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吉原の光ではなく影を見て欲しい。
昨日私はこのようなポストを見た。呆れてものも言えなかった。
3月から東京藝術大学大学美術館で開催の大吉原展。
— 瀧波ユカリ (@takinamiyukari) February 5, 2024
「他の遊廓とは一線を画す、公界としての格式と伝統を備えた場所」
「洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなし…」
ここで女性たちが何をさせられていたかがこれでもかとぼやかされた序文と概要。遊園地みたい。https://t.co/8CettMKZTl
東京藝術大学は一体何を考えているのか。吉原がどういう場所だったのか、少し調べればすぐにわかるというのに。特に、浄閑寺については全日本国民がその存在を知ってほしい。冒頭のサムネイルの「生まれては苦界 死しては浄閑寺」という石碑は浄閑寺に設置されているものだ。
もしも私たちが人間性というものを持っているのなら、決して吉原を肯定的に考えることは出来ない。
もしも私たちが理性というものを持っているのなら、遊女、売春婦という存在をいつまでも認めることは出来ない。
もしも私たちが全ての人に尊厳があると思っているのなら、自らの快楽のために誰かの尊厳を損ねることは出来ない。
もしも私たちが「見て見ぬふりをするのは卑怯だ」と思うなら、吉原のような街は二度と現れることはないだろう。
もしも私たちが「女性を性欲解消の道具にしてはならない」と思うなら、吉原のような街を二度と作ることはないだろう。
いつの日か私たちが人間性と理性と良識で物事を判断し、性風俗なるものがすべてすべて無くなってしまうことを心から祈願する。受難と無念の中で亡くなった全ての吉原に生きた女性たちに合掌。