コロンボ愛の深さ 【歴史奉行通信】第二十五号
こんばんは。
今年の夏は特に暑かったですね。
九月のはじめ、
伊東潤メールマガジン
「第二十五号 歴史奉行通信」を
お届けいたします。
〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓
1. はじめにーあるドラマとの出会い
2. 寄稿エッセイー
『刑事コロンボ』の実用性
3. 終わりにー
好きなミステリー小説ベスト10
4. 伊東潤Q&Aコーナー
5. お知らせ奉行通信
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1. はじめにーあるドラマとの出会い
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私は1960年生まれということもあって
テレビ世代でした。
テレビは何が飛び出すか分からない
玉手箱であり、
自分の知らない世界を垣間見させてくれる
「未知の世界への窓」でした。
私の場合、
横浜の中心部の生まれということもあり、
近くに米軍住宅があった関係から、
アメリカに対する憧れや関心には
強いものがありました。
ハリウッド映画やニューシネマはもちろん、
『コンバット』
『アイ・ラブ・ルーシー』
『名犬ロンドン』(ラッシーではない)
『アンタッチヤブル』
『奥さまは魔女』
といったテレビ番組に幼い頃から
親しんでいたこともあり、
アメリカ製のテレビ番組には、
全く抵抗がありませんでした。
そうしたアメリカ製のテレビ番組が
ピークだった1970年代前半、
自分の一生を決めたと言ってもいい
テレビドラマとの出会いがありました。
『刑事コロンボ』です。
このシリーズに痺れた私は、
今ではDVD全巻を持っているほどの
大ファンとなりました。
今回は、2012年に
「刑事コロンボ読本」に寄稿したエッセイを
転載します(誉田龍一君の紹介です)。
私のコロンボ愛の深さを知り、
ぜひメルマガ読者の皆様にも、
このシリーズを見ていただきたいと
思っています。
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2. 寄稿エッセイー
『刑事コロンボ』の実用性
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日本で初めて、
あの薄汚れたレインコートを着た男が
ブラウン管に登場したのは、
記録によると1972年の大晦日だそうだ。
本格的な放映が始まったのが
翌年からなので、
1960年生まれの私は、
多感な中学一年生から
二年生だったことになる。
私は中高一貫の男子校に通っていたので、
高校生たちの話題も耳に入ってくる。
その頃の学校は、
中学生も高校生も皆、
『刑事コロンボ』の話題で持ちきりだった。
当時、山口百恵や桜田淳子といった
大型アイドルもデビューし始めていたが、
放送の翌日は、
そんな話題を持ち出す者はいない。
あの一年、
私の母校の話題の中心には、
間違いなく薄汚れたレインコートを
着た男がいた。
私は、ミステリー好きの父と一緒に
『刑事コロンボ』を見ていたので、
父がディテールをうまく説明してくれた。
そのため放映の翌日には、
「あれは、こういうことさ」
と友達に説明でき、得意満面になれた。
さすがに中学生では、
『刑事コロンボ』の布石や伏線すべてを
理解することは困難だったので、
父親の説明には随分と助けられた。
一躍、クラスのヒーローになった私は、
入手できるすべてのノベライズ版を
読み尽くし、
コロンボ博士と呼ばれるまでになった。
その後も、ずっと私は
『刑事コロンボ』を愛し続けた。
実は、それ以後の米国製テレビドラマで、
あれだけのクォリテイを持った作品が
現れなかったこともある。
しかしそれは、
あくまで趣味の域を出ないものだと
思っていた。
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2007年、私は小説家としてデビューし、
2010年、専業作家になった。
2008年の暮れごろだったと思うが、
某社の担当編集から、
「作家を続けたいなら、
短編を書かないと生き残れない」
と言われた。
小説誌は短編を求めており、
ある程度のレベルまで行かないと
長編の連載は難しいというのだ。
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