見出し画像

読書レヴュー 金重明氏の「物語 朝鮮王朝の滅亡」

朝鮮王朝の滅亡に関する読書感想文

朝鮮王朝は、1392年に李成桂によって建国され、1910年の日本による韓国併合で終焉を迎えるまで、518年間続いた歴史を持つ王朝です。

この長きにわたる歴史の中で、朝鮮王朝は多くの試練と変遷を経験しました。その滅亡の背景には、内部要因、制度的要因、外部要因が複雑に絡み合っています。

内部要因としては、王権と朝廷の国家基盤の弱体化が挙げられます。正祖の時代までは、王様には外部から操られない権力が保持されていましたが、純祖以降は、王が幼かったり、継承者がいなかったことで外戚が権力を握り、朝廷を掌握していきました。

その結果、一部の氏族が政治を専横し、官職は売買され、朝廷は腐敗化しました。農民は課税により、ますます苦しい生活を余儀なくされていきました。

制度的要因としては、封建制度の崩壊と農民の反乱があります。農民は与えられた土地で農耕をして税を納めていましたが、官僚が多くなるとお金が不足し、定額以上の違法な税を農民から取り立て始めました。これにより、農民は土地を手放し流民となり、各地域で農民の反乱が多発しました。

外部要因としては、列強による外圧と侵略があります。世界は既に、門戸を開放した貿易の時代に入っており、朝鮮にもアメリカ船が近郊に現れ、貿易を迫ってきていました。

また、閉鎖国であった朝鮮には、隣接する中国・日本・ロシアが朝鮮を侵略しようと狙っていました。こうした外圧が強くなる一方で、朝廷では鎖国政策が取られ、外的に対する備えも国内だけの調達に頼っていました。

朝鮮王朝の最後は、日本による韓国併合で消滅しました。これは、「韓国併合ニ関スル条約」に基づき韓国が日本の支配下に置かれたことを示します。

つまり、植民地化されたことで朝鮮王朝は終焉を迎えました。韓国政府は、韓日併合条約は日本の侵略主義によるもので、不義・不当な条約は当初から違法で無効だと主張しています。

このように、朝鮮王朝の滅亡は、内部の弱体化、制度の崩壊、外部からの圧力という三つの大きな要因によって引き起こされました。

これらの要因は、朝鮮王朝が直面した様々な社会的、政治的、経済的問題を反映しており、その複雑な歴史を理解する上で重要なポイントとなります。

読んだ物語は、朝鮮王朝の滅亡についての歴史的事実を詳細に描き出し、その過程を通じて、国家の興亡が単一の要因によるものではなく、多様な力が交錯する中で起こる複雑な現象であることを教えてくれます。


また、歴史を学ぶことの重要性と、過去の出来事から学び、現在と未来に活かす知恵を得ることの大切さを改めて感じさせてくれました。

両班とは何か?

両班とは、高麗や李氏朝鮮王朝時代の朝鮮半島における支配階級の身分を指します。この階級は、官僚機構や支配機構を担い、士大夫とほぼ同一の層とされていました。


両班は、文臣(文班)と武臣(武班)の二つの班から成り立っており、それぞれが国家の行政や軍事を司る重要な役割を果たしていました。


両班の特権には兵役免除や税の減免などがあり、そのために「朝鮮の官人はみんなが盗賊」「転んでも自分で起きない」「箸と本より重い物は持たない」と言われるほどの特権階級でした。

しかし、科挙に合格することがこれらの特権を享受する前提であったため、教育と知識が重要視されていました。

両班の制度は、高麗時代には文臣と武臣の対立が激しく、李氏朝鮮時代にはさらに徹底されました。李氏朝鮮では、科挙制度を通じて官僚を選出し、両班階級が事実上官僚機構を独占し、特権階級としての地位を確立しました。

この身分制度は、中人(専門技術を持つ官僚)、常民(農民や商人)、賤民(奴婢や特定の職業集団)という四段階の身分制度に発展し、朝鮮社会の基盤を形成していきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?