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北条早雲と北条五代 【歴史奉行通信】第五十号

こんばんは。
あっという間に夏も終わり、
一年のうちで最も過ごしやすい季節が
やってきました。

それでも今年の九月は暑いです。
これを書いているのが9/11なのですが、
9/9と10の暑さは異常でしたね。


というわけで、今夜もアツさでは負けない
「歴史奉行通信」第五十号を
お届けいたします。

〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓


1. 第五十号の御礼と現在連載中の
 『北条五代』について

2. 北条早雲Q&A(活躍した時代 / プロフィール
  生年 / 兄弟 / 太田道灌と会っていたか?)

3. 北条早雲Q&A(駿河国に下向した理由 /
 人柄・名前 / 「祿壽應穩」というビジョン /
 家臣団構成)

4. おわりに / 伊東潤Q&Aコーナー /
  感想のお願い

5. お知らせ奉行通信
  新刊情報 / 読書会 / その他


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1. 第五十号の御礼と現在連載中の
 『北条五代』について

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いよいよ伊東潤のメルマガ「歴史奉行通信」も
記念すべき五十号を迎えました。

何事も継続が大切です。
これからも充実した内容を心掛けていきますので、よろしくお願いします。


さて、9/7に三島で開催された講演会と
山中城めぐりも天候に恵まれ、
無事に終わりました(こちらも暑かった)。
講演会及びオフ会参加者には、
この一日だけで山中城を
満喫いただけたと思います。


私が抱えている連載7本(うち新聞連載1本)
の中に『北条五代』があります。


この作品は2015年に急逝した
火坂雅志氏の後を引き継ぎ、
朝日新聞出版の「小説トリッパー」に
連載しているものです。


北条氏は初代早雲(伊勢宗瑞)、二代氏綱、
三代氏康、四代氏政、五代氏直と続きますが、
火坂氏の『北条五代』は、
早雲と氏綱の代がちょうど終わり、
氏康の少年時代を書き始めたところで
擱筆(かくひつ)となりました。


そこで火坂さんの跡を継ぎ、
氏康、氏政、氏直の三代を書くことを、
未亡人の了解を得て書き始めたのが
この連載です。


最終的には火坂さんの書いたものを上巻、
私の書いた分を下巻として
発売する予定です。単行本の発売は
2020年半ばくらいになります。


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さて、北条五代は誰もが優秀ですが、
やはり魅力的な人物といえば初代早雲です。


私が早雲について詳しく知ったのは、
司馬遼太郎氏の『箱根の坂』を通じてです。
この作品を若い頃に読めたことで、
どれだけ人生に多くのことが
もたらされたかは分かりません。
それゆえ作家になってから、
「早雲を描きたい」という思いは強く、
人生初の短編集『疾き雲のごとく』では、
早雲を取り巻く人々の視点から
早雲を描きました。
しかしそれだけでは飽き足らず、
その五年後には長編『黎明に起つ』で
早雲視点でその生涯を書きました。


早雲の生きざまや
「祿壽應穩(ろくじゅおうおん)」の思想は、
その後の四代の指針となり、
北条五代は約百年にわたって
関東に覇を唱えます。


今回は北条早雲について
Q&A方式で答えていきたいと思います。


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2. 北条早雲Q&A(活躍した時代 / プロフィール
  生年 / 兄弟 / 太田道灌と会っていたか?)

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Q :
北条五代が活躍した時代はいつですか

A:
一言で言えば室町時代末期から戦国時代です。
それぞれの生誕年と死没年は下記になります。

初代 早雲(伊勢盛時・宗瑞) 康正二年(1456)~永正十六年(1519)
二代 氏綱 長享元年(1487)~天文十年(1541)
三代 氏康 永正十二年(1515)~元亀二年(1571)
四代 氏政 天文七年(1538)~天正十八年(1590)
五代 氏直 永禄五年(1562)~天正十九年(1591)


ちなみに戦国時代の英雄と呼ばれる人たちは
下記になります。

今川義元 永正十七年(1520)~永禄三年(1560)
武田信玄 大永元年(1521)~元亀四年(1573) 
上杉謙信 享禄三年(1530)~天正六年(1578) 
織田信長 天文三年(1534)~天正十年(1582)
豊臣秀吉 天文六年(1537)~慶長三年(1598)
徳川家康 天文十一年(1542)~元和二年(1616)

ちょうど義元・信玄・謙信・信長・秀吉・家康が、氏康から氏政と同年代なのが分かると思います。
つまり早雲は、彼らの登場以前の
室町時代末期に活躍した武将です。

Q :
早雲のプロフィール

A:
以前は「伊勢の素浪人」
「乱世の梟雄(きょうゆう)」
などと呼ばれていた早雲ですが、
最新の定説では室町幕府のエリート、
すなわち政所執事(まんどころしつじ)の
伊勢氏に連なる由緒ある家柄の出だったことが
判明しています。

