デターミネーションの連鎖~プロ野球、スポーツ、フジテレビ、テレビ業界、時代の歴史と変遷が分かる傑作巨編~/「オレたちのプロ野球ニュース/長谷川晶一」 レビュー
「オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち」が凄すぎた!
そういえば私はしばらくnoteで記事を執筆していなかった。理由は、このnoteで自分は何を書けばいいのかという迷いが出てきたからである。
今年3月に初の単行本「インディペンデント・ブルース」発売以降なのだが、色々な意味で自分のスタンス、今後について考える機会が増えた。今までみたいにプロレス考察したり、レスラー人生を追うスタイルはなかなかやりにくくなってきたと考えるようになった。
実際にレスラーに取材してみると、今までやってきたプロレス考察というものが無駄ではなかったのだが、やっぱり本人に直接に聞いたり、答えてくださったものがどんな資料よりも効果的で実用的なのだ。
そう思うと今のプロレス界について色々とブログやnoteで論じていくのはちょっと難しいよなと。やるなら他の媒体で取材させていただいたりして書く方がいいと判断した。
しかし、私はアメブロやnoteを閉鎖することはしなかった。過去の作品はアーカイブで残しておきたかったし、これらの作品があるからこそ今があると思っている。
そこで色々と試行錯誤していく中でアメブロは、プロレス本レビュー企画を書き続けることにした。これがなかなかやりがいがあった。勉強や資料として買ったりするプロレス本で得た知識をインプットしていくものの、アウトプットしていく機会として、この企画に本格的に着手してみると個人的にはこれを軸にしてしばらくはブログ運営はできると思った。
そしてnoteである。こちらに関しては本当にどうしたらいいのか分からなかった。打つ手はない。
しかし、私は先日ある本に出会い、この感想をnoteで綴ってみるのはどうなるだろうかと考えたのである。
その本は長谷川晶一さんの「オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち」(東京ニュース通信社)である。
内容(「BOOK」データベースより)
多くのプロ野球ファンに愛された理由、地上波撤退の真相…そのすべてがこの一冊に!スタッフ陣を含め、著者が総勢20名超の関係者にインタビューを敢行。さまざまな証言をもとに、番組の誕生から終焉までを追った珠玉のドキュメント。
著者について 長谷川晶一
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務を経て、2003年にノンフィクションライターに。主な著書に「このパ・リーグ球団の『野球以外』がすごい!」「プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!」(集英社)、「極貧球団」(日刊スポーツ出版社)、「夏を赦す」(廣済堂出版)、「最弱球団 高橋ユニオンズ青春記」(彩図社文庫)、「巨人の魂」(東京ニュース通信社)など。公式ブログ:http://blog.hasesho.com/facebook:facebook.com/hasesho
とにかくこの本は読んでみて凄すぎたので、Twitterで感想ツイートをさせていただいた。
この本は読んでいくと見どころといいますか、おすすめポイントが多過ぎる。そこで今回はこちらの「オレたちのプロ野球ニュース 野球報道に革命を起こした者たち」の各章を追いながら書評することにした。
というわけで本格的な久しぶりのnote執筆となったわけである。とにかくこの本に感謝である。
はじめに 「11PMをぶっ潰せ!」
まず著者である長谷川さんは「はじめに」で書店に流通せず、関係者のみに配布された「フジテレビ50年史 1959-2009」という本に触れてることからスタートする。
そして「プロ野球ニュース」というテレビ番組が実は1961年から5年間に渡り放映されていた時期があったことをこの本で知った。なので1979年からスタートした「プロ野球ニュース」は第二期なのだ。そうだったのか…。
「フジテレビ50年史」という本には「プロ野球ニュース」の功績が次々と綴られている。「見て楽しいスポーツワイドショー」「専門知識のあるディレクターを育成」「オフの名物企画」「『11PM』から『プロ野球ニュース』へ」。
フジテレビ系列の「プロ野球ニュース」が日本テレビ系の超人気番組「11PM」をどうやってその牙城を打ち崩すことができたのか。そこには野球報道に革命を起こした者たちによる数多くのドラマがあった。
第一章 伝説の始まり 76年4月1日、放送開始
