続・地球の重さ
続・地球の重さ
地球は太陽系の中で最も比重の高い星でした。また、私たちが現在知る限りにおいてのすべての生命を乗せた星、それが地球です。すべては地球の上にあります。その意味でも私たちの世界において最も"重い"もののひとつです。
話は少し変わって今から43年前、ダッカ日航機ハイジャックという事件がありました。テロリストが人質をとって旅客機に立て籠ったのです。
当時首相であった福田赳夫氏はハイジャック犯の示した人質解放の条件を呑むに際して、その理由に「一人の生命は地球より重い」と語っています。
物理的な意味でとれば、そんなことはあり得ないのは明らかです。地球以上の質量が地球の表面に何十億もあったら、重力崩壊を起こしてブラックホールになってしまうでしょう。
彼が述べたのはすべての世界(地球)を合わせたものに匹敵するほど、一つ一つの命は貴重なものであり、その前には、例えば"テロに屈するなという哲学"とか、"国のメンツ"などとるに足らぬ、というメッセージとして使ったのだろうと思います。
この一言を見るに果たして彼は本当の意味での"政治家"であったのか疑問に思います。万人が正面切っては反論できない、表面的には首肯せざる得ない言葉であり、誤解を恐れずに言えば、宗教家や哲学家が扱うべき言葉のように思うからです。あるいは詐欺師か。
私はこの言葉を事件の後に知りました。そして事あるごとに思い浮かべます。この言葉は真理でもあり、大いなる欺瞞でもあると。
一つの命の重さは比較すべきものがありません。比肩しうるのは同じ命だけでしょう。しかしそれにしてもその軽重や多寡を比べてはならない。
ゆえにそれを持ち出した途端、議論は破壊されます。比較しようもないものを守るためだ、と唱えられれば反論の余地はありません。
しかし、政治や行政を率いる立場にある者にとっては、冷厳に最大公約数となる選択を判断しなくてはならない時もあるのだと思います。多くの人にとっての、将来に渡っての、より良い選択を。
その際には命の軽重を量らなければならない時があるかもしれない。仮に自分が非難されることになったとしても、それを行うのが政治や行政を預かる者の果たすべき使命であり責任であって、そしてそうする権限を人々から付託されているはずなのです。
「一人の生命は地球より重い」
正しい。
「一人の生命は地球より重い」
正しくない。
どちらも正解なのでしょう。それは立場、状況、それぞれにおいて刻々と変わるものでしょう。どちらが絶対、と考えるべきではない。
そして命の重さを盾にして、その責任から逃れるような事があってはならない、とも思うのです。
さて、貴方の属す国の、あるいはコミュニティのリーダーはどちらでしょうか。政治家なのか、詐欺師なのか。(了)
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