父親は伊勢盛定という備中伊勢氏の当主で、
母親は伊勢本家の貞国(貞親の父)の娘です。
つまり室町幕府の政所執事(財務大臣格)の
伊勢貞親から見た場合、
盛時は外甥(がいせい)にあたります。

生誕地は備中国の荏原(えばら)荘と
されていますが、
京都だった可能性もあります。
いずれにせよ荏原荘に残された文書から、
少年時代の一時期を
荏原で過ごしたことが分かっています。

Q :
早雲の生年について

A:
かつては生年が永享四年(1432)と
されていましたが、昨今では、
康正二年(1456)が定説と
なりつつあります。
かつての定説より二十四歳も
若返ったことになり、
後の積極果敢な行動力も、
この年齢ならうなずけますね。

Q :
早雲の兄弟について

A:
早雲には八郎貞興という兄がいましたが、
文明年間に申次衆に加えられた
という記録があるだけで、
早世したのか、その他の記録が
残っていません。

早雲の弟には、
弥二郎ないしは弥次郎という者がおり
(実名は伝わらず)、
後に早雲と共に関東に下向し、
重臣となって活躍します。
しかし早雲が小田原城を攻略した
1500年前後に記録から消えてしまうのです。
この時、大森氏の裏切りに遭い、
小田原城で討ち死にを遂げたと
言われてきましたが、最新研究では、
この後も生きていたと言われています。

いずれにせよ、弥二郎の実名はもとより、
戒名も墓の場所も伝わっておらず、
北条氏の系譜の中で謎の人物になっています。

Q :
早雲は太田道灌と会っていたか

A:
文明八年(1476)、
二十一歳の伊勢盛時は駿河に下向し、
今川氏の家督争いに介入したと
言われています。その理由は、
この年の二月、駿河守護・今川義忠が
不慮の討ち死にを遂げたため、
嫡子でわずか五歳の
竜王(りゅうおう)丸(後の今川氏親)と、
義忠の従弟にあたる小鹿新五郎範満
(おしか・しんごろう・のりみつ)の間で、
後継の座をめぐって
内訌が起こったためです。

義忠の正室で竜王丸の母は、
盛時の姉の北川殿であり、
その要請に応えた盛時は駿河に下向し、
小鹿方の代理人である太田道灌と談議に及び、
調停を成功させたと長らく言われてきました。

ところが、この話は史実とは考え難い
というのが最新の定説になっています。
というのも最新研究では、
この時の盛時の活動は、
十一年後の長享元年(1487)十一月の
範満討伐時と混同されているというのです。

単身で駿河に下向したであろう
二十一歳の盛時が、
三百の兵を率いて駿河にやってきた
四十五歳の道灌を相手に、
丁々発止の駆け引きを繰り広げたというのも
確かにおかしな話です。

こうしたことから、
道灌と盛時の出会いと駆け引きは、
史実ではなかったと言えるでしょう。

盛時が確実に駿河に下向するのは
長享元年(1487)で、この時、
三十二歳の盛時は小鹿範満を討伐しています。
この時の功により、
盛時は今川家から富士下方十二郷を拝領し、
本拠を興国寺城に定めたとされています
(善得寺城という説もある)。


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3. 北条早雲Q&A(駿河国に下向した理由 /
 人柄・名前 / 「祿壽應穩」というビジョン /
 家臣団構成)

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Q :
早雲が駿河国に下向した理由は

A:
早雲は伊勢氏一族のエリートとして、
幕府の申次と奉公衆を務めるほどの
高官でしたが、すべての地位や
備中の所領を捨てて東国に下ります。

これまでは、姉が嫁いでいた今川家の
家督争いに介入するのが目的だったと
言われてきましたが、実は早雲には、
「東国の政治秩序の再編」という重大な
使命が託されていたという説もあります。
これは管領の細川政元を中心とした
「明応二年の政変」に連動したものだと
言われています。その後、政元の政変は
尻つぼみに終わりますが、早雲の方は、
伊豆から相模へと順調に勢力を伸ばしていきます。

Q :
早雲の人柄は

A:
その人間性は、
「仁義をもっぱらとし、一豆の食を得ても、
衆とともに分けて食し、一樽の酒を請いても、
流れにそそぎて、土と等しく飲するが如し 」
と軍記物にあるように、
部下思いの仁義に厚い人だったと言えるでしょう。

