ファニエスト外語学院の頃のボビー
「ファニエスト外語学院の頃のボビーぐらい好き」これは私が一番よく使う喩えだ。使うとはいっても、もちろん友人などいないので心の中でだが。
ファニエスト外語学院の頃のボビーは昼下がりのコーヒーブレイクであり、祖母の家のスイカでもある。至高の一品であり、安心感も持ち合わせている。
だが、同時にファニエスト外語学院の頃のボビーは儚さを孕んでいる。格闘技や天才売り、家族芸を経たボビーは生命体として確かに成熟したが、あの頃のあどけなさ、可愛げを失ってしまっているように感じる。
ファニエスト外語学院の頃のボビーは日常であり、取り戻せない日々なのかもしれない。
ファニエスト外語学院の頃のボビー
ああ、ファニエスト外語学院の頃のボビー
???「オイ、オマエカッテナコトイッテンジャネェゾ」
あ、あ、あなたは…!
???「ボビーオロゴンダヨ」
なんでここに…?
ボビー「ナイジェリア ナメンナヨ ワルクチ キコエテンダヨ」
やめてください!殴らないで
ボビー「モウヒトハナグラネェヨ タダヒトコト イワセロ」
ボビー「オレハ今を生きてンダヨ」
ボビー「ジャアナ…」
ボビー…
ボビーが心を読める可能性、考えてましたか?
ボビーの努力、笑ってませんか?
ボビーが心優しい人間だということ、忘れてませんか?
私も、今を生きたい。
ファニエスト外語学院を奥にしまって前を向こう。
大丈夫、セイン・カミュは見守ってる。
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