『サヨナラの意味』は橋本奈々未らしくないが、乃木坂らしい曲である
乃木坂46が16枚目のシングル『サヨナラの意味』(11月9日発売)を10月20日の”乃木坂46のオールナイトニッポン”にて初解禁した。
翌21日にはMVも解禁。その週の初め、10月16日の『乃木坂工事中』にてシングル選抜メンバーが発表されたばかりだったこともあり、ファン含め、この1週間はさぞかし慌ただしかったことと思う。
初めに言っておくと、このnote自体”書きたいことを鮮度のある内に、なるべく早く”と思い書いているので、この曲を話す上で重要な”橋本奈々未卒業”というセンテンスについて、かなり大雑把な捉え方をしているかもしれないので悪しからず。
大雑把と保険をかけておいて何だが、つくづく”アイドルとは難しい”ものだなと思う。ファンであろうがなかろうが、そのジャンルで最も勢いのあるグループの、さらにエースレベルの存在が席を立つというだけで、こんなにも話題になるのだから。そして芸能界も引退するとなれば、気が気でない人も多いだろう。
発表からこれを書いてる現在まで、ネットを見ていると色々な反応がある。
自分のように橋本の卒業も含めて「サヨナラの意味」を音楽的に捉えている人。卒業にピントを合わせ、歌詞に注目し今後の乃木坂46を思考する人。ネタとして一連の話題を拾う人。人それぞれ異なるリアクションがタイムラインをスクロールするたび流れていくこの数日は、自分自身が普段どのようにアイドルを見ているのかを示すリトマス紙のような、なんとも興味深い期間だった。
様々な尺度でこの話題を見て欲しいので、さらに幅広い視点での考察はリアルサウンドでの香月孝史氏の記事を紹介することで補うこととする。そちらもぜひ。乃木坂46 橋本奈々未がアイドル界にもたらした“豊かさ” 16th選抜が持つ意味を読む:Real Sound
一つ言っておきたいのは、彼女がアイドルになった経緯、乃木坂46を継続してきた原動力の中に「貧しさ」や「ハングリー精神」があったことは間違いないと思う。しかし、卒業に向けた花道を前にそれらがむやみにフックアップされてしまうのは、なんだか人の人生を安易に要約しすぎではないだろうか。卒業発表から数時間後、ネットで拡散されるそんなお涙頂戴なツイートを見て、自分はとにかく違和感を覚えてしまった。
楽曲を中心に聴くタイプの自分にとって『サヨナラの意味』のファーストインプレッションは”可もなく不可もなく”程度のものだった。ただ、端整なコード展開と期待を裏切らない楽曲のディレクションは、決して気をてらうことなく、あくまで乃木坂カラーの延長線上にある曲だと納得できた。曲を聴いて真っ先にグループの重要な局面で作曲を務めることが多い杉山勝彦氏の顔をイメージした人も多いだろう。まぁ、杉山氏による曲だとわかるまでそう時間はかからなかったわけだが(ラジオ解禁後に合わせて発表された)。
楽曲の構成を踏まえても、過去のシングルにおける”乃木坂らしさ”を最新にアップデートしていることは顕著にわかる。最初期のテイストとの類似作としては5枚目のシングル『君の名は希望』(同じく杉山勝彦による曲)が挙げられる。
この曲と「サヨナラの意味」の間には、約3年半という時間が流れている。そのせいか、当時と比べ彼女たちの声のレンジ(音域)も明らかに豊かさを含んでいる。それは演劇性も持ち込んだことによる表現力の研磨が、結果としてもたらした功績の一つであろう。初々しさと戸惑いを抱えたまま、がむしゃらに走ってきた以前の"乃木坂らしさ"の集大成こそが「君の名は希望」であり、世間もメンバーも、初めて代表曲・名曲と呼べる曲に出会えた瞬間でもあったわけだ。
参照というならば13枚目シングル「今、話したい誰かがいる」も、パートごとの混声と成長によって表現された憂いについて、類似するポイントが多い。
改めて、「君の名は希望」の頃と「サヨナラの意味」では人の構成も環境も大きく異なる。上記2曲に加え、近しい構成と楽曲、現在と地続きの”らしさ”を考慮するなら「きっかけ」(2ndアルバム『それぞれの椅子』収録曲)の方が「サヨナラの意味」とのタイムラグも少なく、曲に対するリスナーのリアクションの比較もしやすいだろう。
ただ、シングルというフォーマットは乃木坂に限らず、その時々でアイドルの座標を示す重要な楔である。シングルごとに設けられたテーマとハードルは、グループ全体の様式をその都度リセットさせ、次の座標へと続く道を照らす役割もあるのだ。
今年3月にリリースされた14枚目シングル「ハルジオンが咲く頃」は、今回同様”深川麻衣卒業シングル”という付加価値があった。
初めてグループが卒業を大きなテーマとして掲げたシングルであり、またそれが最も乃木坂らしい人(=深川麻衣)に捧げられた曲だったこと、そのすべてがその時の”乃木坂らしさ”でもあった。
橋本自身、そんな瞬間的な”乃木坂らしさ”を”深川麻衣らしさ”と置き換え、卒業シングルとしてもふさわしいと語っていた(『BUBKA』 2016年4月号より)合わせて、自分はセンターで卒業を迎えなくてもいいことを公言している。
奇としたアクションを嫌う彼女が、卒業を前にグループの真ん中に立つこと。相反する想いと行動が最新シングルとしてリリースされることは、乃木坂に限らず、アイドルグループ全体で、何か新しい指標となり得るのではないだろうか。
