見を書かれた本であれば、脳内で自分の意見や反論を考えたり仮想で討論を。
旅行でも一人であれば、旅先で出会った人に名産を聞いたり、歴史的な場所であれば昔の人に思いを馳せたり、つながれる状況は多いです。
一人だとふらっと気軽に寄り道できるということもありますね。
同行する人がいると、それは諦めないといけない場合が多いです。でも、同行する人と旅の思い出を共有できることは素晴らしいことなので、良し悪しです。
言いたいことは、「一人 = 孤独」というのは、短絡的な考えということです。
誰ともつながっていない状態が孤独であって、一人でいる状況が孤独ではありません。
もし一人で孤独な人がいたとすれば、それは将来を絶望し、自分を捨てている人なのだと思います。
そうならないように。もし今そういう状況なら、将来を変えていけるように、過去(行ってきたこと)の棚卸しをして、今できることに焦点を当てて行動につなげていきましょう。
【余談】トップ画像に使った猫について思ったこと。
家の近くにいるノラ猫です。この日は天気も良く、日向ぼっこして寝てたところを写真に収めました。あまりのグータラぶりに笑ってしまいました。
ふと、人は一人が多いと孤独とか寂しい人と陰で言われるのに、猫は一匹で行動していることが多くても孤独な奴と言う人を聞いたことがありません。
お腹が空いたら近くの人に愛想を振り撒いて餌をもらったり、短時間で人と繋がる能力を持っているからなのかもしれませんね。
もしくは自由気ままに生きていると思われるのに憧れがあるのかも?(実際は猫も生きていくのに必死で大変なのでしょうが・・・)
または、猫は一匹で行動することが多い生き物という思い込みがある?
どうでもいい話ですが、ネコ派かイヌ派か聞かれたら、断然”イヌ派”です。見せかけの愛想など要らんのです(笑)
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