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3年前に憧れたこと全てを実現して

早いもので今年ももう残り2ヶ月。学生生活も残り約5ヶ月余りとなりました。

楽しみながら最後まで悔いなく学生生活を送れるように頑張ります。

今までの学生生活を振り返り、天から多くのプレゼントを頂いているお陰で
非常に充実した学生生活を過ごすことができています。

東京という大きな街で挑戦することができていること、大好きなサッカーができていること、多くの大切なことを人を通して学ばせて頂いているところ。
普段の生活では決してお会いすることの無いであろう方々から日々学ばせて頂いているところ。

田舎出身の21歳という若者がこれまでの3年間で他の人と違った刺激的な経験をすることが出来ているのは、ひとえに皆様と天のお陰です。心から感謝します。

今回も僕が経験を通して悟った経緯を元に述べていきたいと思います。

よろしくお願いします。


・田舎町から大都会へ

きっかけは高校3年生、受験期の時でした。

ある日ふとインスタを開いたら16歳の時にロシアに短期留学をしていた時に仲良くなったロシア人の友達から連絡が来ていました。

どうやらその子は今では大学生となり、
地元を離れ、サンクトペテルブルクというモスクワに次ぐ大都市で生活していた
様です。

充実した大学での思い出話や友人らとシェアハウスしている面白話を沢山聴かせてくれました。

その友達と会話していくにつれ、自分も「都会の大学に行ってみたい!」と心から
感じました。

元よりやると決めたら即刻行動に移す人柄です。

会話して僅か二日後に職員室へ行き、進路変更の旨を伝え、札幌の専門学校から
東京の大学へ出願先を変更しました。

受験まで残りわずか1ヶ月程のことでした。先生方や周りの知人の意見の多くが
批判的なものだったのを今でも覚えています。

「この時期に出願変更なんて何を考えているんだ」
「なんで札幌の専門学校が高待遇で指定してくれているのにわざわざ東京行くの」
ウチぐらいの偏差値では厳しいと思うよ笑笑

当時僕がいた地元の私立高校の偏差値は30後半〜
大半の生徒がスポーツ推薦で入学する場所でした。(学園の経営どうなってん笑)

その様な高校から東京の名の知れた大学へ入学することは簡単では無いことは
十二分に分かっています。何より体育会系で全国大会に2度出場しているので
勝負の世界の厳しさは誰よりも理解していたつもりです。

でも、それでも、自分の憧れが勝りました。
どこまで自分が成長することが出来て周りの家族達に恩返しが出来るのかなって。

何事においても走り出すことに意味がある。やらなきゃ分からない。

僕のお母さんの言葉

Jey、私たちはこれから新たな環境、苦難や歓喜を感じるシーンに出会うことに
なる。どんな時でも仲間や家族がいることを感じて夢を叶えていこうね!

ロシアの友達の言葉

多くの批判と応援を背に受けて一緒に東京の大学を受験する友達と夜遅くまで残って頑張ったことは今でも青春。合格した時は本当に嬉しかったのを今でも覚えています。


・夢見たキャンパスライフはどこに行った?

友達との会話にて

「大学行ったら時間沢山あるから筋トレしてサッカーして英語話せるようになって海外留学して,,,あとは酔っ払ったことないから沢山お酒飲んでウェーイするわ!笑」

最後の願望だけ本当に要らない、、、笑

僕の高校の規律はスマホ厳禁など非常に厳しかったのでやっと自由になれると思いとても浮き足立っていました。
(ちなみに僕はスマホ持ち込みがバレて1週間以上学園にスマホ没収された思い出があります笑 その後サッカー部で干されてました!)

そんな子供心を持って人脈もほとんど無い状態でしたがやってやるぞという
理解不可能な気合いだけで上京、そして入学しました。

で・す・が

僕が上京した時はコロナが世界中で大流行。
東京でも毎日1万人越えの感染者が相次ぎ、やりたい事全てが出来ないまま
生活していました。


大学で友達も少ない、家に帰っても小さなアパートで誰も居なくてひとり。
次第にやりたいことが分からなくなって将来が不安になりました。

大学とコンビニアルバイトを往復する生活。次第に自分はなんの為に東京に
来たのか分からなくなり、いつまでこんな生活が続くのかと将来が不安になりました。

今だからこそ言える恥ずかしい話なのですが、
よく涙目で家族に電話していました。いわゆるホームシックです。笑

稼いだバイト代は交通費やら生活費で消える。ある月は1ヶ月2万円で生活
していました。片道190円の電車賃を渋って練習場までの15キロの道のりを
朝5時から2時間かけて自転車で通っていた時期もありました。

歯ぎしりしながら「絶対このままでは終わらせない」って自分に言い聞かせ、
1年生、2年生と過ぎ3年生になりました。

この時点で達成できてたやりたいことリストは、筋トレでベンチプレス100㎏と
CEFRスピーキングレベルC1(少しは話せるね〜くらいのレベル)くらいでした。
(あとお酒もです…今では滅多過ぎる程にお酒は飲まないし飲めないです。)