まずはこの「プロ野球ニュース」というテレビ番組がスタートした経緯について長谷川さんは多くの関係者からの取材、資料、知識という「三種の神器」を活かした「多角的視点」で綴られている。長谷川さんの書き方はライターというよりも、テレビ番組のディレクターみたいなスポットの当て方。だからこそ読み進めると脳内にドキュメンタリー映像が流れるのだ。
印象に残ったのはTwitterでも言及したが、司会に抜擢された野球解説者の佐々木信也さんの「助手席(解説者)ではなく運転席(司会)で番組を仕切ってみたい」という思い。これを見た時にこの人は根っからの仕切りたい人なんだなと。オーケストラでいうところの指揮者タイプ。ある意味完璧主義者なのかもしれない。
またこの番組のコンセプトが「磁器トラックフィルムを使用して同時録音を行うこと」という当時の時代背景による技術革新、「12球団平等に扱うこと」「試合結果を最初に明かさない」「球団担当記者制」「FNS系列局と協力体制を築くこと」といった当時のテレビにおける野球報道ではあり得なかったことを実行しようとしていた。
この本を読むと「プロ野球ニュース」はパ・リーグ球団にとってテレビで取り扱ってくれる大きな存在であり、リーグ発展と知名度上昇に大いに貢献したことが分かる。現在はYouTube、TwitterなどSNS球団や選手がメディアとなり情報や映像発信できる時代だが、当時のメディアはテレビ、ラジオ、新聞、雑誌と限られていた。改めて凄い時代。
第二章 シーズンオフも攻める! 90日間の過酷な挑戦
プロ野球の一年間の日程は季節に応じて変わっていく。1月は自主トレーニング、2月は球団はキャンプで徹底的に鍛え上げ、3月にオープン戦、3月末から10月までペナントレース、10月中旬から末までクライマックスシリーズ、日本シリーズ、11月からシーズンオフとなり、契約更新やファン感謝デー、トライアウトなどシーズン中にはできないことを中心に活動している。
1976年4月、「プロ野球ニュース」はプロ野球開幕に合わせてスタートする。シーズン中は話題が豊富だが、問題はシーズンオフとなる11月以降。しかもシーズンオフでも「プロ野球ニュース」は毎日30分放映される。そこで「シーズンオフ企画」が生まれた。曜日ごとに1回に10分から15分のコーナーを流したのだ。
「カネやんの招待席」(当時ロッテ監督だった金田正一さんをスタジオに招いて、シーズンで劇的なシーンを当事者たちと共に振り返るコーナー)
「わがふるさと」(選手が生まれ故郷を訪ねて。旧友と再会したり、家族と触れ合う人情コーナー)
「アラさんのバッティング談義」(野球解説者で、伝説のホームランキングとなった王貞治さんを育てた名コーチ・荒川博さんと主力バッターとの対談コーナー)
「同窓会交歓」(学生時代、社会人時代に同じチームで闘った旧友同士が集まり、今の心境を語るコーナー)
「トヨさんの家庭訪問」(野球解説者で、西鉄ライオンズ時代には侍と呼ばれた名選手・豊田泰光さんが選手の家庭を訪ねるコーナー)
こちらのコーナーが初期の「プロ野球ニュース」のオフ企画だった。中で当時ヤクルトスワローズのエースとキャッチャーだった松岡博と大矢明彦による「日本海駅弁めぐり」では出雲から秋田までなんと53個の駅弁をひたすら食べるというフードファイター顔負けのとんでも企画まで放送していたのだから、この番組がいかに攻めていたのかが分かる。
ちなみにこの章で印象に残ったのは野球解説者の豊田さんが当時フジテレビアナウンサーだった松倉悦郎さんに言った「スポーツ実況ってのは、目の前で起きたことを自分の言葉でしゃべればいいんだ」という確信を突くアドバイス。本当にその通りだと思う。実況とは本来はその場で起きたことをしゃべりできちんと伝えることが先決。シンプル・イズ・ベストでいいのだ。
第三章 プロ野球報道革命 裏方たちの奮闘
この章では出演者ではなく、カメラマンやプロデューサー、ディレクターといった裏方をメインに取り上げた回。
特に印象的だったのがフィルムで回した映像を現像して、繋いで切っての編集してから当日の夜に放映するという作業がいかに大変なのか。しかも無音の映像に現場の音を合わせるというさらにハードルの高さ。現在はスマホで映像を撮ることができる時代なので、文明の進化を感じるエピソードである。
そして当時が大学生のアルバイトで、後に関西テレビのアナウンサーとなり、現在はフリーとしてCS版「プロ野球ニュース」でキャスターを務める梅田淳さんが登場します。昼はデータ整理、新聞記事のスクラップ、スタッフの出前注文、夜は試合結果のスコアをパソコンに入力作業、本番のフロアディレクターまで多岐に渡ったという。
第四章 FNSグループの底力 系列局の誇り、名物アナたちの流儀
この「プロ野球ニュース」といえば、フジテレビだけでは成功していない。地方各局を集めたFNSグループの協力がなければあり得なかった。
当時関西テレビのアナウンサーだった難波秀哉さんがこう語る。
