花ざかりの校庭 『浅子と司郎』
【梗概】
高志をはさんで浅子と麻里は対立。
その一方で、福山司郎は高志に嫉妬を禁じ得ない。
彼は京都の資産家、黒川記代のもとを訪ねたときに、あるプロジェクトの示唆を受ける。
雑踏を福山は見渡していた。
あの人から電話があった……。
板崎浅子……。
京都から帰ってきたのが午後1時。
新幹線の中で、昨日の晩にメールが入っていたのに気づいたのだ。
田畑高志の彼女だ。
司郎はその程度のことは知っている。
ただ、アドレスを交換した記憶はなかった。
彼は新幹線から降りたあと、彼女にメールした。
……今、帰ってきたところです。お会いできます。
すると、浅子から突然メールしたことの詫びと、時間はあいているかという内容が返ってきた。
福山はすぐに彼女に電話した。
『急に電話してすみません』
向こう側で浅子の声がした。
落ち着いた声。
「い、いえ。田畑の?」
『そ、そうです』
田畑がぞっこんな浅子とはどれだけ美人なのか?
「駅前の本屋で待ち合わせしませんか?」
福山は移動までの時間をざっと見積もって言った。
『はい』
浅子は事務的にこたえた。
福山は電話をきったあと、やや妄想する。
そして高志に嫉妬した。
彼自身は智恵や麻里の前で男子を演じていたわけであって、実際の男としての彼はご多分にもれず貪欲だ。
ただ、怖いのが先に立つだけ。
★
時折、彼の父のことを思う。
地域の有力者である彼の父は、同時に女性関係も放埒だった。
福山司郎は子供の頃、それを呪った。
いや、子供は圧倒的に人間の狡さを知らない。
福山少年は、ことあるごとに外部の人間から『父の女性関係』にかんする噂を聞かされた。
父のエクステリア事業は大手のクライアントとの繋がりがあり順調だった。
だが、社内で親戚筋の役員が彼の父を潰そうと密かに画策しているのを彼は知っていた。
いつも彼の父は女性関係を噂されている。
彼の叔父方の常務がその悪意の黒幕であることを彼は知っていた。
福山が何故、京都の資産家、黒川紀代女史のもとに赴いたかは、いはば新しい居場所を手にいれるためなのだ。
彼がまだ、高校三年生で独居生活を余儀なくされているのは、せちがらい権力闘争の餌食にならないように……という父の思慮が働いている。
京都で静かに暮らす叔母の久美のもとを彼が訪ねたのも、寂しさの埋め合わせが欲しかったからだ。
福山は早めに到着すると、参考書をパラパラめくっていた。
淡い香水の匂いがした。
彼のとなりに、紺色のスーツにギャザーのスカートをした女性がサイエンスという雑誌を手に立っている。
「……あの、福山くん?」
白い歯が印象的だった。
「……はい、あの?」
「私です」
浅子は笑顔だった。
福山は一瞬、彼女にある種の敬意を抱いていた。
胸元のネックレスが似合っていた。
「板崎浅子さん?」
彼女は頷いた。
福山は高志と浅子の情事のことを少しは聞かされていた。
彼女もそのことは百も承知だろう。
それでも、何も悪びれることもなく、清楚に振る舞っている彼女……。
ストイックなグレーのスーツの下に着たアイボリーのブラウスにわずかに透けて見える黒いスリップ。
福山は少し赤くなった。
高志が夢中になるのは当たり前だろう。
浅子はそんな福山をまえにして、笑顔を崩さない。
もし、智恵が福山の抱く妄想に気づけば、彼女はすぐに嫌な顔をするだろう。
麻里は冗談でかわそうとするだろう。
しかし、浅子はたしかに違った。
彼女は福山が抱く妄想の類いに、常に肯定的だった。
「……出よう?」
浅子は弟にいうように彼に言った。
福山は浅子に見透かされているのはわかっていた。
少し浅子は赤くなっている。
真珠のようなピンクの口紅が可愛らしく光っている。
彼女は福山の手にしていた紙袋を手にして、先に立つ。
「……着いたばかりなのね?」
浅子は微笑んでいた。
「はい」
「この先にビアホールがあるから、付き合ってくれる?」
「……あっ、はい!」
男がいつも異性にたいして抱いてしまう、妄想……のことだ。
「お酒はダメだから……未成年でしょ?」
「ええ」
浅子の下半身はしなやかに動いていた。
「ジンジャーエールにします」
「……そうね、その方がいいわ。未成年だもの」
途中、浅子は何かを言おうとしたが、可笑しそうに口元をおさえてククッと笑った。
「何を笑ってるんですか?」
「いえ、何にも」
浅子の瞳は、彼のそういう類いの欲情を軽く受けとり、まるでそれが当たり前のことのように受け流している。
「さぁさ、行きましょう」
浅子は先に立って歩き始めた。
はるかに大人だった。
二人はカウンターにむかった。
「……面白い本を読んでるのね?」
……ローマの貨幣……という表題の本を福山が手にしているのを見て、浅子は好奇心を抱いているみたいだ。
恥ずかしくもあった。
「わかりますか?」
「んーと、わかるかも知れない、わからないかもしれない」
浅子は言った。
「これ、俺的には最高なんですよ」
「ホント?」
「はい」
「時間とらせてごめんね、少し愚痴を言いたくて……」
福山は笑っていた。
「愚痴……ですか?」
「ありがとう、少し話したくて」
浅子は少し涙をこらえているみたいだ。
「いいんです」
……好い人だな。と福山は思った。
「あいつのことでしょ?」
浅子は赤くなる、
「そ、そう」
浅子は福山に高志のことをたずねた。
「今、どうしてるか……ですか?」
福山は怪訝な顔をした。
福山は田畑にかなり嫉妬していた。
勿論、麻里のことでだ。
しかし、お門違いなのは確かだ。
「小寺とのこと?」
ふいに、浅子の表情が固まった。
彼女は能面のようになったまま、グラスを片手に頷く。
「……正直に言います。あったと思いますよ」
★
福山はかつて、倉木しおんが話していたことを思い出していた。人の心というのはいつも限界がある……。
その限界を通り越して、辛いこと無理強いすると、心が壊れてしまうという。
悲しいことを悲しいと言えなくなっていくのだ。
そしてゆっくりと人は壊れていく。浅子は福山の話をじっと聞いていた。人は光と闇を同時に見ている。
闇が深ければ、さらなる高みをとらえねば、その人は自滅する。
福山は浅子の葉梨を聞いていて、なにげにそんなことを言った。
浅子は皮肉な顔で笑っていた。
「そんな生き方できる?」浅子は言った。
福山は俯き、肩を落とした。
「……とても辛いです」
「貴方はできる?」
福山は少し沈黙した。
浅子の手にしたグラスの中で小さな泡が揺れて舞い上がる。
「……少なくともボクはしなきゃなんないって思ってます」
「そう?」
「アタマが痛くなるんてすが。そのために京都まで行ってきたんです」
浅子は首をかしげた。