見出し画像

主夫がおうちでセラピストしています「おうちにいるとつまらない自分を愛せちゃう」

2007年にAQUA MIXT(アクア・ミクスト)自宅サロンをオープン。

エンジェルオラクルカードの創始者であるドリーン・バーチュー女史の「エンジェル・セラピー・プラクティショナーⓇ」コースに参加するためにカリフォルニア州のラグーナビーチへ行く。以降、おうちでセラピストをして14年が経ちました。

僕のヴィジョンは「多くの人が上機嫌で生きる世界をつくる」こと です。

おうちでセラピストをして14年

なぜ、おうちでセラピストをしているのか?

それは自分の「幸せを追求したい」からであり、「自分に対して誠実でありたい」からです。

人を癒す仕事がしたい
細かな家事を大切にしたい
できるだけ健康に暮らしたい
いろいろなことにこだわれる氣力と知識を得たい
太陽の光を感じながら仕事をしたい
午前中にかなりのパワーを出力したい
自然を感じる時間を作りたい
スーパーマーケットでの買い物は数カ所行きたい
スーパーマーケットに午前中に買い物に行きたい
ふとんを取り込む時間に家にいたい
洗濯ものを温かいまま取り込む時間まで仕事がしたい
お天気なら布団を干したい(できるだけ)
人とは会いたい、触れ合いたい(対面カウンセリング・整体)
夜は早めに眠りたい(冬と夏で就寝時間を変えたい)
家族とできるだけ一緒にいたい
家族と同じ体験がしたい
自分を大切にし、家族も大切にしたい

など、おうちにいるとしたいこと、してあげたいことができる生活です。

器の小さい、つまらない主夫がここにいます

消耗品の補充に関しての非常に器の小さい主夫の話である。

この世には2種類の人間がいる。
「トイレットペーパーを替える人と替えない人」だ。

トイレットペーパーにどんな物語が、あなたにはありますか?
(→知らんがな案件かもしれない)

トイレに入り、身体からのお便りを聞き、さて、トイレットペーパーを…と思うとすでに役目を終えた「トイレットペーパーの芯」が僕を見ている。

「これはどういうことなんだ?」
「何かの策略?嫌がらせ?攻撃?」

自分のしたことに対する責任感の欠如か、先送り主義か、誰かがやってくれるだろうという信頼感か、替えるべき人間がいるという差別意識か…

とにかく、芯になったトイレットペーパーに僕は感情を揺さぶられるのである。(今はだいぶ笑えるようになりましたよ)

「替えておいてよ!」
「次の人が困るじゃない?」
と小言のようにつぶやく自分が情けないわけで。

「無かったら、替えればいいじゃない?」とパートナーにたしなめられる僕はさらに「器の小さいオトコ」である。

画像1

おうちにいるとつまらない自分を愛せちゃう

自分ではない他人がおうちの中に常にいるというのは、常に自分の感情と対峙することになる。他人の言動をきっかけに感情は湧き起こってしまう。

「なんでトイレットペーパーが無くなったら、変えないんだ?」

という疑問から、「僕はちゃんと替えてきた」「小さなことだけど守ってきた」「頑張ってきた」「誰に何も言われなくても…」といろいろな思いが溢れ出てくるのである。

小さい頃から、トイレットペーパーを買い出しに行き、自分で取り替え、無くなればまた買いに行く。子どもの自転車にあの12ロールは大きい…。
(砂利道で、落としてしまったこともあったかな)

外で用を足せれば少しラッキー!などと高校生の頃には思ってしまっていた。車に乗れるようになって、2点買いもできるようになったけど、替える手間は誰かが代わってくれるわけではなかった。

僕にとってトイレットペーパーは、ずっと続けてきた「がんばり」の証。

喧噪の中にいない、おうちだといろいろなことをゆっくりと思い出せる。

次の人のために、と思って交換を心がけてきた自分
誰にも認められなくてもやらなくっちゃと思っていた自分
買い出しに行かなければならない義務感や苛立ち
補充を忘れて困った時のひとりで悲しくなった気持ち

そんな過去にさかのぼって「悲しみ」を味わい、つまらないと思っていたさまざまなことを家族で分かち合う。娘も頭を撫でてくれます。

「生まれてきて良かったんだよね、僕は。」
「つまらない自分も生まれてきて良かったんだよね。」

ゆっくりと「感情」を味わった後は、たとえようもない喜びと感謝が訪れる。

忙しくも慌ただしくもない「おうち」で僕は自分を愛せちゃうってわけ。
その無限に溢れ出る愛が、僕たちの豊かさの源泉と言えるかもしれない。

画像2


いいなと思ったら応援しよう!