昔もいまもプロレスは面白えよ!
ジャスト日本です。
今回は最近気になる記事が公開になったので、その件についてnoteで触れたいと思います。
東洋経済オンラインさんで新日本プロレスの棚橋弘至選手の2つの記事が公開されました。
棚橋選手のインタビューを務めたのはフリーライターの肥沼和之さん。主にルポルタージュや報道系の文章を手掛け、東洋経済オンラインさんでは歌舞伎町やプロレスをテーマに多くの記事を世に出されている方です。
棚橋選手のインタビューは、映画『アントニオ猪木をさがして』のプロモーション活動として、複数の媒体で掲載されています。
その中でプロレス界隈のSNSでざわついたのが、東洋経済オンラインさんが配信された棚橋選手の記事でした。
詳しくは記事を読んでいただければありがたいのですが、後編の『ある意味「猪木を越えた」棚橋弘至がそう語るワケ』となかなか刺激的なタイトルで、割と踏み込んだ内容だったため賛否両論を呼びました。
実はよくよく読み返すとNumberwebで掲載された堀江ガンツさんが手掛けた棚橋弘至のインタビューの方が、相当踏み込んでいるのですが、そこまで批判されていないのはガンツさんのバランス感覚と力量なのかもしれません。ちなみに棚橋選手以外の記事を読みましたが、肥沼さんも素晴らしいライターだと思います。これは本音です。でも棚橋選手の記事に関してはプロレス村でざわついた。なぜなのでしょう?不思議です。
私は東洋経済オンラインさんの記事を読んで、色々と思うことがあり、複雑な気持ちでした。
今年に入ってから東洋経済オンラインさんでエンタメ記事を書いていたので、やはり見過ごすわけにはいきませんでした。
個人的な思いは結構、悔しかったですよ。情けなかったです。得意分野のプロレスで、しかも棚橋選手ですから。できることなら私がこのインタビューに携わりたかったです。でもこの解決方法は簡単です。東洋経済オンラインさんで実績と信頼を築けばいいのです。そのためにもっと頑張ろうと決意しましたよ。
https://twitter.com/jumpwith44/status/1709425298113245452?t=RRdu5gEiv2-eWYUkxWl13A&s=19
だからこの書き込みはかなり言葉を選びました。まずこのインタビューを読んで思い浮かんだのは数多くの猪木さんインタビューを原稿化して書籍を手掛けた作家の木村光一さんの言葉でした。今年、ブログ企画で木村さんにインタビューさせていただきました。数多くの学びがあり、猪木さんの凄さを再認識させられました。
私とプロレス 木村光一さんの場合
「第1回 真の猪木を追い求める闘魂作家、登場!」
「第2回 アントニオ猪木の強さとは!?」
「第3回 蜜月と別離」
「最終回 シン・INOKIプロジェクト」
木村さんがおっしゃった「猪木イズムは一代限りで、誰も継げるものはいなかった」という言葉に、大きく頷く自分がいました。そのような刺激的なタイトルをつけるのだから、棚橋選手が『ある意味「猪木を越えた」』理由についても納得できるものかと思いきや、個人的には「それが理由?」と疑問符がつきました。その手法だと棚橋選手だけじゃなくて『ある意味「猪木を越えた」』選手は意外と多いんじゃないだろうか…。ちょっと違うなぁ〜。
でも東洋経済オンラインさんの立場もわかるんですよ。ネットメディアはやっぱり記事がクリックされてなんぼです。どんなにいい記事でも読まれなければ、配信した意味もありませんから。その現実があります。
棚橋選手、木村さん、東洋経済オンラインの三者の気持ちが理解できるという複雑な気持ちがありました。「みんな、わかるよ」という板挟みというべきでしょうか…。
でも棚橋選手がいたからこそ新日本は低迷を脱して復活できたことは事実。あの方が粉骨砕身、新日本とプロレスのために捧げた、全力プロモーションとプロレスをやり続けたからこそ、WWEに次いで「プロレス業界世界第二位(今年はAEWが2位になり、3位になるかもというニュースがあった)」となった今の新日本プロレスがあります。
棚橋選手と私の゙関係については以前、こちらの記事で綴らせていただきました。
棚橋選手がやろうとしたことは、猪木さんとは違う山を築いて、シン・新日本プロレスを作ろうとしたわけで、その点を考えると彼は異端者だなということをSNSで述べさせていただきました。
すると木村さんからこのような返信がありました。
わかる。ものすごい気持ちがわかる。これが木村さんと出逢う前なら、「昔のプロレスは肯定、今のプロレスは否定」という排他的懐古至上主義者の意見と捉えることができた。
でも木村さんは違う。「プロレスはアントニオ猪木」と語る木村さんですが、プロレスという運動体について的確な持論をおっしゃっていたのです。
私はこの木村さんの言葉を聞いてめちゃくちゃ嬉しくなりました。
「やっぱり木村さんは凄い。頭も柔軟で、プロレスの本質を見る側視点できちんと掴んでいる」
そんな木村さんだからこそ、このリプには驚きました。でも理由なく指摘する方ではないのはインタビューをしてみてよくわかっています。立場も理解もできる。
そこから割とSNSでこの棚橋選手のインタビューはざわつきました。かなり熱気もあってやや殺気立っているようにも感じました。中には棚橋選手を批判して、猪木さんを絶賛する人もいれば、「棚橋がいたから今の新日本がある」と指摘する人もいました。あと「昔のプロレスは絶賛、今のプロレスは否定」層もあれば、その逆もありました。多種多様の賛否両論!
