認知的不協和vs認知的不協和
認知的不協和vs認知的不協和
陰謀論を信じる人は認知的不協和に陥っているというのを耳にした。そこで感じたのは、おや、これは鏡の関係なのではないか、ということ。
認知に対して受け入れられない現実が生じたとき、信じるものを優先して行動を変えられない、あるいは正当化しようとする態度を認知的不協和というならば、それを陰謀論と断じて鼻で嗤う態度もまた認知的不協和が働いているというパラドックス。
認知と現実の不協和を感じられる人はむしろ幸いで、不協和などないと信じ切る態度もまたそれに陥っているような。
そうした検証が自分に可能かどうかわからないけれど、それぞれが自分の認知と現実・現象を照合してみる過程、とにかく立場をニュートラルにして内省してみる、ということが必要なのだろうと思ってみたり。
ところで、そんな面倒くさいキーワードをオマエタチに放り出してみせて、どう反応するか観察しているように、なにか試されているように感じてしまうのは、ステルスが元来そうしたタチの悪い存在だと思っている私の悪い癖なのだろう(ぎゃっ)
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