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グループ混声とは一重に重ねればいい、というものではない。アイドルにおいては誰がどのパートを、どんな状況で、どんな言葉を口にしているかが注目される。個人がどうフィーチャーされるかで勢力図も見えてくるし、世間はその構図をもとにグループにおけるポピュラリティーも測っている。これは女性アイドルに限ったことではないし、混声における個々の役割についてはV6「kEEP oN」を手掛けた西寺郷太(NONA REEVES)とcorinによるインタビューでも、メンバーの声色や相性に合わせたディレクションを心掛けたと述べている(V6「kEEP oN.」西寺郷太&corin.インタビュー:音楽ナタリー)
彼女たち自身も音楽的側面における”乃木坂らしさ”について、各自で意見を持っているはずだ。その観点においても、橋本はグループ全体と曲単体を見事な俯瞰視で捉えている。それは以下のインタビューでのコメントを見るとよくわかる。
橋本:世の中的に“ヒット曲”と言えるような1曲が持てたらいいよねって話は、メンバーとも常々していて。今はピアノを軸にしたミディアムテンポの、いわゆる「乃木坂46らしい曲」に票が多く集まると思うんです。でも、「乃木坂46のことはあまり知らないけどこの曲は知ってるよ」という曲は、「制服のマネキン」や「おいでシャンプー」くらい。従来の路線で現在応援してくれているファンの方から「確実に支持されるもの」を提供し続けるのか、ハマるかどうかわからないけどギャップを狙って新しいことにチャレンジするのかということなんですよね。でも、それにはまず私たちが確固たる地盤を固めないと、どっちつかずになってしまうと思うんです〜(乃木坂46 橋本奈々未&松村沙友理が考える変化の必要性「そろそろ乃木坂らしさに固執しなくても」:Real Sound)
アイドルを難しいと感じるのは、出自がいくら個人のアクションによるものでも、それが良くも悪くも所属しているアイドルの言動としてフィードバックしてしまうことだ。卒業という人生で誰もが経験するイニシエーションも、アイドルカルチャーの中では商業的なイベントと化してしまう。卒業自体は等しくイベントであるし、ファンにとっては卒業も含め応援しているはずだ。「アイドルである以上」と言われてしまえば、卒業もアイドルにとって大切な仕事の一つであると解釈できる。だが、女性アイドル特有のテーマとも言える”年齢による出発点の違い”によって人それぞれ異なる道を歩くのは当然である。10代から20代にかけてをアイドルに費やした、その異なる軌跡ごとに、異なる卒業があることで、卒業する者はそのグループ”らしさ”から初めて”自分らしさ”を見出せるのではないだろうか。
年齢と卒業の因果関係について、橋本は以下のようなコメントをしている。
橋本:結成当初から18歳以上だった私たちの年代から上のメンバーは、入った瞬間から、「何年(※グループに)いると思う?」っていう話をしたり、わりとずっと身近に卒業っていうものがあり続けながらきたので、あらたまって「私、ここらへんで卒業しようと思ってるんだ」っていう話がとても衝撃に感じるかというと、実はそうではないというところがあって。(略)だからなんか、それは自分が(※卒業を)するっていう形でも、他のメンバーがしていくっていう形でも、それがイベントとして起こりえるじゃなく、いつか流れで起こることだっていうふうに捉えているので、衝撃とかびっくりとか、「嘘でしょ?」とかそういう感情じゃなくて。「ああ、決めたんだね」っていうか、「あ、具体的になったんだ」みたいな。(『ハルジオンが咲く頃(Type-A)』付属DVDより)〜「アイドルと年齢」の捉え方に変化の兆し? 乃木坂46・橋本奈々未の発言をきっかけにシーンの成熟を探る:Real Sound
先述した年齢によって異なるアイドルとしての出発点について、橋本自身はすでに理解しきっている。おそらく、彼女はプロデューサーである秋元康以上にグループを俯瞰の目で見つめていて、それは指原莉乃とは正反対の方法論で、ほぼ同等の視野を持ち合わせているといえよう。それほど達観した客観性をキャラクターとして打出さず、知性や発言に変換しているところが、「乃木坂はそうでもないが彼女(橋本奈々未)は好き」というライトなファンの増加に繋がったのではないだろうか。それはそのまま、乃木坂46を知る入り口を作ったとも同義だと思う。
乃木坂46の基本コンセプト、それは言わずもがなAKB48の公式ライバル”であった”。過去形にしたのは、それがすでに上から6番目ぐらいの基本概念となってしまったからだ。アイドルになる以前から戦場に上がることを強いられた少女たちは、リセエンヌ(フランスの公立に通う女子中高生)のような入れ物を用意され、険しい悪路を走ることを強要された。しかし、その道の先で得た個々の活躍とグループのブランド力は、AKB48の公式ライバルとは大きく乖離した今現在の乃木坂46を生み出すことになったのだ。
「サヨナラの意味」というタイトルは橋本奈々未らしい言葉だろうか。いや、これは乃木坂46らしい言葉だ。
乃木坂らしさとは個々の色によって決められていくことを秋元康も述べている(別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46 vol.02「秋元康インタビュー」より)。
深川麻衣同じく、たとえアイドルにならずとも、橋本は必ずどこかで光り輝く人だっただろう。そんな人がアイドルになったことに奇跡を感じていた生田絵梨花と、いま自分は似た気持ちでいる。
4ヶ月後、”乃木坂らしくなかった橋本奈々未”が、”乃木坂らしい曲”を歌って”橋本奈々未らしさ”を手にして、振り返らず走り去ってほしいですね...