あくまでもプロレス村の話ですが、このようなことで盛り上がって喧々諤々議論をしていくのはプロレスファンの醍醐味でもあり、その一方でその取り巻きを見て「怖いな」「嫌やな」と新規層からプロレスが敬遠させている要因のひとつかもしれません。要は未だに「いちげん様お断り」なんですよ、プロレスは。これは功罪相半ばです。
これはまた色々と熟考する必要がある。どのように返して示すべきか悩みました。ちゃんとした意見をSNSで残したい。結果的にはこの件に関しては木村さんだけにリプを返すことにしました。
すると木村さんからこのようなリプ返しがありました。
https://twitter.com/vdxJog5HlRT47XH/status/1709885576873447504?t=yGyIESGUbtfqmBiRvHyUaw&s=19
私からすると猪木さんも棚橋選手も凄いんです。その上で今の猪木さんに関する新日本のスタンスにも疑問があったので、猪木イズムは継げないのだから、闘魂伝承とか謳わずに、各々が猪木イズムを生きるヒントとして、今後の人生に活かして、独自の道を歩んでほしいなと考えました。
木村さんも私のスタンスもご理解いただき、安心しました。ありがとうございます!
ここからは一部、SNSでつぶやいた内容と重複している部分もありますが、私も踏み込んだプロレスに対する意見を述べたいと思います。
私は猪木さんも棚橋選手もプロレス界の偉人だと考えています。手法は違いますが、この二人はプロレスを変えて、プロレスを救ったのです。
新日本、全日本、U系、アメリカンプロレス、インディーとさまざまなジャンルのプロレスが好きだった私は、ライターとして文章を書く時はどのような内容でも、プロレスとプロレスラーに敬意を持って書くようにしています。それが最低限の礼儀です。
あとオールドファン(特に一部の猪木ファン)から批判の対象となっている武藤敬司さんと馳浩さんもリスペクトしています。武藤さんは三沢光晴さんと共に私のスーパーヒーローです。馳さんは1990年代新日本の名勝負製造機で、馳さんの硬軟自在の試合が大好きでした。
武藤さんと馳さんはある意味「新日本で猪木さんを排除したり、別世界に導こうとした」張本人です。でもこの二人は私が青春のすべてを投げ売ってプロレスに熱中していた1990年代新日本の功労者です。好き嫌いはあるでしょう。色々な意見はあって然るべきです。でもだからといってこの二人を怨念丸出しでSNSで悪口を書いたりするのは私はとても悲しいです。
「何書いてもいいだろう」「見たくなければ見なければいい」と言うでしょうけど、SNSの゙タイムラインは見たくなくても目に入ってしまうケースがあるのです。
個人的な意見ですが、そういう文章を見ると、なんだか自分が見てきた青春時代のプロレスが否定されているような気がするのです。だからこそ自分がされて嫌なことはやらないですし、安易にマウントを取って相手を否定する行為は控える方がいいよなと思います。
オールドファンの皆さんは猪木さんが世間の偏見と戦ってきたように、「猪木さんが好き」「プロレスが好き」となかなか言えない社会で悔しい想いをされてきたと思います。
その風潮は私がプロレスファンになった1992年にも世間の偏見は残っていて、やはり「プロレス」という単語を人前では言えなくて、友達にも言えなくて、ひとりでずっとプロレスを楽しんでました。周りにプロレスファンがいたとしても、言えない空気が確かに存在してました。
あと「プロレス」を馬鹿にする風潮もあり、かなり嫌な思いもしました。
時代は多様化社会になって、プロレスもその中のひとつになり、「プロレスファン」と名乗りやすい状況にはなりました。
でもどこかに「プロレス」は後ろ指をさされているような気もして、政治やエンタメでも出来レースの類で「プロレス」と形容をする人達がいると、悔しいですし、悲しくなります。でもそんなネガティブな感情を抱くより、ポジティブに考えて、プロレスの面白さを伝えた方が有意義な人生を送れると思うんですよ。
