Tw(hz)勝手に雑想 私のステルス評 、みたいなもの
Tw(hz)勝手に雑想 - 私のステルス*評 、みたいなもの -
詞を書く。曲を書く。曲をシンセに載せる。音を、リズムを作り出す。歌う。奏でる。猫を構ったりもする(ついでにオマエタチ*も)。
文章を書く。企画書を書く。蓮の鉢を庭に出す。ついでに確定申告もする。古今東西の音楽(及びその他)を見渡す。360度カメラを自在に操り、トランポリンも跳ぶ。十分です。わかりました。
Tw(hz)と呼ばれるご自身のツイッターで日々明かされる活動の数々である。私はこれを毎日読み、リプライを返すのが日課になっている。
本当に多彩な才能だと思う。けれども、回游魚さながら「泳ぐのを止めてしまったら息ができない」と思っているのでは、とすら感じられる精力的な活動ぶりに、いちファンとしては、あまりに多忙過ぎなければいいけど…と心配になるほど。(心配ゴム用と仰られると思いますが)
しかしそれらすべてが有機的に繋がって初めて、ステルスの作品が産み出されているのかもしれないし、何よりそうした活躍をもっと見たい、と思うと「仕事減らして少しはゆっくりされてはいかが?」とも言えない。(ファンとは欲張りで身勝手だ)
今回のTw(hz)で「ギターがうまいわけでもなければ、歌がうまいわけでもない」と自己評価されている。それは正直な心中を語ったものだろう。もっと凄いのはいっぱいいるぞ、と。そしてそれは恐らく真実なのだろう(不敬罪!)が、馬の骨*にとってその価値基準は当てはまらない。
図らずも御自身で言ったように「客の脳」を操る事にかけてステルスは天才なのである。歌う声は鈴の音のように聞こえ、奏でる曲は唯一無二。他と比較すること自体がおこがましい。本人が意図せずとも、ファンはそのように躾られてしまった。そして脳内で起きる事はまたその人にとっての真実である。
だから「(私の)ギターは上手くない」と言っても、「何を仰いますか!あんな超絶技巧を持ちながら」「またまたぁ。本当にステルスはご謙遜がお上手ですわ。」と返されてしまう。
ステルスもこれには「少しやり過ぎたかなぁ」と思っているのかもしれない。
もちろんそれにはそれなりの理由がある。
詞の、イマジナリーな言葉選び、夢と現実世界を往き来するような世界、シュールレアリスム、サイバーと宗教的世界観の融合、宇宙。
曲の、テクノ、ポップス、民族音楽、様々な音楽要素を融合したリズムと旋律。劇的な曲の展開。そして高度な編曲技術。
幻想的なライブ演出や、イタラクティブ性を前面に打ち出したライブ・ショー。
筆者などがいうのはおこがましいことだが、やはり独自性に溢れたひとつの世界を形成している、と思うのだ。これは躾られてしまっても仕方がないのではないか。(沼の沼たる所以)
何よりファンとの交流を大切にしているのがわかる。Tw(hz)がその代表格だが、他にも色々。
ステルス自身は、自分は自分のやりたいことを、ひたすらにやっているだけだし、あまり神格化されたり無批判に受け入れられるのも困りものだな、と思っているのかもしれない。悪目立ちしたくないな、色々と面倒くさいから。と思ってもいるのだろう。
だから筆者は、これ以上犠牲者を増やさないよう気を付けながら、ただひたすらにステルスの(関わった)今までの作品を楽しみ、これからの作品を楽しみに待とう。機会が許せばライブにも行きたい。それだけ魅力のある世界なのだから。
まぁ、こんな駄文を書いたりしちゃってますけど。(了)
*ステルス
平沢進氏の自称。自身の造語、ステルス・メジャー(隠れた大物?)から。
*オマエタチ、馬の骨
平沢進氏のファンの呼称。他に便所のスリッパ、など。
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