「番組の仕切りは当然、フジテレビが行います。でも、関西での試合は関西テレビが請け負っていたし、"自分たちのパートは我々の番組だ"という思いはみんなが持っていました。そういう風に思うことができたのは、フジ系列はどこのセクションも仲が良かったからだと思います。ゴルフ中継、マラソン中継ではフジテレビから応援部隊が来たり、私たちも応援に行ったり、ネットワーク全体で協力しなければできないイベントをたくさん行ってきましたから」
これこそ当時のFNSグループで「プロ野球ニュース」に関わっていた者たちの総意なのではないだろうか。ただこれは今のFNSグループはどうなのかは分からない。あくまでも当時の話。
個人的には東海テレビの吉村功アナウンサーの話が読めたのが嬉しかった。スポーツ実況において、吉村さんは中京地区随一という印象が強く、この方のストーリーは興味深く拝見できた。
第五章 怪物・みのもんたの躍動 「珍プレー・好プレー」ブレイク
この章で登場するのが週末の「プロ野球ニュース」キャスターを務めたみのもんたさん。スポーツ企画、スポーツ番組に数多くの影響を与え、現在も続いている「珍プレー・好プレー」の誕生秘話を中心に構成されている。
実は「珍プレー・好プレー」におけるみのさんのナレーションはアドリブで、台本などなかった。そして、「珍プレー・好プレー」がブレイクしたことによって、制作サイドはより試合におけるさまざまな場面を撮影するようになったという。隠し玉の撮影に成功したら10万円を払うという話があり、カメラマンが隠し玉撮影に躍起になったというのが面白かった。
第六章 突然のキャスター交代劇 佐々木信也、降板
この章は「プロ野球ニュース」にとってドラスティックな出来事ともいえるメインキャスター佐々木信也さん降板の回。
これは痺れた。佐々木さん降板に動いた番組プロデューサーの浜口哲夫さんとディレクターの矢野順二さん、そして降板することになったキャスターの佐々木さん。誰も悪くない。各々に大義もある。別に佐々木さんが不祥事を起こしたわけではない。それぞれが番組を思うが故のスタンスだった。
この章、いやこの本でも特に印象に残ったのが、矢野さんの「番組は出演者主導ではなく、ディレクター主導で作られるべきだ」という信念だった。ここに出演者が盛り上げた現場をよりいい味付けをして、いい作品に仕上げるんだという「テレビ屋」の真髄を感じてしまった。
そして佐々木さんは降板人事が水面下で動いていたことに気がついていなかった。
第七章 新たなる旅立ち 新キャスターたちの奮闘
この章の冒頭ではプロデューサーの浜口さん、ディレクターの矢野さんがキャスターの佐々木さんに降板を告げるしゃぶしゃぶの一席からスタートする。実に生々しい内容。
浜口さん 「佐々木さんに折り入って話があります…実は3月いっぱいでキャスターを降板していただきます」
佐々木さん「どうしてですか?僕が何か問題を起こしましたか?」
浜口さん「いえ、何も問題など起こしていません。佐々木さんには何の問題もあるはずがありません」
佐々木さん「では、なぜ?」
浜口さん「13年目を迎えるに当たって、改めて番組を一新させて、もう一度新しい気持ちで『プロ野球ニュース』をスタートさせようという考えからです」
佐々木さん「そんな理由で、僕を降ろすのですか?」
このやり取りは読みながら胸が痛くなる。誰も悪くない。皆正しい。でもやらなければいけなかったということではないだろうか。プロデューサーの浜口さんが「スポーツジャーナリズムからスポーツエンターテイメントへの転換」と語ったように、プロ野球報道革命を起こしてきた番組だからこそ、現状維持はあり得なかった。
佐々木さんの降板が決まり、番組はリニューアル。新しいスタジオ、セット、キャスター陣で出航する。新しくキャスターを務めることになった当時フジテレビアナウンサー野崎昌一さん(平日)、中井美穂さん(週末)、平日アシスタントの須田珠理さんの奮闘と苦闘がこの章では綴られている。
そして最後には「現代」という雑誌に掲載された佐々木さんの告白で締めくくっている。
「これまで野球評論家、野球解説者の仕事をやってきたわけですが、私はもう一つ『野球演出家』というものがあってもいいなと思っています。アメリカの大統領には、演出のときにどんな仕事をするとか、どっちを向くとか、ジョークのネタまで考えるスタッフがいるそうですが、プロ野球はカネを取って見せるのだから、それなりの演出が必要だと思うんです。私は、目先の利益にとらわらず、いずれアメリカの大リーグ野球に追いつけるようなものを目指してほしいと心から願っていますから、それなりの意見を言い続けるつもりです。それが野球演出家の務めですから」
