私の勤務していた会社のある丸の内の岸本ビルについて語りましょうか。
丸の内の岸本ビルについて
三菱地所所有 竹中工務店施工
東京の中心部、丸の内に位置する岸本ビルは、都市の歴史と近代性が交差する場所です。1980年に竣工されたこのビルは、地上11階、地下2階建てで、鉄骨鉄筋コンクリート造りの堅牢な構造を誇ります。岸本ビルは、その優れたアクセスと機能性で、多くの企業にとって魅力的なビジネスの拠点となっています。
岸本ビルの特徴は、その立地にあります。JR東京駅から徒歩わずか4分、千代田線「二重橋前駅」からは1分という、東京のビジネスシーンの中心に位置しています。ビルの周辺は、皇居の緑豊かな景観を望むことができ、ビジネスの忙しさの中で自然の息吹を感じることができる貴重な環境を提供しています。
内装に関しても、築年数が経過しているにも関わらず、エントランスや共用部分はリニューアルされており、清潔感が保たれています。また、24時間有人管理の体制を取っており、安全性にも配慮されています。ビル内には貸会議室もあり、テナント企業が利用できる設備が整っています。
岸本ビルは、丸の内エリアの中でも特に歴史を感じさせる建物の一つです。かつてこの地には、1922年に時事新報社が建てた「時事ビル」がありました。その後、1937年に岸本商店のオーナーによって買収され、「岸本ビルディング」と命名されたのです。その歴史的背景は、ビル自体の価値を高めるものとなっています。
現在、岸本ビルは、その利便性と機能性を活かし、多様なビジネスニーズに応えるオフィススペースとして提供されています。小規模オフィスからサービス付きオフィスまで、様々なタイプのオフィスが入居可能で、新たなビジネスの形を支える場となっています。
岸本ビルは、単なるオフィスビルではなく、東京の歴史と現代をつなぐ象徴的な存在です。その壁は、過去から未来へと続く物語を紡いでいるかのようです。勤務していた会社があった岸本ビルは、多くの人々にとって、ただの職場以上の意味を持つ場所なのかもしれません。
岸本ビルの歴史について
東京の丸の内エリアに位置する岸本ビルは、その歴史と建築において、日本の近代化の一端を担ってきました。1922年、時事新報社が三菱合資会社から土地を借り受け、桜井小太郎の設計により1926年に竣工した「時事ビル」がこの地に建てられました。このビルは地上5階建てで、地下には工場があり、屋上には伝書鳩の小屋が設置されていたというユニークな特徴を持っていました。
1937年、大阪の鉄鋼商社である岸本商店のオーナーがこのビルを買収し、「岸本ビルディング」と命名しました。翌1938年には、ビルの所有者として泉吉株式会社と管理会社の岸本不動産株式会社が設立され、岸本ビルディングとしての歴史がスタートしました。
岸本ビルディングの北隣には、1927年に竣工した「内外ビルディング」があり、1952年には所有者の内外ビルヂング社が三井不動産の傘下に入りました。
しかし、岸本ビルと内外ビルは老朽化が進み、1982年4月に岸本ビルの借地契約が満了することから、三菱地所、泉吉、内外不動産の3者間で建替えに向けた交渉が行われました。最終的には、三菱地所と泉吉の共同事業による「岸本ビルヂング」として、1978年に旧岸本ビルの解体を開始し、1980年7月に新たなビルが竣工しました。
岸本ビルヂングと丸の内三井ビルは、煉瓦貼りの共通のカーテンウォールを採用し、視覚的に一体の建物に見えるよう工夫されました。また、両ビルの地下駐車場の出入り口は、周辺の渋滞緩和を図るために、東側に隣接する三菱電機ビルヂング(現・丸の内仲通りビル)と共用にされました。
岸本ビルは、その長い歴史を通じて、多くの変遷を経験しながらも、東京のビジネスシーンの中心地としての地位を保ち続けています。今日でも、その歴史的価値と現代的機能性を兼ね備えたビルとして、多くの企業に利用されています。
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