花ざかりの校庭 第二部 Mrs.・クロカワの野望 『スワロスキの猫』
【梗概】
高志をふった浅子。しかし、彼女は忘れられない。
そんななか、腐女子智恵と密やかな関係にある福山に邂逅『かいこう』する浅子。
彼がまだ、高校三年生で独居生活を余儀なくされているのは、せちがらい権力闘争の餌食にならないように……という父の思慮が働いている。
京都で静かに暮らす叔母の久美のもとを彼が訪ねたのも、寂しさの埋め合わせが欲しかったからだ。
福山は早めに到着すると、少年ジャンプをパラパラめくっていた。しかし、彼は考え直し、奥にある難しそうな本のコーナーに行った。
淡い香水の匂いがした。
彼のとなりに、紺色のスーツにギャザーのスカートをした女性がサイエンスという雑誌を手に立っている。
「……あの、福山くん?」
白い歯が印象的だった。
「……はい、あの?」
「私です」
「ゲッ」
浅子は笑顔だった。
福山は一瞬、彼女にある種の敬意を抱いていた。
胸元のスワロスキが似合っていた。
「板崎浅子さん?」
彼女は頷いた。
福山は高志と浅子の情事のことを少しは聞かされていた。
彼女もそのことは百も承知だろう。
それでも、何も悪びれることもなく、清楚に振る舞っている彼女……。
福山は少し赤くなった。
高志が夢中になるのは当たり前だろう。
浅子はそんな福山をまえにして、笑顔を崩さない。
「……出る?」
浅子は彼に言った。
福山は浅子に見透かされているのはわかっていた。
少し浅子は赤くなっている。
真珠のようなピンクの口紅が可愛らしく光っている。
彼女は福山の手にしていた紙袋を手にして、先に立つ。
「……着いたばかりなのね?」
浅子は微笑んでいた。
「はい」
「この先にビアホールがあるから、付き合ってくれる?」
「……あっ、はい!」
「お酒はダメだから……未成年でしょ?」
「ええ」
浅子の下半身はしなやかに動いていた。
「ジンジャーエールにします」
「……そうね、その方がいいわ。未成年だもの」
途中、浅子は何かを言おうとしたが、可笑しそうに口元をおさえてククッと笑った。
「何を笑ってるんですか?」
「いえ、何にも」
浅子は先に立って歩き始めた。
「時間とらせてごめんね、少し愚痴を言いたくて……」
福山は笑っていた。
「愚痴……ですか?」
「少し話したくて」
浅子は少し涙をこらえているみたいだ。
さっきまでの清楚でストイックな美人が、ずぶ濡れの猫みたいになっていく。
自らフォトグラファーを自認する彼、福山司郎がそんな彼女を見逃すはずがなかった。
戦場カメラマンが命をとしてジャーナリズムの真髄に迫るように、福山はなんのためらいもなく彼女に迫った。
ずぶ濡れの子猫の胸で、一瞬、スワロフスキが静謐な輝きを放つ。
福山は不思議なくらい自然に彼女の小さな手をとっていた。
「いくらでも話してください」
淡いピンク色の貝殻を思わせる彼女の爪が福山司郎の手のひらのなかにあった。
浅子は福山に高志のことをたずねた。
「今、彼がどうしてるか……ですか?」
「はい」
ビールジョッキを片手に頷く。
★
「ピッチャーにしましょうか?」
浅子はガンガン酒を飲むので、店主がきをきかせた。
「いいえ、じきに帰りますから」
舌のろれつが回っていない。
浅子はえんえん酒を飲みながら失恋話を続けた。
途中、浅子はゲップした。
「おっ、おえっ」
浅子は福山の顔にゲロを吐いた。
「ギャッ」
福山は悲鳴をあげた。
店じゅうの視線が二人に向けられている。
酔っぱらいがゲラゲラ笑いはじめた。
「まいったな」
福山は店主にアタマを下げ、テーブルのゲロを旅行鞄にしまってあったタオルで片付けた。
そして、支払いを済ませ、外にでる。
浅子はへべれけに酔っていた。
浅子は一人で歩けないみたいで、仕方なくおぶってやった。
酒臭い。
どれくらいおぶって歩いたかわからないが、彼は途中、公園で小休止した。
荷物を確かめる。
その晩は寒く、浅子をそのままにして凍死されたりすると困る。