野球演出家という言葉を聞いての感想。やはりこの人は根っからの仕切り屋。でも、これは実現しないことなんだろうなと文面を読みながらそう感じた。僕は「餅は餅屋」という言葉が物事の本質を捉えているように思う。やはり、長年キャスターを務めたとしても演出は専門外。少し浮世離れしている印象を受けた。ただこれは「プロ野球ニュース」キャスター降板という不本意な現実を味わった佐々木さんの意地みたいなものを感じた。ならば俺はこう動いて見返してやるという意地を…。
第八章 放送5000回達成 番組14年目の総決算
番組がリニューアルし一定の成果を上げた「プロ野球ニュース」は1990年2月に放送5000回を迎えた。
ここで注目したのが5000回記念スペシャル企画のひとつとして、野球解説者の西本幸雄さんが当時のプロ野球コミッショナーである吉國一郎さん(個人的にはプロ野球コミッショナーといえば吉國さんの印象が強い)と対談している。ここで西本さんが1993年に発足予定だったプロサッカーリーグ「Jリーグ」について質問している。これが後の将来を暗示しているのだった。
第九章 地上波撤退、突然の終焉 きっかけは日韓ワールドカップ
1993年に発足したJリーグ。このJリーグの躍進が野球人気に陰りを生む。ちなみに「プロ野球ニュース」でもJリーグを含むサッカーの報道に力を入れている。だが、よく考えてほしい。「プロ野球」という競技を報道する番組がサッカーを追っている。ここに矛盾がある。
この矛盾も含め、巨人戦の視聴率低下もあり、「プロ野球ニュース」はニュース番組の一コーナーに収まることになる。
「プロ野球ニュースは曲がり角にきている」
キャスターを務めた当時フジテレビアナウンサーの福井謙二さんのコメントがやけに心にこびりつく。
そして2001年3月に「プロ野球ニュース」は最終回を迎える。同年4月からCSで番組は継続することになったが、地上波撤退である。同年4月から「感動ファクトリー すぽると」という新番組がスタートする。この幕引きに絡んでいたのが、佐々木さん降板劇に関わった浜口さんだったというのもまたドラマチックである。
番組プロデューサーから出世して、スポーツ局次長となった浜口さんは2002年サッカー日韓ワールドカップでフジテレビがホスト局となったことを機に「これだけの世界的イベントのホスト局となったのに、『プロ野球ニュース』という狭い枠に押し込めるのは、はなはだ時代錯誤でしょう」と編成部、営業部に進言したことを受けて、このような結末となった。
そして地上波版「プロ野球ニュース」最終回には、初代キャスターを務めた佐々木さんがいました。
そしてこの番組のエンディングに涙はなかった。
ちなみに私個人が感じたのは、この本では地上波版「プロ野球ニュース」最後のキャスターを務めたフジテレビアナウンサー三宅正治さんについての言及があまりない。これは諸々な事情があるのだろうが、残念。スポーツ実況のエキスパートである三宅さんがこの番組にジョインしたのは、番組の本来の「スポーツジャーナリズム」とリニューアル後の「スポーツエンターテイメント」の両側面から担える人材だからだと思うからだ。
第十章 それぞれの、それから あれから15年…
「プロ野球ニュース」は地上波撤退、CSで継続という形となった。そして、現在もなお、CSで番組は継続中。長谷川さんは番組の関係者の現在をこの章で綴っている。
フリーのアナウンサーとして活躍している者もいれば、高校の校長になった者もいれば、寺の住職になった者もいれば、専業主婦になった者もいる。
そして多くの関係者が「プロ野球ニュースに関わっていた時期が一番充実していた」と振り返っていたのが印象的である。
おわりに すべての取材を終えて…
この本のエンディングは著者である長谷川さんがこの本実現の経緯について綴っている。
長谷川さんは取材を通して、「佐々木信也を、野球殿堂に」という思いを胸に抱いたという。「野球の発展に顕著に貢献した人」という野球殿堂の対象規定に、佐々木さんの功績は該当する。
そしてこの本を読み進めていくと、「プロ野球ニュース」というひとつの番組を通じてプロ野球、スポーツ、フジテレビ、テレビ業界、時代の歴史と変遷が分かる傑作巨編だと感じた。
人によってNHK「プロジェクトX」を見ているようだと評したようだが、まさにその通りである。
野球報道に革命を起こしたこの番組の関係者は、それぞれの立場で、それぞれの信念があり、プライドがあり、そのあらゆる念がデターミネーション(断固たる決意)となって番組の発展に寄与した。そのデターミネーションの連鎖が「プロ野球ニュース」を支える原動力だったのかもしれない。
とにかく読んでいて感情を揺さぶる長谷川さんの技量と取材力を感じた。文章の世界の住人なのに、テレビ番組のディレクターのような俯瞰性、編集力、感性を持つ長谷川さんの作品に外れはないと確信したのである。
スペシャル鼎談 佐々木信也✕土橋正幸✕関根潤三「ここからすべてが始まった」
この本の特別企画は2010年に「野球小僧」で掲載された対談。当時の裏話が盛りだくさんである。