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「よど号」ハイジャック事件の概要    【歴史奉行通信】第二十二号

こんばんは。
伊東潤メールマガジン
「第二十二号 歴史奉行通信」を
お届けいたします。

〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓

1. はじめにー
今年の夏の計画は?
2. 書き下ろし<前編>
「よど号」ハイジャック事件の概要
3. 書き下ろし<後編>
「吉田金太郎」とは何者か
4.伊東潤Q&Aコーナー
5.お知らせ奉行通信

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1. はじめにー今年の夏の計画は?

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梅雨前の6/2~4に瀬戸内海の塩飽諸島に行ってきました。

これは10月に発売される新刊『男たちの船出』の取材です。
この件については、出版が近づいたら書いていきますね。

いよいよ夏本番ですね。
もう皆さんは夏の計画を立てられましたか。

私の経験から言うと、
どこかに行きたいと思った時は思い切っていくことが正解です。
行きたいところに行って気分転換を図ることで、
すべてがリセットされて新たな展望が開けてくることがあります。

私は家族サービスで一回だけホテル・ミラコスタに行くぐらいで、
ほかに予定は入れていません。
今年は新聞連載があり、長い休みを取れないからです。
作家の場合、取材旅行で気分転換を図っていくしかありません。

さて今回のメルマガは、
『ライト マイ ファイア』の核心部分について書いていきたいと思います。
内容的には多少、ネタバレとなりますので、
読書予定の方や読書中の方は、
少し時間を置いてからお読みいただくのがいいかもしれません。

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2. 書き下ろし<前編>
「よど号」ハイジャック事件の概要

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1970年3月31日、午前7時30分、日航351便、
いわゆる「よど号」が富士山の南側上空に達そうとしていました。

その時、突然立ち上がった9人の青年たちによって
「よど号」はハイジャックされます。

当時はセキュリティも甘いので、
武器などは機内に容易に運び込めたので、
瞬く間に機内は制圧され、
コックピットにも侵入を許してしまいます。

その後、「よど号」は福岡板付空港に着陸して給油後、
再び飛び立ちます。
この時に女性と子供は解放されましたが、
男性の乗客99名はまだ解放されていませんでした。

日本政府は、北朝鮮に行かれないようにあらゆる手を打ちます。
それがソウル金浦空港の偽装工作につながります。

この工作自体、危険極まりないもので、
よくやったなという気がしますが、
当然のように見破られます。

作中のエピソードは、当時の証言を元にしているので事実です。

この工作を誰が決断し、命令したのかは、
今もって不明です。
ちなみに米軍の指示というのが真相のような気がしますが。

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当時の日本と韓国の関係は最悪で、
人命重視を訴える日本政府の意向を無視し、
韓国政府は強硬策を取りたがります。

つまり北朝鮮に飛ばせてしまっては、
メンツが丸つぶれだからです。

その後、説得工作も実を結ばず、
極度の緊張状態の中で、時間は過ぎていきます。
結局、乗客の代わりに代議士が人質として乗り込み、
結果的には北朝鮮に飛び立たせることになります。
おそらく米軍が何らかの判断を下したのでしょうね。

かくしてハイジャックは成功しました。
実行メンバーは下記のようになります。

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田宮高麿  27歳 大阪市立大学卒
小西隆裕  25歳 東京大学医学部卒 東大全共闘の代表的人物
岡本武   24歳 京都大学中退
赤木志郎  22歳 大阪市立大学卒
若林盛亮  23歳 同志社大学卒
安部公博  22歳 関西大学卒
田中義三  21歳 明治大学
吉田金太郎 20歳 日立造船
柴田泰弘  16歳 高校生

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この中で吉田金太郎だけが労働者出身でした。
ここに一つの謎があると思われます。

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3.書き下ろし<後編>
「吉田金太郎」とは何者か

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ハイジャックから16年後の1985年8月、
京都市の吉田の実家に田宮から一通の手紙が届きます。

金太郎が「急な病で入院していること」
「快復の見込みが薄いこと」
「肉親の誰かが最後の面会をすべく平壌に来られないか」
という内容でした。

実は金太郎が手紙を出したことは一度としてなく、
結局、その消息を知ることができたのは、
この手紙だけだったのです。

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