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junから みなさまへ

じゅんママと まなの二人三脚で、

jun_manaです。

私の記事の書き始めは、いつもこうでした。

母娘ふたりで、noteをしてるのは

たぶんですが、私たちだけかな ?

つぶやきとか、コメントで、たまに

私か、まなか、どちらの文章か、わかり

づらい時もあったと思います。🙏


まず、この度は、ご心配をおかけしました。

あたたかい言葉を何人ものかたに
 
いただきました。

とても、うれしかった。😢💖

ありがとうございます !

また、この件に関しては、まなが

記事を書いてから、何人かのかたが、

私も、嫌な思いをして、いったん

noteをお休みしたことがあります !

とか、普段は聞こえてこない声も

聞かせていただきました。

勇気ある声を聞かせていただき、

感謝です。


実は…。

確かに、まなが書いていたように

あるnoterさんが、私たちのことを

ご自分の固定記事に 好きなように

書いてました。

真実は、ひとつ。

そのかたが、2回サポートをしてくださいました。

それ以外に、真実はなし。

正直、びっくりしました。

テイカーとか、ダークトライアドとか、

まなも私も、検索しないとわからない

言葉も書かれてありました。


でも、まなも私も、noteでは初めてだった

けど、現実に何人もの似たような人と

会ってきたこともあり、一時的に、気分悪くは

なったものの別に 大きく 影響はされては

いません。
 
なぜなら、

疑問に思った 他のnoterさん達がいたとすれば、

私たちの記事を

改めて ご自分の目で読んでくださって

判断してくださればいいと、

思ってるからです。

どう判断されても、そのかたの自由です。

なにをどう感じたり、考えたりするかは

人それぞれです。


ただ、私は、思ったんです。

私は、まなを連れて、自然のなかに、車で

週一回の割合で行くのですが、あることに

いつも、不思議に思っていたんです。

片道2時間は運転していて、同じような

道路だとしても、一方では、かなり長い距離に

渡って、ゴミが散乱している。

つまり、車から捨てているんでしょう。

でも、一方では、ゴミは、ひとつもない。


なんでだろう…なにが、ちがうんだろう。


運転しながら、毎度、考えてました。

あ~そうか !

人間って、ゴミが増えれば増えるほど

ま、いいか !

と、思ってしまうのかもしれないと。

反対に、ゴミひとつない綺麗な場所には

捨てることに、罪悪感があるんじゃないかと。

ならば、話は、場面は変わりますが、

学校のいじめでも、クラスの雰囲気が

いじめは、許さない !

作らない !

というものであればそうなるのでしょうね。

人間は、弱い。

でも、だからこそ、高い意識を持つことにより、

素晴らしい結果も出せるということです。

それは、極端に言えば、無言でも、

結果を出せると思います。


なにが言いたかったかというと、

note

 
私は、はじめは、こんな場所もあるのか

と、少し、びっくりしたものです。

からだにせよ、心や精神にせよ、
 
しんどいことや、苦しいこと、辛いこと

また、ありとあらゆる世の常と思われる

いろんな感情を全部は出せなくても、
 
いろんな表現で書きあらわし、また、

うれしいこと、喜びを素直に表現している。

だれかの記事に対して、共感出来るときは

自由に共感し、出来ないときは、否定する

こともなく静かにしている。 
  
今の世の中には、大変珍しい、まるで

なつかしい心の古里のような場所と

いうか、ひとつの街みたいに

なってるんだな~と。


素直な表現をしながらも、ひとり

ひとりが、高い意識と願いを込めることに

より、noteは、少しでもあたたかい

安らぎの場所を保てるのではないだろうか。


そんな願いを jun_manaは持っており

あえて、今回の件を書きました。

理解していただけると、ありがたいです。


また、別の件で、まなも私も疲れて

いました。

特に、まなは、その件から、もともと

1日に一食くらいなのに、食べれない

飲めない…くらいの状態が続き、また

かなり痩せました。年末あたりは、

それで、歩くことも出来なくなり

トイレにいく時でさえ、ぶっ倒れる。

その件については、書くつもりでは

ありませんでした。

でも、メッセージとしてお伝えする

ことは、意味があるかも知れないと

考え、まなの同意のもとに、書きます。

わかる人にはわかる。

そんな感じで書きます。

申し訳ないですが、具体的には書けません。

去年の秋ごろ、まなは、⚪ ⚪ 大学と

関わることが出来て、私と抱きあって

泣いて喜んだ話を記事にしました。

いままで、どれほどの人たちと

会って来たことか。


私自身、100 動いて、1 を獲得する !

という持論というか、そんな考え方を

しています。

無駄だと笑われようが、自分が思った

ことは、とにかく、動いてみる。

そんな生き方なので。


それが、やっと、まなとともに、
 
願いが叶った一歩だったわけですから、

言葉には表せない喜びでした。

いえ、大声で、まなと、喜び合いました。


まなは、⚪ ⚪大学から、帰宅後も

痛すぎてペンを持てない✋で、

三枚の絵を描きあげました。

そのデータを、メールに貼って

向こうに、一枚ごとに、送っていました。

でも、2回目あたりから、連絡が来なく

なり、それでも待ったり、まなから

メールを送ったり。

でも、返事は、ありません。

小学校時代の記事に、

先生、お返事ください !

