日本人にはWhy Blockchainが理解しづらいのではないか?という話
先週は、記事を1本も上げることができなかった。
改めて、最低週1本ルールは守れるよう、頑張ろう。気負わず、気軽に書いていこう。
●背景:
最近、仕事で中国のとある方に、中国内で進行中のブロックチェーンプロジェクトについて、あれこれヒアリングする機会があった。
プロジェクトの内容に関わる内容は書けないが、そのヒアリングの中で、そもそもの「中央集権に対する課題感」に対する感覚の違いを感じた。そして、それは中国が特異なわけではなく、今の世界情勢をみるとむしろ日本が特異なんじゃないかと感じた。
その「感覚の差」は、ブロックチェーンユースケースの社会実装に対する切迫感の差に繋がり、日本でのブロックチェーンの社会実装の遅れの原因になりかねない。
ブロックチェーンは、手段であり目的になってはならないとは思うものの、潜在的なニーズに気づかないまま、ブロックチェーン後進国になってしまうのも悲しいので、この課題感をまずは表現・共有・発信しようと思った次第だ。
●日本と中国のブロックチェーン投資の差
中国は、言わずと知れたブロックチェーン先進国である。中国共産党は、国家戦略として、ブロックチェーン技術を推進することを発信しているし、それに従う形で、各省ではブロックチェーンの導入計画・投資・企業誘致などを進めている。
2019年のブロックチェーン関連企業の資金調達額は、35億ドル(1ドル百円計算で3500億円)と、明らかに日本のそれを大きく上回っている。
●日本と中国の感覚の差
では、この投資の差はどこから来るのだろうか?これまでは、単に新技術に対する投資姿勢の差がそもそもあり、ブロックチェーンも同様だ くらいに思っていたが、先日、中国の担当者と議論をし、国民の「感覚の差」が大きく影響していると感じた。
・ブロックチェーン技術が有効活用されるシーン・ユースケース
「感覚の差」の話の前に、前提となる「ブロックチェーンがどういうシーンで有効なのか?」について、簡単におさらいしたい。
ブロックチェーン技術は、どのようなシーン・ユースケースで活躍するか?
具体的な答えは、現在進行形で模索されているが、汎化した答え方をすると、
「ブロックチェーンの技術特性である、”データの非改ざん性”、”ネットワークの非中央集権性”を活かすことで、本特性を具備しないが故に課題発生しているシーン・ユースケースに適する」
となる(当たり前だが)。
例:
・仮想通貨:上記特性を活かして、法定通貨の送金手数料の高さ、送金時間の遅さを解決するユースケース
・セキュリティトークン:上記特性を生かして、これまで証券化できなかったあらゆる価値のあるモノを、”トークン”として証券化(投資対象化)し、ネットワークでやりとり可能なものとすることで、流動性の向上、投資対象バラエティの拡大を可能とするユースケース
・サプライチェーンファイナンス:上記特性を活かして、サプライチェーン上の契約関連の書類をブロックチェーンに登録することで、ブロックチェーjん常に登録された信頼度の高い書類(発注書や請求書)をネタにして銀行からお金を借りるユースケース
(ユースケースについては、もっと網羅的な形での概要のまとめ、個別ユースケース毎の深掘りも別記事でまとめたい)
・「非改ざん性」「非中央集権」が嬉しい社会、中国
我々日本人でも、なんとなく、「このデータは改ざんされていないんだね、じゃあ安心だね。」だったり、「中央集権(政府・大企業)に管理されてないシステムなんだね、じゃあ情報操作されていないね」という価値はなんとなくわかる。
なんとなくわかるが、中国などの国の方が感じる価値とはレベルが違う。
数年前、上海に出張に行った時、観光地である「豫園(よえん)」に行った。このとき驚いたのは、公然と売られている偽ブランド品だった。本物かのように売ってくるのではなく、「偽物あるよ」と売り子のおばちゃんは声をかけてくる。
オーストラリアのとある飲料メーカー企業は、中国に輸出した自身のペットボトル飲料(水)が、消費後も何度も再利用(ボトルだけ再利用されて、中国内で水の詰替がされる)という状況に悩まされているという。
逆に、中国からの輸出食品については、たびたび問題が報道されているが、中国人はほぼその問題が発生している中国国内の食品に毎日されされながら、生活している。
中国では、上記のような事例に囲まれて、日常茶飯事という中で生活していると、そもそも企業やお上(ここについては詳しくは書かないが)が発信する情報を鵜呑みにしない、疑ってかかるという文化・社会・考え方が醸成される。
そのような社会で、ブロックチェーンはどう扱われるだろうか?
技術として、意図的な改ざんを防止できる(もちろんデータ登録前の改ざんの問題は残るが)という仕組みは、まさに人々が抱いている課題感にマッチした技術として社会実装が積極的に進められると想像できる。
例えば、食品の加工プロセスが、原材料の情報から加工プロセスの情報、運送の情報まで全てトレースできていて、そのデータはブロックチェーンで改ざんを防止できていますという仕組みがあったら、これは、リアルな社会課題を解決するのだ。
・平和ボケの日本
一方で、日本はどうだろうか?
食の安全という面で言うと、先人の多大なる尽力のおかげで、非常に高いレベルでの食の安全が確保されている。そこには、信頼を確保するための目には見えずらいコストがかかっており、そこをブロックチェーンが代替する可能性はあるものの、そもそも課題が顕在化していないのだ。
数年前に、ペヤングに虫が混入していたということで、大事件になったが、中国や東南アジアでは、地方紙にも載らないではないだろうか?
つまり、現在の食の安全品質が高すぎて、トレーサビリティニーズが顕在化しづらいのだ。
食という面で切り取ったが、他も同様だと思うのだ。
例えば、製造サプライチェーンのトレサビについても、日本のサプライヤーは真面目だ。偽装データを報告するということは、たまにニュースになるものの、比較論でいうと、課題感は外国に比べるとずっと低いのだ。
金融面でも同様、現在の仕組みがある程度(信頼性という観点で)品質高く、社会が回るように構築されている。
結果、日本では、データ改ざんを防止する?非中央集権?それって、そんなに嬉しいんだっけ?という感覚になってしまう。
●まとめ
本稿では、国における社会的差分が、国民の考え方・課題感に影響し、ブロックチェーンという技術が迎え入れら易さに影響する(と思う)という点をまとめた。
嘆いているだけだと意味がないので、別途、(盲目的)信頼社会である日本におけるブロックチェーンの浸透に対する方策について、考察してみたいと思う。