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自由放任都市のゆくえ 旅ノート01

 「香港の人って、誰からも守られていないのですね」
 数年前に、香港関係の仕事に就いたばかりの人から聞いた感想です。彼は香港に関係のない仕事が長く、国でさえない特殊なステータスの香港に初めて触れてそう感じたのでしょう。それが残念な形で見事に現れたのが去年。犯罪者の中国への引渡法案に端を発した反対運動「反送中」です。元々はたったひとつの法令の是非が、稚拙で強権的な政府判断により大運動になってしまいました。6月16日には200万人をこえる人々がデモに参加しました。香港人口は約700万人なのです。2014年に起こった選挙制度骨抜き改悪反対の雨傘運動で何の成果も無かったこと、近年ますます中国化が進展していることを背景に、「もうこれが最後」という気分が運動を広範で持続的なものにしている印象です。
 もともと欧米的な意味での民主制などずっとなかった香港、民主の意味が全く違う中国、市民を代表しえない制度の政府。そして唖然とするほど暴力的にデモを取締る警察に、なぜなのだろう市民に対して、と考えてしまいます。これでは香港はやはり植民地と同じではないか。当地の住民に基盤のない政権と警察は、残念ながら守るものはその組織だけ。強いて付け加えると “宗主国” 利益。1997年に宗主国が英国から中国に替わっただけ。あのときの交代も地元香港の民意は抜きで、北京とロンドンが決めたものでした。
 だから、誰からも守られない状況は180年間変わっていない。19世紀半ばにアヘン戦争で英国が清朝中国に割譲させたときも、1941年に日本軍が侵攻したときも、1967年反英暴動のときも、1997年返還のときも、そしていまも。
 67年の反英暴動は大陸中国での文化大革命に連動したもので、香港左派や労働組合が英国植民地支配に立ち向かい、そして半年ほどで潰えた大きな暴動でした。市街に警察の防暴隊が出て、遠慮なく催涙弾を撃ち、公共交通が運休になりました。催涙弾が自宅周辺で飛び交ったそのころ小学生だったアグネス・チャン(陳美齢)はその後、自著で「何が起こっても、イギリスがかばってくれるとは誰も思っていません」と書いています(『ひなげし語録』1984年)。まだ帝国主義の残滓が生き延びていた時代ですが、英国と中国を置き換えるだけで21世紀の現在がコピーのように似ているではないでしょうか。
 それでも、その度に香港は事態を克服し、時代に合わせてより強くより良くなってきたようにも思えます。暴動が通り過ぎ英国支配が再び安定したあとの1973年には、警察トップ(イギリス人)の汚職と高跳びという腐敗の極みにあたって、学生中心に批判活動が起こり、汚職取締独立委員会が新設され現在に至っています。今回のことは少し冷静に少し長い時間軸で考えると、香港の困難克服の歴史の一齣として記録されるのかもしれない、そう微かな期待もあります。幸い、日本はじめ諸外国の報道も香港の情勢をキチンと伝えようとしていますし、地元香港でも市民側に立つ心強い新聞もあり、そしてネット社会はまだ中国の竹のカーテンのこちら側にあって多彩な事実を知らせてきています。現在の反送中運動の中で、半ば自然発生的に生まれた歌『願榮光歸香港・Glory to Hong Kong』があちこちで大合唱されたり、政府が警官の顔をSNSなどでネット上に出すのを禁止すると、警察物映画の警官の顔にモザイクをかけた写真をアップする皮肉がすぐに出てきたりなど、反対運動に平和的でユニークな手法も見られます。そしてこの不安定ななかで運動の記録映画作りが、クラウドファンディングとともに既に始動しています。恐るべし、香港市民。
 10月1日の中国建国70周年に際して鎮静化、という淡い期待は消え去り、秋には衝突と社会の分断がさらに深まりました。その後、67年以来52年ぶりに緊急事態法(戒厳令に近い法規)が発令され、さっそく議会を通さずに覆面禁止法ができてしまいました。これは全くの逆効果で、覆面でのデモや破壊行動は全然沈静化の兆しが見られません。そのうえ11月には香港高等法院で覆面禁止は基本法違反との判決が出て、その取締りが緩みました。まだ、僅かに法治が機能しているのです。とはいえ、かつてより “宗主国” がずい分と強大で、しかもいちいち民草の声を聴く必要を感じていないであろう強権的な国という違いはあります。同じ11月には香港駐留中国人民解放軍の兵士が「自主的に」街に出てデモのあとを片付ました。これは明らかに香港駐軍法違反です。こんな茶番のような方法で解放軍が行動する範囲を少しずつ拡大しています。
 11月24日に行われた、香港区議会選挙では史上最高の投票率となり、民主諸派が8割以上の議席を獲得するという地滑り的大勝を果たしました。香港の区議会は地域の生活環境整備などが目的の組織なのですが、政治的インパクトは大きく響きました。とはいえ市民も民主派も北京も香港政府も決め手を欠き、膠着状態のまま新年を迎えました。秋のデモのときに交通信号が多数破壊されましたが、あまり修理もされずかといって交通警察官の姿も見えません。もともと植民地の香港、お上の規制などあまり気にせず生きてきた街だからでしょうか。信号が消灯した大通りの交差点を車が流れている不思議な光景を見ると、誰にも守られず、誰もあてにしない街の空気を感じます。
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本稿『自由放任都市のゆくえ』は、書肆梓PR誌「Cloud 9 Magazine」創刊号(2020年2月1日発行)に掲載されたものです。なお、原文は縦書きのため、noteの横書きに合わせて調整をしてあります。noteへの掲載は書肆梓さんの了解を得ています。
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