ものづくりは機械に奪われるのか。 製造技術の高速化 | 新しいものづくりの未来
東京大学で特任助教の山岡潤一です。
大学では、デジタルファブリケーションつまり3Dプリンタなどの未来のデジタル工作機械に関する研究をしています。今回は、研究中に考えていた、昨今人工知能などが注目されていて、はたしてものづくり的な視点から人間の仕事は無くなってしまうのか、未来のものづくりはどうなってしまうかなどの思考をまとめていこうかなと思います。まとめの延長に、人と機械の関係性、将来の人の役割について、推察出来たら良いなと思います。
人工知能とものづくり
多くのメディアでも取り上げられているように、3Dプリンタなどのデジタルなものづくり技術の発展速度は目まぐるしく発展している。プラスチック加工による試作の高精度、高速化だけでなく、人工臓器や建築、はては食品を3Dプリントするという未来がすでに来ている。さらには人工知能技術と結びつくことで、設計すらも機械が行うという、まさにSFのような世界がすぐそこまで来ている。いや、もうすでにその変化の中に我々は突入している。
ここでよく議論されるのは、人工知能がこれまで人しか出来なかったと思われていた既存技術を代替することで、人の仕事が無くなるのではないかという問題についてである。
これはものづくりの領域だけの問題では無いのだが、これまで人が行っていた仕事が機械に奪われるのか、それとも共存できるのかは、非常に気になる問題である。実際、仕事が無くなるということは、個々人の近い将来の生活が左右されることになるので、死活問題である。今までやっていた仕事が突然明日から機械に奪われるんじゃないか、そういう不安がある。
さて、それは本当なのだろうか。人工知能と人の仕事の関係性は、これまでかなり多くの場所で議論されてきた。総評的には人の仕事は無くなりはしないけど、関係性は変わるはずで、仕事の内容も変わるであろう。ある業種は規模が縮小するが、新しい業種も生まれてくる。
ただこの変化を何となく感じることができれば、先手を打つことはできるはず。つまり誰よりも早く新しい業種や新しいツール・サービスを創出することができる。
私の専門は製造技術と人間の関係性について研究しているので、ものづくりの最新技術を調べたり、自ら開発する中で感じた、人と機械のあり方について、ちょっとまとめてみることにした。これまでの歴史や最新技術、将来のビジョンを見ていくことで、これからどういう未来、人と機械の関係性が作られていくのか、というのを考えていきたい。
製造技術の高速化
例えば一日の中でどれくらいの時間、紙とペンで文章あるいは絵を書くだろうか。イラストレーターなどの絵を書くことを生業としているなど特別な状況を除けば、一般的な人の殆どが昔よりも日常的に手書きする時間が減っている。文章もパソコンや携帯のモニタ上で打つ、印刷はプリンターを使うといった状況である。(私も一日紙に文字を書かない日もあるかもしれない…)
シンプルに手書きから印刷技術へ移行する流れは、近年の手作業から機械への変化を象徴していて非常に興味深い。
1953年、最初に発表されたOKI製のテレタイプライターが印刷できる速度が、375〜500字/分程度であった。それから22年後の1975年に発表されたIBMのレーザープリンタは1-2万行/分の印刷速度で、1行40文字として単純計算で1600倍の恐ろしい速度で発展している。
手書きの限界だと、速記が分速320文字で専門職レベルである。つまり最初は人間と大差はなかったのだが、たった20年の間に凄い速度で成長しているのである。ここまで来ると、生産性という側面から見ると手書きする必要性は無いように感じる。
この状況と同じことが3Dプリンタでも起きるであろう。
例えば、最初に発表された3D造形方式は光造形SLAであり、当時の造形速度は直径51mmのオブジェクトをつくるのに約11時間かかった。現在の世界最速3D造形技術(CLIP)の造形速度は同じものを作るのに、約6分で出来てしまう。約30年の間に、およそ110倍の速さで成長している。もちろん造形精度も向上している。
時代が違うので、平面と立体の造形技術の進歩が、同様の道を辿る保証は無い。
しかし、加工の側面から見ると、人間よりもはるかに早いため、人間には太刀打ちできない気もする。
それではこれから実現されるであろう最先端の研究では、造形速度や精度はどのようになっていくのだろう。さらなる高速化は可能なのか、限界はあるのか、全く違う価値へシフトするのか。
次回は、そのような最先端の研究を見ていきたい。