・目の前の景色がガラリと変わった2023年 大学3年


この1年が今の自分を象徴すると言っても過言じゃないと思います。
刺激的、あまりにも刺激的で濃度の濃い1年を過ごしました。

天からもらった啓示の如く自身の試みの殆どがハマり、
とんとん拍子に進んでいき驚きと感謝が連続した一年でした。

大学3年生になる直前、コロナも落ち着いてきてようやくここから本領発揮だ!と意気込みカンボジアと台湾へ渡り、現地での医療支援プロジェクトに従事しました。

その後、幼い頃より着実に資産形成をしてきたお陰で得たなけなしのお金を元手に何をしようかと考えました。証券口座を開設し、中長期的な株式投資を行うか、
法人口座を開設し、事業を起こし、誰かへ還元するか。
(当時就職する予定だったので即却下+事業計画なし+やる気及び自信のみ有)

いずれにせよ当時20歳。経験の数が足りなさ過ぎると痛感していました。

何もかも浅い。もっと広い世界に出て多くのものに触れなければと考え、
海外へ渡航し様々なことを経験した1年を過ごしました。

”地元で飲んだくれなハタチ” から気がつけば ”世界を見据えて挑む20歳” へと僕の生活スタイルは僅か数ヶ月の間で瞬く間に変わっていきました。

狭い視野抜け出して広がる世界へ行くことは怖いかもしれないけど
実際問題なんとかなる!笑 僕は何回も死にかけてますが
毎回奇跡的に生きてます。

・多くの国へ渡り悟り、感じたこと


非常に多くの光景を各国で見てきました。
・貧困地域で小さい子が空腹満たしにカンナビスを吸っている姿
・苦痛に耐えられず野外の簡易ベッドの上で叫ぶ男性の姿
・目の前を全力ダッシュで通り過ぎた血に塗れた重症の男性の姿
・酷暑の中貧しい病院に生まれた可愛い赤ちゃんの姿
・爆音のロールスロイスに乗りフレックスしている姿(絶対いらんここ笑)

多くの危険な目にも遭ってきました。
・ハリウッドでストーナーに鉢合わせたこと
・カンボジアで8人からスマホを取り上げられたこと
・大量の高速トゥクトゥクに轢かれかけたこと
・バンコクでコロナにかかって全身硬直して緊急入院したこと
・バンコクで雇ったドライバーがストーナー+飲酒運転だったこと
・ロシアで散歩してたら間違えてゲトーに入り本物のロシアンマフィアを見たこと

色々ありましたが多くの経験をしてきましたがどれも貴重な思い出。

これは海外に行って経験されている方には共感してもらえると思いますが、

「人生なんとか生きれる!だから好きにやる!」 (ただし方向性が大切)

これに尽きると思います。僕は上記の経験を16歳・20歳・21歳でして乗り越えてきたので自信がかなり付いてきました。

無理だ、困難だと言われたことなんてことごとく実現してきました。(今まで)
全て高い壁でしたが手が届かなかったものはひとつもなかったです。(今まで)

(こういうと何だか全部やり切ったみたいで満足してそうだけどまだ遊びに過ぎません笑 決して満足していないです!)


・最後に

僕がここまで素敵な経験をすることが出来ているのは、大好きな家族や最高な仲間たちに恵まれていること。

そして何より天から惜しみない程の愛を貰っているからです。

僕や僕の家族はよく周囲から「運が良い、ツイてるね!」と言ってもらえますが本当にその通りです。僕の場合は運だけで生きてます(笑)

天が地よりも高いのと同じ様に私の思いはあなた達の思いよりも高い

イザヤ書55:9

この先どうなるかなんて分かるわけない。

最近、最終面接で
「定年後のキャリアを教えてください」と聞かれ、そこまで生きられる保証も無いのにまるで全てが計画のままに行くと思っているのか、自分より年上がなんと甚だしい勘違いをしているのだろうと感じました。(ちなみに落ちました笑)

先が分からないけど決められた、約束された未来より愛おしいほど熱狂する人生を作っていきたいしこれからも自分がどこまで他者に還元することが出来るかの可能性を追求してみたい。

夢は快い願望。志は厳しい未来への挑戦。

野田一夫

Every good things in this world start with a DREAM
世の中の素敵なことは全部夢を見ることから始まる
The secret is,it's not the chocolate that matters.It's the people you share it with.
秘密なものはチョコレートじゃない。それらを分かち合う人たちだよ。

Wonka  (Movie:2023)

ここまで読んでくださった方々皆さんに心から感謝します。

相当意識高くて熱苦しい様な内容だったと思いますがいつも考えていること、
金科玉条なものは「誰かのためにできること」これだけです。

これからは新たな夢に向けて頑張ります!何年かかるかは分からないけど夢と志の実現のために小さいながらも愚直に行っていきたいと思います。

誰かの心に届くことを願ってます。ありがとうございました!

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