のタイトルでnoteに書きましたが、

あのようなことが、また、起きている

感じでした。


⚪ ⚪ 大学が、まなに 言ってくれてた

内容は、控えます。

しかし、その内容は、いくつもあり、

具体的で、私たちでなくても、喜びに

満たされるものです。

それこそ、100人いたら、100人

喜ぶ内容です。


1ヶ月以上、返事がなく、メールなので

既読もつかないので、待つだけ待って

しびれを切らし、私は、電話してみました。

すると、次の日、メールが まなに

来ました。次の日ですよ。

その内容も、控えさせていただきます。

向こうの方々は、どんな意味で、そんな

内容の返事を

されたのかは、わかりませんので。


しかし、まなは、絶望したわけです。


私は、思い考えます。

よく、世間の人々は、言います。

発達障がいの人たちは、扱いが難しいよね。

繊細な人たちは、神経質だよね。

心や精神を病んでる人たちは、すぐに

傷付いたり、自分のいいように解釈

するよね。

と…。


しかし、果たして、本当にそうでしょうか ?

もちろん、場面場面や事柄によっては

そうでしょう。


でも、私は、決して、そう、思いません。

普通と呼ばれていたり、世の中から

偉いと言われているからと言って、

本当にそうでしょうか ?

そもそも、普通って、なんでしょうか ?


話は、すこし横にそれますが、

私は、まなと、27年間、共に生きてきて

はっきり言えます。


よく、本に、発達障がいの人は、

コミュニケーションが 苦手とか

人の気持ちを想像したり理解できない

とか、書いてあるものもあります。


私は、そうは思いません。

コミュニケーション苦手というのは、

緊張しすぎたり、あるいは、音や気配など

刺激に

敏感すぎて、うまく話せないだけで

心の中では、むしろ、普通と呼ばれて

いる人たちより、たくさんのことを

感じたり考えたりしていることも

多いのです。

真面目に物事をとりすぎて

融通がききにくいことは、たまに

あります。

でも。

こちらの、聞き手側の配慮のなさや、

勝手な決めつけも多いのです。

私が、保育士の施設実習で経験した

記事を書きましたが、重い心身障がいの

人たちや、話せない自閉症の人たちは

もし、あの人たちが、今すぐ、しゃべる

ことが出来たら、素晴らしい尊いことを

教えてくれる存在なのかも知れないんです。


話は、戻りますが、⚪ ⚪大学と同じ

頃に、障がい支援に関わる人からも

別件で、返事をもらうことになってました。

でも、それも、何ヵ月もなく、

こちらから声をかけて、やっと

連絡が来たかと思ったら、その件に対し

なにも手をつけてなかったことがわかり、

私たちに連絡をすることすら、頭から

なかった。


いつものことながら、また、いろんな

ことがあったわけです。

まなは、大学のことも、切り離して

なんとか、苦手な世界ではあるけど

ツイッターで、キャラクターを描きました。

親バカではなく、冷静に客観的に見ても

ダントツ上手いな~と。

でも、なぜかなぜか、いいね👍️が

ひとつもつかなく、まなは、疲れ果てて

います。

ふたりで、話してます。

もう、27年間、いっぱい学んできた

つもりなのに、なんでかな~と。

なんで ? 神様…



そんな訳がありました。


最後に、私から、聖書のことばで、

大切にしているものを書いて、この

記事を終わりたいと思います。


小さきものにしたことは、

私 (  神 ) にしたことである。


小さきもの。

あくまでも、私の解釈ですが、

この世で、弱い立場の人と、捉えています。

それは、小さな子どもかもしれません。

それは、障がいを持っている人かも

しれません。

それは、病気の人かも、年をいった人かも

しれません。

それは、道で、動けなくなっている人かも

しれません。

それは、心もからだも、傷付いている

人かもしれません。

それは、いま、あなたの目の前に

いるだれかかもしれません。


これから、世の中は、ますます

生きづらくなるかもしれません。

人間は、お互いに傷付けあうことも

増えていくかも知れません。

でも、だからこそ、思いやりや、優しさ

愛が、静かに 叫ばれていくことでしょう。

真の優しさは、強いもの。

真の強さは、優しい。

難しいことだけど、大切なことを

忘れず、1日1日を不器用ながらも

生きていきたいと願っています。



私も、しばらくは、休ませていただきます。

でも、みなさまの記事を読ませていただこう

と思っています。


みなさまのご健康を守られ、毎日を、

心豊かに過ごすことができますように

心より、祈っています。


感謝と祈りを込めて


   jun より💖


PS、 見出しにつけた絵は、全体像は

載せませんでしたが、後ろ姿の女の子は

まな自身である

と、私は、思っています。

まなの願いも、いつか かならず

叶いますように…✴️

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