ヒラサワ曲 勝手に感想「高貴な城」
高貴な城/アルバム BLUE LIMBO
是非とも聴いてみたかった一曲です。戦争に抗議する歌、というのは聞いていました。一体どんな風にステルスは反戦を歌っているのか。戦争行為を正面から非難する歌なのか。それとも嘲り揶揄する歌なのか。
そのどちらでもありませんでした。それは行為者ではなく、それを看過する無力と不義を糾弾する、自らに向けた刃のような歌でした。
目を閉じ耳を塞ぎ、起きていることを見ようとしない。安楽な生活に溺れた自分。“高貴な城”とは安全な場所に閉じ籠り、自らを高貴だと信じ込んでいる事を揶揄するものです。
「疚しく光るマシン」
メディアは遥か遠く、真実を隠して他人事のようにしかそれを伝えない。そうと知りつつも騙されたふりをする自分。鳥とは自らの良心のことでしょうか。本当は気づいているのではないか?自分の胸に聞いてみよ、とステルスは歌います。
「気高きキミの丘の上」
しかし、気高い自分もいるはずた。城を出て声を聞け、丘の上に立ち声を出して応えよ、と、ステルスは“キミ”を鼓舞します。人の不合理な態度を非難し糾弾しながら、最後には人の良心を信じるところがステルスらしくもあり。
「天井の雲 見上げては 消え行く明日の日を羨み」
難しい。雰囲気として、無力な自分を責める心がすべてを変えてしまった、苦悩なく過ごしていた明日という日はもう無くなった。という風に私は捉えました。とにかく印象的な、心に残った詩です。
曲について
曲の素晴らしさが詞の激しさを支えています。緊張感のあるリズム、ドラマチックな展開の旋律。曲の美しさにうっかり反戦歌であることを忘れてしまうほどに。(これは贔屓の引き倒しかなぁ、でも頷いてくれる人も多いはず)
私はこんな風に聴きました。皆さんの胸に去来するものは何だったでしょうか。では、またこんど!
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