また領土的野心から下剋上を平気で行った
人物のように言われてきましたが、
実際は筋を通す人でした。

己の野心から小田原城を奪い、
それまでの城主だった
大森氏を滅ぼしたわけではなく、
大森氏の裏切りによって
弟の弥二郎や家臣を殺されたことから
小田原進出を果たします。
もしも大森氏が裏切らなければ、
早雲は伊豆と駿河国の駿東郡を領有するだけの
小大名だったかもしれません。


Q :
早雲という名について

A:
伊勢新九郎盛時というのが早雲の本名で、
出家後は早雲庵宗瑞と名乗っていました。
実はその生前、彼が北条早雲と名乗ったことは
ないのです。
二代氏綱の時、関東で名の通った鎌倉幕府執権の北条氏の姓を名乗ることにより、
関東制覇の正当化を図ろうとしたわけです。
そういう意味では、経歴詐称かもしれませんが、実は朝廷に改姓を願い出て、
許可されているので問題はありません。

Q :
「祿壽應穩」というビジョンについて

A:
早雲登場前の関東は、
室町幕府の機関である関東公方や関東管領が、
関東の支配秩序の頂点に君臨していました。
彼らは内ゲバを繰り返し、領民の生活など
顧みようとしませんでした。
そうした旧体制にくさびを打ち込み、
新たな政治秩序を築こうとしたのが早雲です。

関東討ち入りにあたって早雲は、
国衆や民衆に対して
自らのビジョンを表明しました。
それが「禄寿応穏」です
(厳密には「祿壽應穩」という文字)。
この言葉は
「禄と寿は、応(まさ)に穏やかなるべし」
と読みます。
禄とは財産を意味し、寿とは生命のことで、
「北条家に従っていただければ、
それらを安堵します」
という宣言です。
この四文字は、小田原北条家の当主以外には
捺せない印判に刻まれ、北条家当主から、
民衆に対して直接発布される文書にだけ
使われるようになります。

「禄寿応穏」は、統治する者と統治される者、
すなわち、支配者と民衆を直結させる
初めての合言葉となったのです。
信長のビジョンである「天下布武」、
すなわち「武によって天下を統べる」
と比べると、その違いがはっきりします。
つまり北条氏は、「民意や衆議を大切にする」
民主主義的大名であったわけです。

この印判は、
厳密には二代氏綱が当主となってから
使われ始めました。しかしその経緯からして
早雲のビジョンであったことは間違いなく、
また文書の残存率から言っても
早雲の時代は極端に低く、早雲が当主の時代に、
「禄寿応穏」の捺された文書がなかった
ことにはなりません。

Q :
早雲の家臣団構成は
どうなっていたのでしょうか。

A:
早雲の強みは、
重代相恩の家臣団がないことでした。
つまり以下の三点で、組織として他家に対して
優位に立てたのです。


【早雲時代の組織の特徴】
・早雲の人柄に惚れて付いてきた者が多い
(人格的主従関係)。

・幕府の能吏をスカウトしてきたので、
適材適所の組織ができた。

・過去のしがらみがないため、
有能な人材を主要な地位に就けられた。

こうしたことから、早雲時代の北条家は
実力主義人事が布けました。
その家臣団構成も雑多で
実に面白いものがあります。

・松田、遠山、大道寺三家は
別格の家老として扱われた。
草創期に功績のあったこの三家だけが、
滅亡まで御一家衆と国衆と同格の格式を
持つ家とされた。

・備中から連れてきた
元々の伊勢氏家中(御由緒六家) 
大道寺、山中氏、荒川氏、多目氏、荒川氏、
在竹氏 それとは別に笠原氏。

・今川氏家臣から転じた者、
葛山氏と駿東郡の地侍など。

・幕府奉公衆から引き抜いた者 
松田盛秀・康定兄弟と遠山氏など。

・幕府の吏僚や正室(小笠原氏)の関係者 
小笠原氏、朝倉氏、伊勢氏など。

・伊豆国人 清水、狩野、垪和、板部岡、
南条、伊東、富永、鈴木、高橋氏など。

・旧堀越公方家臣 
遠山、布施、大草、蔭山氏など。

・扇谷上杉家旧臣 内藤、武蔵吉良氏など。

・小田原周辺の国人 
松田左衛門尉康隆、篠窪氏、加茂宮氏など。

・相模国西郡から三浦半島の国人 
実田城主の上田正忠など。

・その他 石巻氏、大藤氏(根来衆)、
梶原氏・安宅氏・愛洲氏ら熊野水軍衆など。

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4. おわりに / 伊東潤Q&Aコーナー /
 感想のお願い

