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権利のために戦え! イェーリング「権利のための闘争」を読む


 皆さんはルドルフ・フォン・イェーリングという19世紀のドイツの法学者を知っていますか。聞いたことがない、かもしれません。彼は「権利のための闘争」という著作を書いたことで著名な法律の学者なのですが、今手元にあるこの著作を改めて読むと、権利は戦い勝ち取らねばならないものである、との思いを強く再認識することが出来る。誰から?それに逆らうものから。より具体的に言うと、あなたの権利を奪っている者、押さえつけている者から。イェーリングはこう言う。戦い勝ち取らねば国民に権利の意識が身に付かない、と。

 世界中のすべての権利=法は闘い取られたものである。重要な法命題はすべて、まずこれに逆らう者から闘い取られねばならなかった。また、あらゆる権利=法は、一国民のそれも個人のそれも、いつでもそれを貫く用意があるということを前提としている。権利=法は、単なる思想ではなく、生き生きした力なのである。

 基本的人権は生まれつき全ての人々に保障されている。これは21世紀の現代において常識である。しかし、現実はどうかというと、残念ながら十全に保障されているとはとても言えない。であるならば、自分自身のためにも、権利が保障されていない全ての人々のためにも、戦わねばならない責務があるのである。イェーリングはこう言っている。

 人格そのものに挑戦する無礼な作法、権利を無視し人格を侮辱するような仕方での権利侵害に対して抵抗することは義務である。(略)それはまた、国家共同体に対する義務である。―それは法が実現されるために必要なのだから。

  自分自身への権利侵害と戦うことは、すなわちそれは全世界の権利を侵害されている人たちのために戦う事と同じなのである。ただ、イェーリングにも限界があって、ヘーゲル同様「国家共同体」が最大の「公」なのだが、現代においては「世界」が正しい。自分自身の権利のために戦うことは、同じ権利の侵害を受けている世界中の人たちのために戦う事なのだ。女性ならば、女性差別と戦うことは、世界中の女性のために戦うことと同じなのだ。イェーリングはこの著作の最初に「権利=法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である」と書いている。未来の私たちの子どもたちには平和で人権が守られ、差別のない世界を手渡してあげたい。そのために戦いましょう、出来る時に出来ることが出来ればいいと思います。

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