「あのころの横浜 ―『横浜1963』をめぐって―」【歴史奉行通信】第二号
五十歳を超えてから、昔のことを思い出すことが多くなりました。不思議なことに、これまではずっと地続きだった少年時代や青春時代が、なぜか遠い過去のように思えてきたのです。
私は昭和三十五年(1960)に横浜の中心部で生まれました。父は金属加工工場を経営し、母は専業主婦という比較的裕福な家庭に生まれた一人っ子でした(厳密には腹違いの姉がいます)。
とくにこれといったところのない少年でしたが、本は大好きでした。その頃のことを書いたエッセイがあったので掲載します。日版の「新刊展望」という小冊子に寄稿したものです。
また、当時の風景は『横浜1963』でも書きましたが、かつて神奈川県立文学館の会報に掲載されたエッセイで、当時の横浜の様子をお伝えしましょう。
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「ぼくは”ゴン”が好きな子供だった」
子供の頃、市電に乗せられ、よく伊勢佐木町に連れていかれた。伊勢佐木町には、大きなデパートや様々な商店があり、いつも活気に溢れていた。
母によると、私は三、四歳の頃、伊勢佐木町に行って「何か一つ買ってあげる」と言われると、野澤屋や松屋といったデパートのおもちゃ売り場を、さんざん回った末、結局、向かいの有隣堂伊勢佐木町店に入り、「ゴン」と言って絵本を買ってもらう子供だったという。
有隣堂には中二階があり、そこから一階が見下ろせるようになっている(今も同じ)。手すりにつかまり、様々な人が様々な本を買っていくのを見ていると、子供心に、本とは人の数ほどあるのだと思った。そしていつの日か、ここにあるすべての本を読み尽してやろうという野望に取り付かれたものだ。
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