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第六十二号 『天地雷動』と長篠の戦い

こんばんは。伊東潤です。


今年は、新型コロナウイルスの世界的蔓延で、
どこも明るい雰囲気はありません。
経済面での落ち込みはとくにひどそうで、
すでに買い控えが出始めています。


不要不急なものではない小説を
生業としている私たち小説家にとっても、
買い控えは極めて痛い打撃になります。
とくに素晴らしい初速を見せた『茶聖』も、
目標の五万部にはまだ達していないので、
コロナに対する恨みは骨髄です(苦笑)。


とはいうものの、まだまだ人生は続きます。
元気を出していきましょう。

〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓


1. はじめにーー苦闘の結実 『武田家滅亡』

2. 『天地雷動』インタビュー
「結果がわかっていても
ページをめくる手が止まらない、
究極の歴史小説を書きたかった」

3. おわりに / Q&Aコーナー / 感想のお願い

4. お知らせ奉行通信
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1. はじめにーー苦闘の結実 『武田家滅亡』

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さて三月と聞くと、
思い出すのは武田家の滅亡です。


歴史的経緯はネットで
検索していただきたいのですが、
私のデビュー作は2007年に刊行された
『武田家滅亡』です。
それゆえ武田家の滅亡には、
とくに思い入れがあります。


執筆当時は史料を入手するのも難しく、
また参考文献も少なく、
手探りのような状態で書き始め、
這いずるようにしてその滅亡の軌跡を
まとめていったのを思い出します。


数年前に平山優氏の大著
『武田氏滅亡』が出版されることで、
滅亡に至る詳細の経緯が
明らかになりましたが、
それまで滅亡に関する
本格的な研究本はなく、
山梨県史や甲府市史といった自治体史や
「武田氏研究」などの論文・論説の
小冊子を丹念に集め、全体の流れを
把握していくしかありませんでした。


そうした苦闘の結実が
『武田家滅亡』だったので、
脱稿した時は、感慨深いものがありました。
また後年の話ですが、
平山優氏の『武田氏滅亡』と照合しながら、
大きな錯誤がなかったことで、
安心したことを覚えています。


『武田家滅亡』は文庫だけで
17刷を重ねるロングセラーとなっていますが
(2020年3月時点)、
この前段を描いた『天地雷動』という作品も、
滅亡までのプロセスを構成する
重要な作品となっています。


『武田家滅亡』はデビュー作ということもあり、
取材や書評もほとんどなく、
残念ながらメルマガで再掲載するほどの
材料はありません。
その一方で『天地雷動』は話題となり、
単行本だけで3刷まで行きました
(文庫は2刷)。


今回は『天地雷動』発刊時の
インタビューを掲載し、
当時の私の意気込みを
知っていただきたいと思います。


掲載された雑誌は、
今は廃刊となってしまった
「歴史読本」2014年6月号になります。

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2. 『天地雷動』インタビュー
「結果がわかっていても
ページをめくる手が止まらない、
究極の歴史小説を書きたかった」

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――『天地雷動』では、
天正三年(一五七五)の
長篠の戦いに至るまでと合戦の様子が、
勝頼、秀吉、家康らの
奮闘とともに描かれます。


伊東:
同じ武田家を描いた歴史小説でも、
信玄のものは多くありますが、
勝頼の話はあまり見かけません。
しかし戦国武田家三代
(信虎・信玄・勝頼)の中で、
最もドラマチックなのは
勝頼の時代だと思います。
戦国最強を謳われ、
最盛期を迎えていた武田家が、
長篠合戦での大敗をきっかけとして、
坂道を転げ落ちるように七年で滅亡してしまうわけですから、
栄華盛衰が常だった戦国時代の
象徴と言えるのではないでしょうか。
それゆえ、2007年に発表した
デビュー作『武田家滅亡』を
書いたわけです。

ところが、『武田家滅亡』は
多視点群像劇という方式を取ったため、
長篠合戦から書いていては、
たいへんな長さになってしまいます。
それゆえ長篠合戦については後回しにし、
「それ以後」から書いていったわけです。
むろん「いつか長篠合戦を」という思いは
当時から持っていたので、
それがようやく『天地雷動』で
結実したことになります。

長篠合戦は、戦国時代の
ターニングポイントと言ってもいい合戦です。
それまで無敵を誇った武田軍団が、
織田・徳川連合軍に敗れるのですから、
これほど劇的なドラマはありません。
ところが注目すべき点が
鉄砲の三弾撃ちとか同時斉射の是非
といった些末なことに向けられ、
本質的なことがなおざりにされてきました。

例えば
「信長は、いかにして三千丁もの鉄砲を調達したのか」
「さほど堅固とは思えない長篠城を、どうして勝頼は落とせなかったのか」
「なぜ武田軍は、寒狭川を渡って危険地帯の設楽原に入ったのか」
「なぜ武田軍は、馬防柵に向かって突入したのか」
といった点です。

この作品では、
それらの疑問について合理的な回答を
示しています。もちろん小説ですから、
すべてに一次史料の裏付けが
あるわけではありません。
しかし状況証拠などから、
蓋然性の高い解釈になっていると
自負しています。

本格歴史小説というのは、
独自の解釈がなければ
存在意義はありません。
しかもその新解釈に、
どれだけの蓋然性とリアリティがあるかで、
作品の評価が決まると言っても
過言ではないのです。 

――信玄時代を頂点に、
武田家はなぜそれほど
強かったのでしょうか。


伊東:
信玄期の武田軍は、
戦国最強と言っても過言ではありません。
それは多くの実績が物語っています。
信玄の寿命があと十年あれば、
武田幕府の成立も不可能ではなかった
と思います。ただ、それがどれだけの
命脈を保てたかは分かりませんが。

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