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さて、いかがでしたか。


6/9、岡山県井原市で
「北条早雲と北条五代」という
講演をしてきました。
早雲の生まれ故郷の方々が、
いかに早雲を尊崇にしているかを知って
感無量でした。
それは単に地元というだけでなく、
早雲の事績から伝わる
人間性に惹かれてなのは
言うまでもありません。


こうしてメルマガでお読みいただいても、
早雲という人物の魅力は
伝わりにくいかもしれません。となれば、
やはり本を読むのが一番です。

早雲について知りたければ、
拙著『疾き雲のごとく』と
『黎明に起つ』をお読み下さい。
きっと早雲の素晴らしさに惚れると思いますよ。

『疾き雲のごとく』
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/b91gaaflmtbH3pbE

『黎明に起つ』
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/b91gaaflmtbH3pbF


また、今回のメルマガに対する感想を、是非
SNSなどで教えていただけませんでしょうか。

アップいただく際は
「#歴史奉行通信」
「#伊東潤メルマガ」
のハッシュタグをつけていただけますと
幸いです。


最後に質問コーナーです。

Q.
いつもありがとうございます。
先生は本屋さんへは
どれ位の頻度で行かれますか?
また、本屋さんでアイデアが浮かぶことは
ありますか。
(深谷 様)

A.
本屋さんに関するご質問ですね。
もちろん本屋さんに行くことは大好きです。
少しでも時間ができると
今でも本屋さんをぶらぶらしています。
そういう意味では月に4~5回は行っていますね。

本屋さんでアイデアが浮かんだことは、
残念ながら記憶にありません。
私の場合、やはり友人と一緒に城や史跡に行き、
そこでの会話から生まれることが多いですね。
その一例を以下のエッセイに書きました。
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/b91gaaflmtbH3pbG
(伊東潤)


=========


インタラクティブを心がけている
伊東潤のメルマガでは、
皆さまからの質問に最大限にお答えします。
是非お気軽に以下のリンクより
お送りください。
感想やメッセージも大歓迎です。
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/b91gaaflmtbH3pbH

メールの場合は
info@corkagency.com
までどうぞ。


今回は第五十号ということで、
かなりのロングバージョンになりました。
最後までお読みいただいた皆様には、
謹んで御礼申し上げます。

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5.お知らせ奉行通信
 新刊情報 / 読書会 / その他

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【新刊情報】

8~9月にかけての新刊および
文庫の発売はありません。

☆『敗者烈伝』文庫版(実業之日本社)
10/5発売予定
読んで楽しくためになる評伝集が、
3年の歳月を経て遂に文庫化!
作品情報詳細は追ってアップ予定です。
アマゾンはこちらから
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/b91gaaflmtbH3pbI


☆『潮待ちの宿』単行本(文藝春秋)
10/23発売予定
伊東潤初の世話物短編集!
宿を訪れ去っていく人々に触れながら
成長していく少女を通して、
幕末から明治初期の時代を描く。
作品情報詳細は追ってアップ予定です。
アマゾンはこちらから
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/b91gaaflmtbH3pbJ

【読書会・主催イベント情報】
現在予定している、
読書会および主催イベント情報一覧です。


10/19(土)
第17弾 伊東潤の読書会
<テーマ:茶聖>
14:00〜17:00
場所:株式会社ピースオブケイク
(外苑前駅徒歩3分)

16の地方紙+夕刊フジに連載した
長編書き下ろしが2020年1月に待望の単行本化!
千利休の生涯を描いた長編歴史小説の
プレビュー読書会です。
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/b91gaaflmtbH3pbL


12/14(土)
「伊東潤のオフ会&第18回読書会」
10:00鎌倉駅改札集合(予定)
「鎌倉市政80周年記念講演会&
パネルディスカッション」開催前に、
伊東潤と近くの史跡を回ります。

その後、昼食をはさんで同イベントに出席し、
同イベント終了後に鎌倉駅前の居酒屋か
何らかのスペースで読書会を開催します。
今回はいつもの形式ではなく、
雑談形式にしたいと思います。
参加者の皆様には、『修羅の都』を読み、
本作に関する質問を
考えてきていただければ幸いです。
終了予定は19:30頃となります。


【TV / ラジオ出演情報】

☆「マイあさラジオ」
NHKラジオのレギュラー放送は、
いつも通りあります。
私の担当は月に一度で、
基本的に第2土曜となっています。
だいたい朝の7:30から始まります。
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/b91gaaflmtbH3pbM


【メルマガバックナンバー】
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「歴史奉行通信」。
途中からご登録いただいた方や
「読み逃した!」という方に向けて、
バックナンバーが読める仕組みを作りました。
以下の伊東潤のnoteのサイトより
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お楽しみに。
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