それなら、自分が好きなプロレス、好きなプロレスラーを語っていって、「プロレスって面白いな」「プロレスラーはすごいな」と多くの皆さんに届くような、いい意味で空気の循環をよくする風を吹かせた方がいいんじゃないのかなと。
プロレスは時代を映す鏡です。ならば時代によって色々な輝きに変容するプロレスを私は見届けていきたいです。
みんな違って、みんないい。
人様に迷惑をかけなければ、それぞれのプロレスの愛し方や接し方があっていい。
昭和には昭和の、平成には平成の、令和には令和のプロレスの形があるわけです。そもそもやる側と見る側では視点が違います。
やっぱりプロレスは受け身を取っている人間にしか分からないという考えは至極当然だと思います。
プロレスは今も選ばれし者の世界。だからこそプロレスとプロレスラーの素晴らしさを僕は文章で全力プロモーションしたいのです。
私はリアルタイムで見ていなかった国際プロレスをDVDでハマって大好きになりました。
その一方でABEMAでWWE、新日本プロレスワールドで今と昔の新日本とAEWを視聴して、レッスルユニバースでノア、DDTを見て、GLEATでUWFを考えたりしています。
大日本やFREEDOMSのデスマッチにも最大のリスペクトを感じ、STARDOMや東京女子プロレスにも凄さを感じます。
ガンバレ★プロレスの熱狂空間は大好きですし、You Tubeで過去のアメリカンプロレスやヨーロッパのプロレス、プエルトリコのプロレスを見て勉強しています。
私はこう思うのです。
「リアルタイムと歴史探求の双方で楽しめる最高の娯楽がプロレスである」
私はプロレスとプロレスラーが尋常じゃないくらい好きなのです。その素晴らしさを文章表現を伝え、ライターとしての実績と実力をつけるために「人生の異種格闘技戦」と題してさまざまな媒体でプロレスに限らずさまざまなジャンルの゙文章を書いていて、これからも継続していきます。
何のためか?
プロレスのためです。
プロレスをもっと世間に伝えたいからです。
ライターとしての実力や実績積み重ねて、色々なエッセンスを吸収して、プロレスを世間に伝えるために今後も頑張るしかありません。
プロレスから注入された愛と情熱と考察力、発想力という4つの武器で、世間と闘います。その先にプロレスとプロレスラーの地位や名誉が上昇している未来があると僕は信じていています。
2001年にベースボールマガジン社さんから発売された『純プロレス主義』というムック本があるんです。
武藤敬司さんが表紙のこの本は、武藤さんを始め、三沢光晴さん、天龍源一郎さん、蝶野正洋選手、冬木弘道さん、高山善廣選手、葛西純選手といった錚々たる顔ぶれが勢揃いしたインタビューが掲載されています。そして、この本にはアントニオ猪木さん、馳浩さん、新人時代の棚橋選手のインタビューも掲載されている「ある意味、とんでもないプロレス本」なのです。
この本の中にプロレスライターの菊池孝さんのインタビューを読みまして、その中に素晴らしい言葉がありました。
菊池さんは力道山時代からプロレスを取材し続けて、2012年に逝去されるまで生涯現役記者であり続けたプロレスマスコミのレジェンドです。
菊池さんのインタビューの表題はこのようなものでした。
「昔もいまもプロレスは面白えよ」
菊池さんのインタビューから11年後の2012年10月8日・新日本両国国技館大会のメインイベントで鈴木みのる選手とのIWGPヘビー級戦で歴史に残る名勝負を展開し、勝利を果たした棚橋選手はバックステージで次の言葉を残しました。
「俺は、年取って、引退したとしても、プロレスを今も昔も、『面白いぜ!』って、きっと言うから」
プロレスは時代を映す鏡である。その時代の狭間で何かしらの事象で繋がっているのもプロレスである。
昔もいまもプロレスは面白えよ!
後日、なんと棚橋選手と木村さんの対談が実現しました。まさかの展開でした。
【プロレス界のエースとアントニオ猪木を追い求めた孤高の闘魂作家による対談という名のシングルマッチ!】
プロレス人間交差点 棚橋弘至☓木村光一
前編「逸材VS闘魂作家」
後編「神の悪戯」
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